2017年4月30日日曜日

神仏に愛される人


どのような人が神様に愛されるでしょうか

神社仏閣などにたくさんの寄進をしたり、たくさん参拝するひとでしょうか

たしかにそうした人も神様に好まれるかもしれません

たくさんの寄進をする人は、財産が多ければできるでしょう

何度もお参りに行ったり、たくさんの神社仏閣に参拝されるのは、時間が自由にあるひとであれば出来るでしょう

ですが、本当に神様仏様に愛される人は、わずかな量であっても、その志に込められた、感謝の気持ちや愛の量によるのではないでしょうか

「貧者の一灯」という言葉があります

仏教の話しでは阿闍世(あじやせ)王が釈迦を請じて供養をし、宮殿から祇園精舎への釈迦の帰り道に万灯をともした時、貧乏な一老女も灯明をかかげようと思い、わずかの銭を都合して一灯をともしたところ、王のあげた灯明は消えたり油が尽きたりしたが、老女の灯明は終夜消えなかったという話しがります

キリスト教でもイエス様の言葉として「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」という話が残っています

どちらも貧しく僅かしか供えられなくとも、神様仏様は、その多寡ではなく、人の思いを重視しているということでしょう

それは単に金銭の多寡だけを述べているのではないでしょう

心持において、精神的に貧しい人であっても、そのひとが心を込めて成した行為は、神仏から喜ばれるということを意味していると思います

たとえ誰に褒められずとも、誰にも気づかれずとも、愛の思いで、感謝の思いで成した行為は、神仏の目に留まっているということです

たとえ僅かな光であっても、光を世に灯すことを、神仏は求められているのでしょう

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3 件のコメント:

  1. 大好きな話です。
    有り難うございます。

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  2. お布施に関しては、日本では軽く見られたり、騙されている、と言われたりすることが多いそうです。悲しいです。宗教の信者としては、世の中の役に立って欲しいという思いでお布施を無理のない範囲で、時には無理をして執着にならない範囲で行なっています。宗教をお金集めのビジネスのように思い、避難する人も多く、その中に信者の美しい思いがたくさんあることを宗教を信じない方々にもわかって頂きたいです。この世の自己保存欲を捨てるためにお布施を時折しているわけです。

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  3. 魂に響くお話し ありがとうございました。愛を感じます。

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