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昨日の夜、テレビでは募金の総額が読み上げられていました。
同じ時刻、画面の外側ではその善意を偽善と呼ぶ言葉が流れていて、この二つはどうして毎年ぶつかるのでしょうか。
偽善。売名。「どうせギャラをもらっているんだろう。」
毎年くり返されるこの光景を、私は今年も見ています。
そして毎年、同じところで立ち止まるのです。
あの言葉は、いったい誰に届いているのか、と。
正当な批判は、たしかにあります
最初にはっきりさせておきたいことがあります。あの番組に向けられている声のうち、少なくとも二種類は筋が通っています。
ひとつは、お金の流れをめぐる批判です。
二〇二三年、系列局の幹部が募金を含む一千万円あまりを着服していた事実が明るみに出ました。
出演者への謝礼がどうなっているのかも、はっきりとは公表されていません。
集めたお金がどこへ行くのかを問うのは、寄付という仕組みを守る側の仕事です。
誰にも見られない善意は、いつか必ず腐ります。
この批判はチャリティーの敵ではなく、味方の位置に立っています。
もうひとつは、当事者からの批判です。
二〇一六年にNHKのバリバラが行った調査では、障害のある人の九割が「感動ドキュメンタリー」を好まないと答えました。
障害を、社会の側にある壁ではなく個人の頑張りの物語に変えてしまう。
泣ける話に仕立てられた瞬間、その人は一人の人間ではなく、感動の材料になります。
当事者がそう言うのなら、それは聞かれるべき声です。
私はこの二つを、批判というより提案として受け取っています。
けれど、流れている声の大半は、そこを問うていません
問題は、この二つの正しさを借りて、まったく別のものが一緒に流れ込んでくることです。SNSのタイムラインを追っていくと分かります。
会計の透明性を求める投稿は、ごくわずか。
表象のあり方について語る投稿も、多くはありません。
圧倒的に多いのは、ただ「偽善」と書き捨てるだけのものです。
理由もなければ、代案もない。
その言葉が届いた先で何かが良くなる道筋も、示されていません。
では、あの言葉は何のために出てくるのでしょうか。
心理学に、ひとつのおもしろい実験があります。
「あいつのせいで、自分たちが悪く見える」
公共財ゲームと呼ばれる実験があります。数人でグループを作り、それぞれが自分の持ち金から好きなだけ共同の財布に入れる。
入ったお金は増えて全員に分けられるので、みんなが出せば全員が得をし、誰も出さなければ全員が損をします。
人間の協力のしかたを測るために、長く使われてきた道具です。
ある研究者が、この実験に「気に入らないメンバーを追い出せる」という仕組みを足しました。
狙いは、何も出さずに分け前だけ受け取る人が追放されるかどうかを見ることでした。
結果は予想どおりでした。
何も出さない人は、追い出されました。
ところが、もう一種類の人が同じくらい追い出されていたのです。
誰よりも多く出しているのに、分け前をほとんど受け取らない人。
グループにとっては、いてくれるだけで得しかない人です。
その人が、タダ乗りする人と並んで追放されていました。
なぜ追い出したいのかと聞かれた参加者は、こう答えています。
「あいつのせいで、自分たちみんなが悪く見える。」
ここに、慈善が嫌われる仕組みの芯があります。
人は、善そのものを憎んでいるわけではありません。
善を見せられたときに立ち上がってくる自分の姿を、見たくないだけなのです。
募金の総額が読み上げられるたび、自分は今年いくら出したのかという答えが、聞きたくもないのに心の中で勝手に計算されます。
その居心地の悪さを消す、いちばん手軽な方法。
それが、相手の動機を疑うことです。
「どうせ売名だろう。」
そう言った瞬間、比べられていた土俵そのものが消えてなくなります。
冷笑には、値札がついています
ここからは、少し痛い話になります。ある研究チームが、人間というものをどれくらい信用しているかを大勢の人に尋ね、その後の人生を長く追いかけました。
ドイツで一万六千人規模の調査を使い、九年後の収入を比べています。
すると、人間はどうせ利己的なものだと考えていた人たちは、そう考えていなかった人たちより、はっきりと少なく稼いでいました。
からくりは単純です。
人を疑う人は、協力の場に入っていきません。
契約を細かくし、相手を見張り、裏切られない準備に力を使います。
その用心はときどき当たります。
けれどその間ずっと、協力からしか生まれない実りを取りこぼし続けているのです。
