原油75ドル前後。ニュースは「米イラン暫定合意」「ホルムズ海峡が完全再開」と伝え、世界はほっと胸をなで下ろしています。
けれど私はこの数字を見た瞬間、背筋がひやりとしました。
なぜなら、この落ち着きは樽に溜めてある水を、今まで通り使うため、大きな蛇口をいっぱいに開いて水を出しているようなものだからです。
その樽の水が、あと60日ほどでなくなる。私はそう見ています。
原油が安いのに、なぜ私は不安なのか
まず事実を整理させてください。
2026年6月17日、WTI原油は約76ドルをつけました。3月以来の安値です。
引き金は、トランプ大統領が米イランの枠組み合意に署名すると表明したことでした。金曜にはホルムズ海峡が完全再開し、イランの原油輸出も再開する。そう述べています。
ここまでなら、めでたい話です。戦争の影が遠ざかり、エネルギー価格も落ち着く。
ところが、価格を抑えている要因はもう一つあります。それが今日の本題です。
アメリカが、自国の備蓄を猛烈な勢いで放出しているのです。
戦略石油備蓄(SPR)とは何か、なぜ今それが問題なのか
戦略石油備蓄、英語でStrategic Petroleum Reserve。略してSPRと呼ばれます。
アメリカ政府がテキサスとルイジアナの地下、岩塩でできた巨大な空洞に蓄えている非常用の原油のことです。戦争や災害で石油が止まったとき、国を守るための最後の蓄えだと考えてください。
このSPRが、2026年6月12日時点で約3億4,000万バレル。1983年、レーガン政権以来の低い水準まで減っています。
イランとの戦争が始まって以降だけで、約6,600万バレルが放出されました。さらにアメリカは、IEA協調による世界4億バレル放出のうち、1億7,200万バレルを担って吐き出している最中です。
加えて市場では、EIAの週報で原油在庫が前週比826万バレル減と発表されました。事前予想の369万バレル減を大きく上回る減りようです。
受け渡しの拠点であるクッシングの在庫は7週連続で減り、約2,000万バレル。2014年以来の低さになりました。
つまり、表に見えている「原油76ドル」という穏やかな数字の下で、目に見えない歯車が高速で回っている。供給が止まりそうな圧力を、備蓄の放出という防波堤で必死に押し返している。それが今の構図です。
「出すのは速く、戻すのは遅い」という残酷な非対称
ここで多くの人が見落とす点があります。
SPRは、ゼロまで使えません。
国防総省が認める運用上の下限は、約2億4,300万バレル。これは、いざというときポンプで汲み上げて配るための物理的な余力を残しておく線です。
すると、今すぐ使える余力は9,000万バレル弱しかありません。放出ペースは1日あたり約140万バレル。
単純な割り算が、私の背筋を冷やしました。約60日から80日。早ければ2026年8月下旬に、下限に届く計算です。
今日は6月18日。夏が終わる頃には、防波堤が尽きるかもしれない。
しかも、いったん放出した備蓄を満タンに戻すには、10年規模の時間と200億ドルを超える費用がかかります。中東の生産施設が攻撃で傷つけば、生産の回復は数週間から数年。
出すのは一瞬。戻すのは気の遠くなるほど遅い。この非対称こそが、私が「安いから安心」とは言えない理由です。
合意は本当に守られるのか
「でも、合意したのだから戦争は終わるのでは」。そう思いたい気持ちは、痛いほどわかります。
私もそう願っています。
ただ、現実はもう少し込み入っています。停戦下であっても、ホルムズ海峡の周辺では米軍がイランのドローンを連日迎撃しています。
イスラエルによるレバノンやイランへの攻撃も、完全に収まったとは言い切れません。6月7日には、イランがイスラエルへ弾道ミサイルを発射しました。凍結されたイラン資産の扱いも、いつ再燃してもおかしくない対立の火種として残っています。
もし合意が反故になり、海峡の封鎖が長引いたら、どうなるか。
これまで価格を抑えてきた「放出」という防波堤が尽きた後に、供給だけが止まる。
そのとき訪れるのは、1970年代級のオイルショックです。ガソリンスタンドに長い行列ができ、モノの値段が一斉に跳ね上がった、あの時代の再来。
