きょうも1日1回、応援クリックをいただけると励みになります ▶ 人気ブログランキングへ
体調の異変を訴えて検査を受けたところ、そこで見つかったそうです。早く分かったおかげで大事には至らず、いまは入院してリハビリに取り組んでおられると聞きます。
10月から始まる予定だったライブツアーは全公演が中止になりました。当面のコンビの仕事は、富澤たけしさんがひとりで受けます。
相方の富澤さんは、自身のブログでこう伝えていました。伊達さんは頭も体も元気で、院内を歩き、食事が足りないと増量を求め、病人とは思えないツッコミのメールを送ってくる、と。そして、伊達が帰ってくる場所を守っておく、と書いていました。
胸の塞がるような知らせのなかに、あの二人らしい可笑しみと温かさがある。読んでいて少し救われました。
相方の富澤さんは、自身のブログでこう伝えていました。伊達さんは頭も体も元気で、院内を歩き、食事が足りないと増量を求め、病人とは思えないツッコミのメールを送ってくる、と。そして、伊達が帰ってくる場所を守っておく、と書いていました。
胸の塞がるような知らせのなかに、あの二人らしい可笑しみと温かさがある。読んでいて少し救われました。
まずは伊達さんの回復を心よりお祈りします。焦らず、体の声を聞きながら養生していただきたい。あの笑いを待っている人が、東北にも、日本中にもたくさんいます。
二人が出会ったのは仙台商業高校のラグビー部でした。同級生としてスクラムを組んだ間柄です。
コンビを組んだのは1998年。名前は「親不孝」から始まり、「銭と拳」を経て、いまのサンドウィッチマンにたどり着きます。
売れない時期は長く続きました。富澤さんは、その頃に死を考えたことがあると後年語っています。踏みとどまれたのは、伊達さんがそばにいたからでした。
転機は2007年のM-1グランプリ。敗者復活から勝ち上がり、大会史上はじめてその枠から優勝しました。33歳の冬です。2010年には自分たちの事務所グレープカンパニーを立ち上げ、今日まで走ってきました。
ネタを書くのは富澤さん。伊達さんは相方を「本当に天才」と呼びます。その富澤さんは、自分を引き上げてくれたのは伊達だと言う。互いを持ち上げ合う関係が、28年続いています。
不仲の噂が一度も立たないコンビというのは、案外めずらしいものです。
揺れのあと、スタッフとともに安波山へ駆け上がり、そこから町が波に呑まれ、火の手が上がるのを見ています。故郷が壊れていく光景を、高いところから見ているしかなかった。
東京へ戻った二人が動いたのは、5日後です。3月16日に「東北魂義援金」の口座を開き、まず自分たちで1000万円を入れました。呼びかけには全国から人が集まり、2か月あまりで3億円近くが寄せられています。
そこで終わらせなかったところが、この二人でした。2012年から2021年までは、震災で親を亡くした子どもたちのために宮城・岩手・福島の3県へ贈り続けています。
2022年からは、現地で足りていないものを直接届ける形に切り替えました。同じ年の12月、あの日に自分たちが立っていた気仙沼市へ、1台目のトイレトレーラーを贈っています。
災害のあと、水が止まった土地で人の心をいちばん削るのは、用を足す場所がないことです。そこへ手を伸ばしたところに、この人たちの目線の低さが表れています。
トイレットペーパーやタオル、備蓄用のゼリーも届けてきました。2024年には福島県へ2台目のトレーラーが渡っています。義援金は2022年の時点で5億1000万円を超えました。15年、途切れていません。
霊的に見ると、お二人はかつて、東北の地で女性として生きていた時期があります。
富澤さんにあたる魂は、その頃、目が弱かった。光をほとんど失っていたようです。そしてイタコをしておられました。亡くなった人の言葉を、生きている人へ渡す仕事です。
子を亡くした親、夫を亡くした妻、そうした人々の前に座り、この世に置き去りにされた思いを受け取っては、言葉にして返していました。