守りに使ったぶんだけ、受け取れるものが減っていきます。
同じ研究チームは、もうひとつ意地の悪い問いを立てました。
「冷めた人と、人を信じやすい人。どちらが頭がいいと思いますか」
半数から七割の人が、冷めた人のほうだと答えています。
世の中を斜めから見る人は賢い。
そういう印象を、多くの人が持っているわけです。
ところが実際の成績を調べると、答えは逆でした。
三十か国、およそ二十万人ぶんのデータで、冷めた見方をする人ほど、読み書きの力も、数を扱う力も低かったのです。
さらに痛いのは、その先にありました。
力のある人ほど、冷笑を使い分けていました。
信用できない相手の前では疑い、信用できる相手には開く。
ところが力の弱い人ほど、相手が誰であろうと一律に疑っていたのです。
冷笑は、賢さの証ではありません。
相手を見分ける手間を省くための、いちばん安い既定値なのです。
誰であれ疑っておけば、考えなくて済みますから。
霊的に見ると、冷笑は鎧です
霊的に見ると、冷笑はよく鎧に似た形をしています。一度でも善意に裏切られた人。
差し出したものがどこかへ消えるのを見た人。
期待して、そのぶん深く傷ついた人。
その人たちが自分を守るために着たものが、この鎧です。
着ている間、痛みは確かに減ります。
何も期待しなければ、裏切られることもない。
ただ鎧は、外から来る矢を止めると同時に、内側へ入ってこようとする光も止めてしまいます。
私自身、長いあいだ人の話を聞いてきて、いちばん厚い鎧を着ている人ほど、いちばん温かいものを受け取れずにいる場面を何度も見てきました。
守りは効いています。
効きすぎているのです。
その言葉を、いちばん近くで聞いている人
ここまでは、冷笑する当人の話でした。けれど私が本当に気になっているのは、その隣にいる人のことです。
テレビに向かって「どうせ偽善だろ」とつぶやくとき、その声は画面の向こうには届きません。
番組を作った人にも、募金を受け取る人にも届かない。
届く範囲にいるのは、同じ部屋にいる家族だけです。
そして子どもは、誰の言葉でも受け取るわけではありません。
嫌いな大人が何を言っても、その言葉は心に入っていかないのです。
入るのは、好きな大人の言葉だけ。
憧れている人、頼りにしている人、その人の口から出た世界の見方を、子どもは丸ごと写し取ります。
慕われている度合いと、伝わる深さは比例します。
つまり、その言葉がいちばん深く刺さるのは、あなたを一番好きな人なのです。
善意を信じる力は、教えて身につくものではありません。
信じている大人がそばにいるかどうかで決まります。
逆もまた同じで、世界を疑う構えは、疑っている大人のそばで育っていきます。
私は、寄付をしなさいと言いたいのではありません。
番組を守りたいわけでもない。
ただ、善意を叩く言葉は、叩かれた相手より、叩いた自分と、自分を好きでいてくれる人のほうに多く残ります。
そのことだけは、覚えておいてほしいのです。
今日からできること
- お金の流れを問う声と、動機を疑うだけの声を、自分の中で分けておく。前者は具体的に問い、後者は口に出さない
- 何かを叩きたくなったら、その言葉が誰の行動を変えるのかを一度だけ考える。誰の行動も変えないなら、言わなくていい言葉です
- 「偽善でもいい」と言えるようにしておく。動機の純度を測る仕事は、私たちの担当ではありません
- 額を決めて、年に一度でいいので実際に出してみる。出す側に回ると、疑いの目の景色が変わります
- 子どもや若い人の前では、世の中の悪意より、誰かが誰かのために動いた話のほうを多く語る
疑ってさえいれば、傷つかずに済みます。
けれど疑いからは、何も生まれません。
生まれるのは、疑いながらもなお少しだけ出してみる、あの小さな勇気のほうです。
売名だと言われた杉良太郎さんが「売名行為に決まってるじゃないですか。売名行為でいいから、あなたもやりなさい」と答えた話を、私は好きです。
動機がどうであれ、届いたお金は誰かの明日になります。
純度を測る係は、天のほうにいます。
あなたが今年、誰かのために動いた小さなことを、どうか自分で否定しないでいてください。
その一つひとつが、あなたを見ている人の世界の見え方を、静かに作り変えています。
あなたの手から出たものが、めぐりめぐって、あなたのところへ温かく帰りますように。
与える幸せ、本当の幸せの正体については、幸福論完全ガイド|本当の幸せの正体と魂を育てる生き方にまとめてあります。
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