鬼が人を取り込むやり方 鬼滅の刃と鬼束ちひろ


昨日は歌手の鬼束ちひろさんが救急車を蹴って傷つけたとして、逮捕された事件について書きました

霊的にはあまりよろしくない影響もあったのではないかというものです

そして最近流行した「鬼滅の刃」というアニメとも共通するようなテーマがあって、人が闇側の鬼に取り込まれてしまうところが感じられます

光の存在は、私たちを善導しようとしていますが、闇側の存在は、私たちを闇に落とし、引きずり込もうとします

鬼には人々を厳しく指導するような善なる存在もいますが、時には闇に潜む者たちもいます

鬼滅の刃ブームの時にも、こうした映画を通して、闇とつながり、道が出来てしまうということを警告したことがあります

鬼束ちひろさんの歌で最初にヒットした作品に「月光」があります

その歌には以下のような歌いだしの歌詞があります

lam GOD'S CHILD (私は神の子供)
この腐敗した世界に堕とされた
How do I live on such a field?
(こんな場所でどうやって生きろと言うの?)
こんなもののために生まれたんじゃない。

これは一面、真理を含んでいるように見えて、すり替えというか、とらえ方で闇に推してしまう部分があると思います

悲惨な自分の在り方に対して、自分のせいではない、世の中が悪かったのだ、世界が間違っているという被害者意識が潜んでいるように感じられます

自分を正当化して、世の中が闇のように見てしまうのは、実は自分自身が闇に染まっていってしまっているために、そう見えてしまうことがあります

周囲の人たちが悪い者たちばかりに見えている時には、本人の心境そのものが悪くなっている時です

人間は自分の心というものを反映して、世界を見ていますので、世の中が闇に染まって見えている時には、自身の心が闇に染まってしまっている時でもあります

こうした「自分は悪くない、世の中が間違っているのだ」という思いは、闇に落ちやすくなります

そして「鬼滅の刃」というアニメが流行していますが、この作品にも、鬼となってしまった側の、悲惨な過去や、やむを得ないような事情などが描かれています

鬼には、鬼になるだけの理由があるのだということで、見ている人は闇の鬼に同情するような気持に持っていかれます

悲惨な姿を見せて、人々の同情を誘い、悪いのは世の中だとか、不幸の原因を他に向けさせようとします

自己責任を持ちたくない人が、こうした発想に惹かれやすいでしょうし、それは闇に取り込まれる要因にもなります

闇に取り込まれないようにするためには、責任転嫁をやめて、自分の闇と対峙することです

心の中に潜んだ問題にふたをするのではなく、しっかりと対峙して、改める心が必要です

周りのせいや、他人のせいにばかりしていては、いつしか闇に飲み込まれてしまいます

闇は姿を隠せるように、自分の罪も隠せるからです

光にさらされると、自らの罪や負い目を自覚しなくてはならず、苦しいために闇に隠れようとします

それが闇に取り込まれる道なのです

自らの心を点検し、誤った思いを素直に謝罪し、正していけるようになりましょう

それこそが光への道となります

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