「必要な量は足りている」。
ナフサ不足が話題になるたび、政府からはそう聞こえてきます。
安心させたいのでしょう。
その気持ちは分かります。
けれど四月の数字を一つずつ机に並べてみると、その言葉とのあいだに小さくない隙間があると気づきます。
そもそもの引き金は、2026年2月末にホルムズ海峡が事実上ふさがれたことでした。
日本の石油や石油化学の原料は、その多くがこの細い海路に頼っています。
入り口が締まれば、国内に届く量が細るのは避けられません。
まず生産。
経済産業省の石油統計速報によれば、四月の国内ナフサ生産は90万6660キロリットル。
前年の同じ月と比べて22.8%の減少でした。
共同通信が五月二十九日に報じています。
およそ二割が、そっくり消えた計算になります。
次に輸入。
日本経済新聞は四月の貿易統計をもとに、ナフサ輸入が5割減と報じました。
財務省の貿易統計速報を見ると、中東からの落ち込みがとりわけ際立ちます。
原油は67.2%減、ナフサを含む揮発油は79.4%減、液化天然ガスも76.1%減。
中東という蛇口が、四月にはほとんど閉じていたわけです。
その穴を埋めたのがアメリカでした。
アメリカからのナフサを含む揮発油の輸入は、前年の206倍。
数字だけ見れば、劇的な乗り換えに映ります。
ただ、ここで立ち止まりたい。
ジェトロによれば、日本のナフサ輸入に占める中東依存度は、2024年時点で73.6%。
輸入の四分の三を握っていた相手が止まり、これまでほとんど買っていなかった相手から、急いで買い直している。
206倍という派手な伸びは、裏を返せば、元の量がそれだけ小さかったということでもあります。
生産が二割減り、輸入が五割減る。
この二つを量で足し合わせると、国内市場に回るナフサ全体は、ざっと四割近く縮んだ勘定になります。
概算で、およそ38.5%減。
公式に出された一つの統計ではありません。
生産と輸入というふたつの実数を重ねたときに、自然に浮かんでくる数字です。
だからこそ、ごまかしようがないのです。
足りている、という言葉と、市中に出回る量が減る、という現実は、両立します。
「足りている」の中身が、多くは在庫と備蓄の取り崩しだからです。
経産省は、減った生産分をナフサ由来の化学製品の在庫でまかなっていると説明し、国家備蓄も放出しました。
高市早苗首相は四月初めに、少なくとも四カ月分のナフサ需要を確保済みだと述べています。
五月の関係閣僚会議でも、安定供給の見通しを強調しました。
代替調達も進んでいます。
経産省資料を引いたジェトロによれば、五月の需要のおよそ六割、六月の需要の七割超を、中東以外からの調達でまかなう見込みだといいます。
ここははっきり書いておきます。
政府は、手をこまねいているわけではありません。
備蓄を出し、アメリカやアルジェリア、オーストラリアへ調達先を広げ、非中東からのナフサ調達を平時の三倍近くへ引き上げようとしています。
やるべきことの多くは、すでに走り出している。
問題は、その先の一言が抜けていることです。
在庫も備蓄も、無限ではありません。
代替調達は需要の全部ではなく一部を埋めるにとどまり、アメリカ湾岸から日本まで、タンカーはおよそ四十五日かかります。
蛇口を細くしたまま、しばらく貯金を崩して暮らす。
それが、いまの構図です。
貯金で食いつなげる局面こそ、本当はいちばん落ち着いて動ける時間のはずでした。
だからこそ、と思うのです。
いま政府がすべきは、「足りています」で会話を終わらせることではありません。
国民にこう頼むことではないでしょうか。
買い占めはしないでほしい。
石油から作られる製品の使い方を、少しだけ見直してほしい、と。
買い占めは、どんな供給減よりも速く棚を空にします。
トイレットペーパーの記憶を持ち出すまでもありません。
人が一斉に念のためと手を伸ばした瞬間に、足りていたものは足りなくなる。
逆に言えば、一人ひとりが落ち着いて必要な分だけ手にすれば、細った蛇口でもしのげる時間は確かにあるのです。
正直に状況を開き、協力を呼びかけること。
それが、政府がいちばん恐れているパニックを遠ざける、結局は最短の道だと思います。
ここで、ひとつ古い話を思い出します。
太平洋戦争のさなか、軍需が何より優先され、物資を運ぶ輸送船は次々と海に沈められ、国内の暮らしは目に見えて痩せていきました。
国の最高統帥機関だった大本営は、国民の不安や厭戦気分をおさえるため、都合の悪い現実を薄め、ときに伏せたまま、戦意の高揚を図り続けます。
とりわけ家庭の台所で起きていたことと、表向きの威勢のいい言葉とのへだたりは、日ごとに広がっていきました。
まず、金属が消えていきました。
1941年に出された金属類回収令のもとで、寺の梵鐘が次々と外され、家庭の鍋や釜、火鉢、ブリキのおもちゃ、町のマンホールの蓋までが、お国のためにと差し出されます。