私はこれを恐怖として煽りたいのではありません。歯車の回り方を、ありのままにお伝えしているだけです。
日本の足元はどうなっているか
ここで、私たちの暮らしに目を移します。
日本は、原油の中東依存度が約95%。その大半がホルムズ海峡を通って運ばれてきます。あの細い海峡が、私たちの台所と直結している。
政府も手をこまねいているわけではありません。高市首相は7月に、海峡の外からの代替調達を100%に切り替える見通しを表明するとされています。アメリカ、アルジェリア、ペルーへと供給元を移している最中です。
頼もしい動きに見えます。けれど、ここに落とし穴があります。
契約や調達の目処と、現物が港に届くタイミングには、どうしてもずれが生じます。実際、5月の原油輸入は前年比57.3%減という、かなり大きな落ち込みを記録しました。
そしてもう一つ。切り替え先のアメリカ自身が、いま見てきたように備蓄の取り崩しに頼っている状態です。
つまり、アメリカの在庫が下限に当たれば、日本にとっての頼みの綱もまた細くなる。命綱の先が、別の命綱の余力に支えられている。この入れ子構造に、私はずっと注目してきました。
中国という、もう一つの蓋
世界はもっと巧妙にバランスを取っています。
5月14日から15日にかけて、トランプ大統領が訪中し、習近平主席と会談しました。アメリカ側の説明によれば、中国は米国産原油の購入で合意したとされています。中国側はまだ確認していませんが、両大国の思惑が交差したことは確かなようです。
中国は、世界最大の石油在庫を持っています。戦略備蓄と商業在庫を合わせて、約12〜14億バレル。アメリカのSPRの、3倍から4倍にあたる規模です。
報道では、この中国の動きが、中東発の供給ショックを和らげ、価格の急騰を抑えたと見られています。けれど、その抑え方が少し意外でした。
多くの人は「中国が巨大な備蓄を取り崩して凌いでいる」と思うでしょう。ところが5月末の時点で、中国はまだ備蓄をほとんど取り崩していません。代わりに、需要そのものを絞ってきたのです。
開戦前は1日に約1,100万バレル輸入していた原油を、4月には930万バレルへ。5月から6月は650万バレルまで落とす見込みだと、専門家は分析しています。製油所の稼働を下げ、石炭で一部の化学品をまかない、石油製品の輸出を一時的に止める。そうやって自前の蓄えに手をつけず、嵐をやり過ごしてきました。
つまり中国の蓋は、備蓄取り崩しではなく「我慢」でできている。ここが、アメリカの蓋との決定的な違いです。
だから時間の感覚もまるで違います。アメリカの備蓄は、早ければこの8月下旬に運用上の限界へ届く。一方の中国は、仮に本格的に備蓄を吐き出し始めても、実際に使える分で1年から1年半は持つ計算になります。底が見えてくるのは、早くて2027年。アメリカが数週間なら、中国は年単位。桁が違うのです。
では、この事態で誰が困り、誰が得をするのか。ここを見落とすと、構図を読み違えます。
困るのは、アメリカと日本です。
アメリカは価格を抑えるために、非常用の備蓄という最後の蓄えを猛烈な勢いで取り崩しています。
出すのは速くても、満タンに戻すには10年規模の歳月と巨額の資金がいる。守りの切り札を、自分の手で削っているわけです。
日本はもっと直接的で、原油の約95%を中東に頼り、契約は進んでも現物の入荷が追いつかない。消耗戦のなかで、体力を先に削られる側にいます。
ところが同じ状況が、反米の側、つまり中国・イラン・ロシアには、むしろ追い風として働きます。
中国は、世界最大の備蓄を何年もかけて積み上げてきました。
高い原油も需要を絞って耐え、その裏で制裁下のイラン産やロシア産を安く買い込んでいる。アメリカが虎の子の備蓄を燃やしていくのを、分厚い蓄えの上から静観できる立場です。
イランにとって、ホルムズ海峡の混乱はそれ自体が交渉のカードになります。価格が上がれば、影の船団を使ってでも売る一バレルの値打ちが増す。凍結資産や制裁の駆け引きでも、立場が強くなる。
ロシアも産油国ですから、原油高はそのまま収入の追い風です。西側が備蓄を減らし、世界が一滴の原油を欲しがるほど、ロシアにかかった制裁の縛りは緩んでいきます。
