昨日の朝、石川と富山に大雨特別警報が出ました。
道路が川のようになり、屋根まで水に沈んだ車や、運転席まで水につかった重機。地震から立ち上がろうとしている土地に、また水が来ています。
被害に遭われた方に、心よりお見舞いいたします。
その半月前が千葉でした。夜のあいだに、川と道路の見分けがつかなくなりました。
空港では大勢の人が足止めされ、駅のまわりでは帰れなくなった人が朝を待ちました。あの雨を、遠い土地の出来事として眺めていませんでしたか。
「うちの県は毎年なんともない」という記憶ほど、当てにならない
千葉の雨も、能登の雨も、テレビの向こう側の話として見ていた方が多いと思います。私も画面を見ながら、これは他の地域の話ではないと感じていました。
今年は、台風の数がもう例年をだいぶ上回っています。しかも生まれる場所が遠い。遠くの暖かい海を長い距離かけて進んでくるので、日本に着くころには育ちきっています。海の温度がいちばん高くなるのはこれからです。八月が終われば一段落、という感覚は今年に関しては通じません。
そのうえ、これまで水害に縁のなかった土地ほど無防備です。水に浸かった経験のない町では、排水路が想定している雨の量そのものが古い。道が舗装されて雨を吸う土が減り、田んぼという天然の貯水池も少なくなりました。
大きな川がなくても、水は出ます。行き場を失った雨が、地面から湧くように上がってくる。千葉で起きたのは、その種類の水でした。
この雨は、まだ終わらないと感じています
昨日の記事で、私は能登半島と房総半島を龍の両手にたとえました。半月のあいだに両の手が水に洗われたことに、意味を感じています。
ここから先は、予報でも統計でもなく、私が霊的に感じていることとして読んでください。この夏の雨は、九月に入っても止まりません。二つの半島で起きたことは、これから列島のあちこちで順に起きていくことの、先ぶれのように見えています。
見えているのは、水が集まろうとしている方向です。川沿いの低い土地、山を背負った集落、それから水はけの悪い都市の窪地。
特定の県名を挙げることはしません。名指しをすれば、名指しされなかった土地の人が安心してしまうからです。今の私に見えているのは、日本のどこであっても順番が回りうる、という一点です。
秋の台風が、その水を運んできます。台風が海の水を持ち上げて、前線がそれを一か所に落とす。この夏に二度見た形が、秋にもう一度、二度と繰り返される。そういう絵が見えます。
同じ列島の上に住んでいるかぎり、どこかの土地に降った雨は、いつか自分の土地に降る雨です。今日、まだ雨の降っていない土地の方に向けて書いています。
「かわいそうに」で終わると、心は観客席に座る
気をつけたいのは、心のほうです。悲しい映像を見て、かわいそうにと思って、そこで話が終わる。そのままテレビを消して、自分の家のハザードマップを見ないまま眠る。この数日、日本中でいちばん多く繰り返された動作は、たぶんそれでしょう。
同情は美しい感情です。ただ、同情だけでは誰の命も守れません。
霊的に見ると、他人事という構えは、自分と世界のあいだに薄い膜を張るような働きをします。膜の内側にいるかぎり、悲しい映像も少し遠くに感じられて、心は疲れません。ただ、その膜は雨を一滴も止めてくれない。守っているのは心の平穏だけで、体と家は膜の外にあります。
今日のうちにできること
スマホひとつで済むことばかりです。今夜のうちに終わらせてしまいましょう。
- 自宅と職場、お子さんの学校のハザードマップを開く。色が塗られていない場所でも、道路が冠水すれば同じことになります。あれは目安であって、境界線ではありません
- 逃げる先と道順を、明るいうちに決めておく。夜の避難は足元が見えず、側溝もマンホールの穴も見えません
- 膝まで水が来る前に動く。膝を超えると、大人でも歩けなくなります
- 車は置いていく。アンダーパスと地下の駐車場には近づかない。氷見でも千葉でも、水没した車の映像が何度も流れました
- 停電と断水に備える。飲み水は少し多めに、モバイルバッテリーは満タンにしておく
- 家族との連絡手段を決めておく。災害用伝言ダイヤルの一七一と、落ち合う場所をひとつ
全部やっても三十分ほどです。その三十分で、家族の生き死にが変わることがあります。
正当にこわがる、ということ
おびえて暮らす必要はありません。天気予報を見るたびに胸がざわついて眠れなくなる、そんな状態はかえって判断を鈍らせます。恐怖は視野を狭くするからです。
私が伝えたいのは、正しい大きさでこわがるということ。備えは、日常を続けるための所作です。傘を持って家を出るのと同じ、静かな手続きにすぎません。
手を打ってある人ほど落ち着いていられますし、落ち着いている人ほど、いざというときに正しく動けます。逃げ遅れる原因の多くは、水そのものより「まだ大丈夫だろう」という迷いのほうにあります。
自分の備えが終わったら、隣の家のことも少しだけ考えてみてください。ひとり暮らしのご高齢の方、足の悪い方、小さいお子さんを抱えた家。「そのときは声をかけますね」と伝えておくだけで、その家の避難は早くなります。
声をかける相手が一人でもいる人は、自分の逃げ足も速くなります。誰かのために動く人は、迷っている時間が短いからです。
能登も千葉も、これから片づけと生活の立て直しという長い時間に入っていきます。遠くにいる私たちにできるのは、その土地の回復を祈ることと、次に名前を呼ばれる土地にならないよう自分の足元を固めておくこと。祈りと備えは、同じところから出てきます。誰にも死んでほしくない、という願いです。
今年の夏は、まだ終わっていません。能登と千葉の一日も早い回復を祈っています。そしてこれを読んでくださっているあなたの土地に、これ以上の雨が降らないことを願っています。どうか、ご無事で。
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