「願うだけで、望みは叶う」
そんな言葉が、書店の棚にも、SNSのタイムラインにも、あふれています。
お金、恋愛、成功と、欲しいものを思い描けば、あとは宇宙にお任せで手に入る。
耳に心地よい教えです。
けれど、その甘い約束こそが、あなたの魂を徐々に蝕んでいるとしたら、どう感じるでしょうか。
私は以前から、何度もお伝えしてきました。
いま世間に広がっているスピリチュアルの多くは、真実とはほど遠い、偽物なのだと。
聖書にも、こんな警告が残されています。
「偽預言者を警戒しなさい、羊の衣を身にまとって、あなたがたのところへやって来る」。
やさしい笑顔の内側に、まるで違うものがひそんでいることがある。
だからこそ、目に見えないものを扱う世界では、それを見極める心の目が要るのです。
今日は、その偽物の見分け方についてお話しします。
なぜ「願いを叶える教え」は危ういのか
ひとつ、想像してみてください。
お菓子売り場やおもちゃ売り場で、子どもが棚のものを片っ端から欲しがります。
これも、あれも、と小さな手を伸ばす。
そのたびに親がにこやかに「いいよ」と全部買い与えたら、その子はどう育つでしょう。
ほしいものが、待つこともなく、努力もなしに手に入る。
やがてその子は、思い通りにならない現実にぶつかったとき、ひとたまりもなく崩れてしまいます。
本当にその子を思う親なら、どうするでしょうか。
ときには「ダメ」と言うはずです。
泣かれても、嫌われても、その子の先々を思えばこそ、欲しがるものをすべては与えません。
引き寄せの法則。
天に委ねれば、すべて叶う。
こうした教えは、なんでも買い与える親と、よく似ています。
厳しい言い方をすれば、それは悪魔のささやきに近いものです。
人の魂を甘やかし、育つ機会をそっと奪っていくのですから。
ロー・スピリチュアルという落とし穴
こうした俗っぽいスピリチュアルを、ロー・スピリチュアル、低い霊性と呼びます。
金運アップ、恋愛成就、願望成就。
焦点が当たっているのは、いつもこの世の損得です。
霊的な装いをまといながら、語っている中身は地上の欲そのもの。
これでは、唯物的な生き方と何も変わりません。
反対に、人の魂の成長や、見返りを求めない高い愛を説くものを、ハイ・スピリチュアルと呼びます。
仏教に、少欲知足という言葉が残されています。
欲を少なくし、いま足りているものを知る。
そこにこそ、本当の心の安らぎがあるという教えです。
願いをふくらませ続ける道とは、まるで逆の方向を向いています。
では、なぜ世の中はロー・スピリチュアルであふれているのでしょうか。
理由は、受け取る側にあります。
多くの人が、この世の欲を叶えることばかりを願っている。
その願いに応えるように、低い教えが次々と生まれてくるのです。
需要があるから、供給される。
残念ですが、それが今の風景でしょう。
もうひとつ、見落とされがちな落とし穴がひそんでいます。
霊の話そのものに、夢中になってしまうこと。
あの世はどうなっているのか。
あの人の前世は何だったのか。
そうした話題は刺激的で、つい引き込まれます。
けれど、めずらしい話に心をときめかせることと、自分の魂が育つことは、まるで別ものです。
霊的な知識をいくら積み上げても、生き方が変わらなければ、それはただの娯楽にとどまってしまいます。
「当たる占い」は、本物の証なのか
「あの占いはよく当たるから、本物だ」。
そう信じている方は、とても多いものです。
けれど、ここに大きな勘違いがひそんでいます。
実を言えば、当てることが得意なのは、地上の近くをただよう低級霊たちなのです。
その多くは、動物霊などに導かれています。
人の目先のできごとを言い当てる芸当には長けていても、魂を高みへ導く力までは持ち合わせていません。
考えてみてください。
本当に高い世界からの導きが、明日あなたに何が起きるかを言い当てて、あなたを驚かせることに関心を向けるでしょうか。
向けるはずがありません。
高い導きが願うのは、あなたがその出来事を通して何を学び、どう育っていくか。
ただ、その一点だけです。
当たるかどうかと、高いか低いか。
この二つは、まるで別のものだと知ってください。