イタコは一つの土地に留まりません。頼まれれば、村から村へ歩いて向かいます。けれども目の不自由な身で、山あいの道をひとりで行くことはできない。かならず付き添いがいました。
その付き添いが、伊達さんにあたる魂です。当時は女性で、姉妹か、それに近い間柄だったと見えます。
手を引いて道を選び、村に着けば人を集め、話を通し、終われば宿を探す。表に立つのは目の見えないほうで、その人が言葉を降ろせるように、隣の一人が段取りのすべてを引き受けていた。
いまの二人の立ち位置と、そっくり重なります。ネタを書いて世界を立ち上げるのが富澤さん、その世界と客席を引き合わせ、間を取り、着地させるのが伊達さん。役割は変わっていません。
今世で選んだのは、人を笑わせる仕事でした。一見すると正反対に見えます。
それでも二人は、あの3月11日のあと、また東北に通いはじめた。仮設住宅を回り、避難所で漫才をやり、その土地に立つ人たちを笑わせてきました。
形は変わっても、していることは同じです。悲しみを抱えた土地へ入っていき、そこにいる人の心をやわらげて帰る。かつて鎮魂と慰めを届けていた場所に、今度は漫才を持って入っていったのだと、私には見えます。
魂は、同じ仕事を違う姿でやり直すことがあります。泣いている人の隣に座り続けた二人が、笑いという道具を持って同じ土地へ戻ってきた。義援金も、トイレトレーラーも、その線の上にあるのでしょう。使命という言葉が大げさに響かないほど、まっすぐな流れです。
いま伊達さんは、その道の途中で立ち止まっておられます。体は、走り続けてきた人にときどき休息を求めます。今回の知らせも、そのしるしとして受け取りたい。
富澤さんが場所を守っている間に、どうかゆっくり休んで、また隣に立ってください。二人そろって舞台に出てきた日、いちばん喜ぶのは東北の人たちだろうと思います。
その日が来ることを願っています。伊達さんが穏やかに回復されますように、心よりお祈りしています。
二人の歩み
伊達さんは1974年9月5日、宮城県泉市、いまの仙台市泉区の生まれ。富澤さんも同じ1974年、4月30日の生まれです。生後まもなく名古屋、新潟と移り、10歳の頃から同じ泉市で育ちました。二人が出会ったのは仙台商業高校のラグビー部でした。同級生としてスクラムを組んだ間柄です。
コンビを組んだのは1998年。名前は「親不孝」から始まり、「銭と拳」を経て、いまのサンドウィッチマンにたどり着きます。
売れない時期は長く続きました。富澤さんは、その頃に死を考えたことがあると後年語っています。踏みとどまれたのは、伊達さんがそばにいたからでした。
転機は2007年のM-1グランプリ。敗者復活から勝ち上がり、大会史上はじめてその枠から優勝しました。33歳の冬です。2010年には自分たちの事務所グレープカンパニーを立ち上げ、今日まで走ってきました。
ネタを書くのは富澤さん。伊達さんは相方を「本当に天才」と呼びます。その富澤さんは、自分を引き上げてくれたのは伊達だと言う。互いを持ち上げ合う関係が、28年続いています。
不仲の噂が一度も立たないコンビというのは、案外めずらしいものです。
3月11日、気仙沼で
2011年3月11日、二人は気仙沼にいました。ロケの最中でした。揺れのあと、スタッフとともに安波山へ駆け上がり、そこから町が波に呑まれ、火の手が上がるのを見ています。故郷が壊れていく光景を、高いところから見ているしかなかった。
東京へ戻った二人が動いたのは、5日後です。3月16日に「東北魂義援金」の口座を開き、まず自分たちで1000万円を入れました。呼びかけには全国から人が集まり、2か月あまりで3億円近くが寄せられています。
そこで終わらせなかったところが、この二人でした。2012年から2021年までは、震災で親を亡くした子どもたちのために宮城・岩手・福島の3県へ贈り続けています。