つまりこの危機は、痛みを均等に配るものではありません。資源を持たず備蓄を取り崩す側から消耗し、資源を握って備蓄を温存する側に、時間とともに有利が傾いていく。
封鎖が長引くほど、天秤は反米の側へ静かに動きます。
世界の力の均衡そのものが、資源を持つ側へ大きく傾く。これが、私が一番警戒している場面です。
私はこれを、何年も前から書いていました
正直にお話しします。今お伝えしている構図は、私にとって突然のニュースではありません。
私は以前からホルムズ海峡の封鎖危機や、目に見える政治や経済の数字の裏で、見えない歯車が動き始めることを書きました。
エネルギーという一本の糸が、いかに細く、いかに多くの人の暮らしを吊り下げているか。その糸がほどけ始めたとき、世界はどう揺れるか。
当時は、まだ穏やかな時代でした。「大げさだ」と感じた方もいたでしょう。
ところが今、原油在庫の数字も、海峡の緊張も、大国同士の備蓄の駆け引きも、あのとき描いた絵に重なってきています。
私は予言者を気取りたいのではありません。後追いで解説する者ではなく、起きる前に手を挙げて「ここに歯車がある」と指さしてきた者でありたい。その一念で、ずっと書き続けてきました。
予見が現実化していく様を見るのは、誇らしさより、むしろ静かな祈りに近い気持ちです。どうか、外れてほしい。そう願いながら、それでも目をそらさずに数字を追っています。
今日からできる、地に足のついた備え
では、私たちは何をすればいいのか。明日からあなたの暮らしを少しだけ強くする、具体的な行動を挙げます。
1. 我が家の「エネルギー家計簿」をつける。ガソリン代、電気代、ガス代。3か月分を書き出してみてください。価格が動いたとき、家計のどこが一番揺れるかが見えます。揺れる場所がわかれば、守る場所もわかります。
2. 備蓄を、政府任せにしない。水、保存の効く食料、カセットコンロとボンベ。1週間分でいい。SPRの話を「国の備蓄が減っている」で終わらせず、自分の棚に置き換えてみる。これが一番確かな防波堤です。
3. エネルギーの使い方に、無理のない余白をつくる。断熱、こまめな消灯、まとめ買いでの移動。我慢ではなく、暮らしの設計として。価格が跳ねても慌てない体質を、今のうちに整えておきます。
4. ニュースを「価格」ではなく「在庫」で読む。原油が高いか安いかではなく、備蓄が増えているか減っているか。週ごとの在庫の数字を一度見てみてください。世界の本当の体温計は、価格ではなく在庫の側にあります。
5. 不安を、独りで抱えない。家族と、この話を食卓でしてみてください。備えは、共有した瞬間に半分軽くなります。語り合える相手がいることが、何よりの安心の蓄えです。
6. 心を整える時間を、一日5分でも持つ。世界が揺れるときほど、揺れない自分の中心が要ります。深い呼吸でも、祈りでも、散歩でもいい。外の歯車に飲み込まれない芯を、毎日少しずつ太らせていきましょう。
それでも、私は明日を信じています
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
たくさんの数字を並べました。8月下旬という日付も書きました。けれど、私が一番お伝えしたかったのは、恐怖ではありません。
歯車が回っていることを知ったあなたは、もう昨日のあなたではない、ということです。
人類は、これまでも幾度となく危機の前に立たされてきました。そのたびに、弱い葦でありながら、考え、備え、手を取り合って乗り越えてきました。今回も、きっとそうです。
備蓄が尽きるかどうかは、私たちには決められません。けれど、自分の棚に水を一本足すか、家族と語らうか、心の芯を整えるか。それは、今日のあなたが決められます。
決められることに、まっすぐ手を伸ばす。決められないことは、静かな祈りに委ねる。その切り分けができる人は、どんな時代が来ても折れません。
世界の表面がどれだけ揺れても、あなたの魂は確かに成長しています。私はそれを、心から信じています。
どうか、明日も顔を上げて。私たちは、まだ大丈夫です。
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