真のスピリチュアルは、ときに厳しい
では、真実のスピリチュアルとは何でしょう。
人間という存在の中心にあるのは、肉体ではなく魂です。
地上の暮らしは、その魂が学ぶための、かりそめの学び舎にすぎません。
この見方に立つと、願いごとへの向き合い方が、まるで変わってきます。
真実の導きは、安易に「願いを叶えます」とは口にしません。
その人の学びに必要であれば、あえて厳しいことも伝えてきます。
以前、ある相談者の方が、思いつめた表情で訪ねてこられました。
望んでいたのは、つらい状況がすぐに消えてなくなる、魔法のような一言だったのだと思います。
けれど、私からお伝えできたのは、その苦しみがその方の魂にとって持つ意味のほうでした。
逃げ道ではなく、向き合い方です。
そのとき、表情がくもったのを覚えています。
期待していた答えとは、ずいぶん違ったのでしょう。
それでも数年が経って、こんな言葉をいただきました。
「あのとき逃げずにすんで、本当によかった」と。
甘い言葉は、その場をふわりと温めます。
けれど人を育てるのは、ときに、すぐには受け取りにくい真実のほうなのです。
偽物を見抜く、心の目を育てる
では、偽物と本物を、どう見分ければよいのでしょう。
手がかりは、その教えがあなたのどこに語りかけているかに隠れています。
地上の欲をくすぐり、楽をして手に入れる道を指し示すもの。
耳ざわりがよく、今のあなたをただ肯定するだけのもの。
これらは、あなたを低いほうへ引いていきます。
本物は、それとは逆です。
あなたの魂のほうに、まっすぐ語りかけてきます。
ときに耳が痛く、努力を促し、それでいて温かい。
そういう導きが、あなたを高いところへ押し上げてくれるのです。
見分けるのは、難しいことではありません。
その教えに触れたあと、自分の心がどちらを向いたかを、感じてみればよいのです。
楽な道へ流されたくなったのか。
それとも、背筋が伸びて、もう少し歩いてみようと思えたのか。
心が高いほうを向いたなら、それはきっと、本物に近いものでしょう。
今日から心がけたいこと
最後に、偽のスピリチュアルに足をすくわれないために、今日から心がけられることをお伝えします。
- 「楽に願いが叶う」と説くものに出会ったら、いったん立ち止まり、その心地よさの裏で自分が育つ機会が奪われていないかを問い直す。
- 占いやリーディングは、当たり外れではなく、自分がそこから何を学べたかで受け止め、予言の的中を追いかけない。
- 耳に痛い助言ほどすぐには切り捨てず、その言葉が自分の魂に向けられたものではないか、一晩おいて考えてみる。
- 欲しい結果を願う前に「この経験から自分は何を学ぶのだろう」と先に問い、願いの向きを損得から成長のほうへ変えていく。
偽物は、あなたの欲に語りかけます。
本物は、あなたの魂に語りかけます。
この違いを胸の奥に置いておくだけで、惑わされることは、ずっと少なくなるはずです。
あなたの内側には、もともと、真実を感じ取る力が備わっています。
その力を信じて、一歩ずつ、自分の足で歩いていってください。
あなたの魂が、これからも健やかに育っていくことを、心から願っています。
こうした「人の中心は魂であり、人生のすべては魂の学びである」という見方を、私はもうひとつ、物語のかたちでも書き残したいと思いました。
それが拙著『ソフィアの森で見つけた幸せの鍵』です。
すべてを失った一人の旅人が、賢者ソフィアとの対話を重ねながら、自分の内側に眠っていた光と出会い直していく物語です。
今日お話しした「偽物に惑わされず、魂の声へ還る」という歩みの、その先をゆっくりたどってみたい方には、きっと届くものがあるでしょう。
応援いただいたあなたに、幸せが届きますように祈ります
このブログでお伝えしているのは、魂の旅路への入口となる話です。
もっと深く学びたい方、満月の一斉ワークに加わりたい方は、スピリチュアルスクールでほぼ毎日メッセージをお届けしています。
ブログには書けない霊的な実践も、ここでお話ししています。
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