2022年からは、現地で足りていないものを直接届ける形に切り替えました。同じ年の12月、あの日に自分たちが立っていた気仙沼市へ、1台目のトイレトレーラーを贈っています。
災害のあと、水が止まった土地で人の心をいちばん削るのは、用を足す場所がないことです。そこへ手を伸ばしたところに、この人たちの目線の低さが表れています。
トイレットペーパーやタオル、備蓄用のゼリーも届けてきました。2024年には福島県へ2台目のトレーラーが渡っています。義援金は2022年の時点で5億1000万円を超えました。15年、途切れていません。
前世で東北を歩いた二人
ここからは、私が霊的に見せていただいたことを書きます。霊的に見ると、お二人はかつて、東北の地で女性として生きていた時期があります。
富澤さんにあたる魂は、その頃、目が弱かった。光をほとんど失っていたようです。そしてイタコをしておられました。亡くなった人の言葉を、生きている人へ渡す仕事です。
子を亡くした親、夫を亡くした妻、そうした人々の前に座り、この世に置き去りにされた思いを受け取っては、言葉にして返していました。
イタコは一つの土地に留まりません。頼まれれば、村から村へ歩いて向かいます。けれども目の不自由な身で、山あいの道をひとりで行くことはできない。かならず付き添いがいました。
その付き添いが、伊達さんにあたる魂です。当時は女性で、姉妹か、それに近い間柄だったと見えます。
手を引いて道を選び、村に着けば人を集め、話を通し、終われば宿を探す。表に立つのは目の見えないほうで、その人が言葉を降ろせるように、隣の一人が段取りのすべてを引き受けていた。
いまの二人の立ち位置と、そっくり重なります。ネタを書いて世界を立ち上げるのが富澤さん、その世界と客席を引き合わせ、間を取り、着地させるのが伊達さん。役割は変わっていません。
鎮める仕事から、笑わせる仕事へ
前世で二人がしていたのは、東北の地で魂を鎮めることでした。死んだ人の思いを聞き、残された人の心を宥める。悲しみのただ中に座り続ける役目です。今世で選んだのは、人を笑わせる仕事でした。一見すると正反対に見えます。
それでも二人は、あの3月11日のあと、また東北に通いはじめた。仮設住宅を回り、避難所で漫才をやり、その土地に立つ人たちを笑わせてきました。
形は変わっても、していることは同じです。悲しみを抱えた土地へ入っていき、そこにいる人の心をやわらげて帰る。かつて鎮魂と慰めを届けていた場所に、今度は漫才を持って入っていったのだと、私には見えます。
魂は、同じ仕事を違う姿でやり直すことがあります。泣いている人の隣に座り続けた二人が、笑いという道具を持って同じ土地へ戻ってきた。義援金も、トイレトレーラーも、その線の上にあるのでしょう。使命という言葉が大げさに響かないほど、まっすぐな流れです。
いま伊達さんは、その道の途中で立ち止まっておられます。体は、走り続けてきた人にときどき休息を求めます。今回の知らせも、そのしるしとして受け取りたい。
富澤さんが場所を守っている間に、どうかゆっくり休んで、また隣に立ってください。二人そろって舞台に出てきた日、いちばん喜ぶのは東北の人たちだろうと思います。
その日が来ることを願っています。伊達さんが穏やかに回復されますように、心よりお祈りしています。
ほかの有名人の前世も、まとめ記事で分野ごとに読めます。有名人の前世|完全ガイド〜政治家・アスリート・アーティスト・聖人まで魂の系譜を読み解く
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
よろしければ下のバナーを1日1回押してください。
人気ブログランキング
このブログでお伝えしているのは、魂の旅路への入口となる話です。
もっと深く学びたい方、満月の一斉ワークに加わりたい方は、スピリチュアルスクールでほぼ毎日メッセージをお届けしています。
ブログには書けない霊的な実践も、ここでお話ししています。
関連記事

新刊『ソフィアの森で見つけた幸せの鍵』