今日10月12日は、スポーツの日です。
もとは体育の日という名前で、1964年の東京オリンピックの開会式が開かれた10月10日を記念した祝日でした。
2000年から10月の第2月曜日に移り、2020年からはスポーツの日と呼ばれています。
体を鍛える事と魂の成長は、どこでつながっているのでしょうか?
瞑想や祈りには熱心なのに、運動となると腰が重くなる。
スピリチュアルな事に惹かれる人ほど、そういう傾向を持っているものです。
霊的に見ると、体を鍛える事は心を明るくするだけでなく、人から向けられる悪い念や生霊をはじく守りにもなっています。
体は魂が今世を生きるための乗り物
魂はこの世に生まれてくるとき、肉体という乗り物を借りて降りてきます。
どれほど腕のいい運転手でも、タイヤの空気が抜けて、エンジンのかかりにくい車では、行きたい所まで走れません。
魂と体の関係もこれと同じで、乗り物が整っていてこそ、魂は生まれる前に決めてきた学びに向かって進めます。
肉体はどうせ仮のものだから手をかけなくていい、という考え方は間違っています。
この世が仮の学び舎であるなら、そこで使う道具の手入れも魂の修行の一部です。
昔の修験者が山を駆け、滝に打たれて体を鍛えたのは、体と心と魂がひとつながりである事を知っていたからでした。
武道が礼に始まり礼に終わるのも、体を鍛える事と心を磨く事を分けて考えなかった名残です。
霊性を求める道は、体を置き去りにしては歩けません。
筋肉がつくと心が前向きになる
体を動かすと気分が上向く事は、医学の世界でもよく知られるようになりました。
運動を続けると気持ちの落ち込みがやわらぐという研究は、国の内外でいくつも発表されてきました。
霊的に見ると、筋肉には魂の光をためておく器のような働きがあります。
筋肉のついた体は、オーラの輪郭がくっきりしていて、内側から外へ押し返す張りを帯びて映ります。
筋肉が落ちてくると、オーラの縁がぼやけ、外からの影響が入り込みやすくなるのです。
階段を数段上がっただけで息が切れる日が続けば、何をするにも、どうせ自分には無理だという気持ちが先に立ってきます。
腕立て伏せが一回増えた、スクワットが十回続けられるようになった、という小さな手応えは、まだやれるという自信に育っていきます。
筋肉は、やった分だけ正直に応えてくれる体の一部です。
努力が目に見える形で返ってくる経験を重ねると、自分を信じる力が戻ってきます。
その自信が、魂がもともと持っている前向きさを表に引き出してくれるわけです。
心を明るくしようと頭で考えても、気持ちはなかなか言う事を聞きません。
先に体を動かせば、心はあとからついてきます。
脂肪がたまると心も沈んでいく
体に余分な脂肪がたまってくると、重くなるのは体だけではありません。
動くのがおっくうになり、出かけるのが面倒になって、人と会う約束も先延ばしにしたくなる。
家にこもる時間が増えれば、同じ考えごとが頭の中をぐるぐる回り、気分も沈む一方です。
動かない体の中では、気の流れが滞ります。
水たまりがよどむと虫がわくように、流れの止まった所には暗い想念が溜まりやすいのです。
体型の良し悪しと、魂の輝きはまったく別のものです。
困るのは、体の重さが心の重さとつながって、その人が本来持っている明るさを押さえ込んでしまう事でしょう。
自分を責める時間があるなら、今日五分だけ体を動かしたほうが、魂の光はずっと早く戻ってきます。
鍛えた体は念や生霊をはじく
生霊とは、生きている人の嫉妬や執着、恨みといった強い思いが、相手のもとへ飛んでいくものです。
本人に送っている自覚がなくても、思いが強ければ念は届いてしまいます。
人から向けられる強い念や生霊は、体の弱っている所、心の沈んでいる所をねらうようにして入り込んできます。
疲れている日に限って、人の何気ない一言が胸に刺さったり、理由もなく肩が重くなったりするのは、そのためでした。
憑依や霊障も、本人の生命力が落ちているときに起こりやすくなります。
体を鍛えている人は生命力そのものが強く、オーラが外に向かって張り出しています。
その張りが、外から入り込もうとする念をはね返す壁になるのです。
苦しい所でもう一回だけ腕を曲げる、息が上がってもあと少しだけ走る、その繰り返しが精神力を育てます。
嫌なものは嫌だときっぱり退ける意志の強さは、こうして体の側から作られていくものです。
清め塩も、ただまいただけでは効き目が薄く、悪いものをはじくという思いを込めたときに力を持ちます。
はじく力の根っこは思いの強さにあり、その思いを下から支えているのが意志の力です。
祈りで光とつながり、体を鍛えて器を強くしておけば、悪い念や霊を寄せつけない張りのある魂を保てます。
今日からできる体の整え方
秋は空気が澄んで、外で体を動かすのにいちばん気持ちのいい季節です。
体を鍛えるのに、ジムに通う必要はありません。
朝起きたらスクワットを十回、エレベーターの代わりに階段、夕方に二十分の散歩、このくらいから始めれば十分です。
続けるこつは、がんばりすぎない事です。
三日で投げ出す激しい運動より、軽い運動を毎日少しずつ重ねるほうが、体にも魂にも力が積み上がっていきます。
歩くときに足の裏が地面をとらえる感覚へ意識を向けると、散歩がそのまま瞑想の時間になります。
体を動かしたあとは、今日もこの体を使わせてもらえた事に、感謝の祈りを一言添えてみてください。
肉体と魂の結びつきは、それだけでも強まっていくものです。
持病のある人や、久しぶりに運動する人は、軽いものから少しずつ始めてください。
体を鍛える事は、魂の乗り物を整え、心を前向きにし、悪い念をはじく霊的な守りを固める事です。
脂肪をため込んで体を眠らせておけば、心も魂の光も一緒に沈んでいきます。
スポーツの日の今日、みなさんも少しだけ体を動かして、魂の光を体の内側から灯していかれてください。
健やかな体という乗り物に乗って、みなさんの魂が今世の学びを力強く進んでいかれる事を願っています。
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