渋谷のハチ公像でさえ、例外ではありませんでした。
1944年の秋には出陣式まで開いて供出され、翌年、浜松の工場で溶かされて機関車の部品に変わります。
忠犬の銅像が、兵器の材料になる。
その一点に、当時の物のなさが凝縮しています。
燃料も底をつきました。
航空機を飛ばすガソリンが足りず、国は松の切り株を蒸して油を搾る松根油に望みをかけます。
山じゅうの松の根を掘り起こすため、動員されたのは老人や女性、そして小学生でした。
掘っても掘っても、得られる油はわずか。
それでも、足りないのは工夫が足りないからだ、という号令だけは、かかり続けたのです。
ここに、当時の姿勢がそのまま出ています。
足らぬ足らぬは工夫が足らぬ。
足りないのは仕組みのせいではない、お前の知恵と辛抱が足りないからだ、と。
原料も船も決定的に欠けているという肝心の事実は、ついに正面からは語られませんでした。
そのかわりに、欲しがりません勝つまでは、ぜいたくは敵だと唱え、足りなさを乗り越える責任だけが、国民の側へ押しつけられたのです。
米も衣類も、配給の通帳と切符で細々と分けられます。
それでも回らない分は、人々が農村へ買い出しに通い、闇市で高い値を払ってしのぎました。
表向きは足りている。
実際の台所は、闇の値段でようやく持ちこたえている。
建前と現実は、こうしてどこまでも離れていきました。
見落とせないのは、庶民がちゃんと見抜いていたことです。
ぜいたくは敵だは、ぜいたくは素敵だとひっくり返され、足らぬ足らぬは工夫が足らぬは、足りん足りんは夫が足りんと笑われました。
口から口へ伝わったこの軽口は、お上の言葉を誰も本気で信じてはいないという、ささやかな抵抗でもあったのです。
私が気になるのは、あの構文が、いまも生きているように見えることです。
足らぬ足らぬは工夫が足らぬ。
ナフサは足りています。
二つを並べてみると、驚くほどよく似ています。
どちらも、欠乏という肝心の事実を、正面からは認めません。
そして足りない現実を回す責任を、そっと民間の側へ預けてしまう。
あの戦時下では、その責任は家庭の主婦や子どもの、工夫と辛抱に預けられました。
いまは、在庫を取り崩し、通常の二倍の日数をかけて遠い湾岸から代替原料をかき集める石油化学の現場と、棚の前に立つ一人ひとりに、預けられています。
足りています、と国が言い切るたびに、足りなさを実際に引き受けるのは、いつも民間のほうなのです。
工夫が足りないからだ、と言うのも、足りていますから心配いらない、と言うのも、根は同じ。
国が引き受けるべき欠乏を、民間の努力でなかったことにしてしまう姿勢です。
2026年のナフサと、あの時代の暮らしが同じだと言いたいのではありません。
規模も背景も、まるで違います。
重なって見えるのは、出来事の大きさではなく、姿勢のほう。
欠乏を認めず、辛抱と工夫を民間へ押し返す。
その先で起きたのは、たいてい、本当のことを知らされなかった人たちの準備不足と、あとからやってくる大きな動揺でした。
正直に伝えられた人は、慌てません。
慌てないから、買い占めもしないし、無駄な使い方も減らせます。
情報を薄められた人ほど、噂に振り回され、いざという時に右往左往します。
どちらが社会を落ち着かせるか。
歴史は、もう答えを出しているように思います。
最後に、今日からできることを書いておきます。
国が「足りています」で話を止めるなら、せめて私たちのほうは、足りなさに振り回されない側に立っておきたいからです。
一、数字を自分の目で確かめる。経済産業省の石油統計速報も、財務省の貿易統計も、誰でも見られます。誰かの大丈夫を鵜呑みにせず、一次情報にあたる癖をつけておく。
二、買い占めをしない。いつもどおりの量だけ買う。あなたが落ち着いていることが、棚を空にしない一番の近道になります。
三、石油から生まれる物を、少しだけ大事に使う。使い捨てのプラスチックを減らす、車の無駄な走行を控える。小さな節約でも、みんなで重ねれば確かな時間を稼げます。
四、慌てている人には、煽る言葉ではなく、確かめた数字と落ち着きを渡す。
五、それでも暮らしは続くと知っておく。不安は、準備に変えられます。恐れは、知ることでほどけていきます。
数字は、嘘をつきません。
生産が二割減、輸入が五割減、全体でおよそ四割減。
この三つを並べるだけで、「足りています」という言葉が何を指しているのかが見えてきます。
怖がる必要はありません。
けれど、何も知らないまま安心してしまうのも、たぶん違います。
確かめて、控えて、慌てない。
その小さな構えが、足りなさに振り回されない一番の備えになります。
慌てず、しかし目はひらいたままで。
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