自分をいじめた人や、ひどい言葉を投げてきた人が、何年かたって立場を失ったり、思わぬ病気や怪我に見舞われたりする。
そういう場面を一度ならず見てきた方から、これはどういう因果の巡りなのでしょうか、という質問をいただいた事があります。
学生時代のいじめ、職場での理不尽な扱い、つらい時期に浴びせられた心ない言葉と、受けたものは人によって違います。
それでも相手のその後を見て、偶然では片付けられないと感じた人は多いはずです。
反対に、いじめた人が何の報いも受けず、むしろ順調に暮らしているように見えて、悔しさを抱えたままの方もいるでしょう。
いじめた人は本当に報いを受けるのか、受けるならそれはいつなのか、霊的に見えている事をお伝えします。
いじめた人の報いは必ず本人に返る
因果応報は、物理の世界の原因と結果の法則と同じものです。
投げたボールが必ずどこかに落ちるように、人にした事は、いつか必ずその人のところへ返ってきます。
霊的な法則ですから、立場が強くても、口がうまくても、そこから逃れられる人は一人もいません。
いじめは、相手の心に痛みを刻む行いです。
刻んだ痛みは、刻んだ本人の魂にも同じだけ書き込まれています。
人は亡くなったあと、自分の一生を振り返る場面で、自分が傷つけた相手の側に立って、その痛みをそのまま味わう事になるのです。
臨死体験から戻った人たちが、国や宗教の違いを越えて語ってきた話でもあります。詳しくは死後の審判の前に生きているうちにすべきことに書きました。
いじめた側がとうに忘れていても、魂の帳簿からは一行も消えていないのです。
いじめは、手を下した本人だけのものでもありません。
周りで笑っていた人、見て見ぬふりをした人にも、それぞれの重さで記録が残ります。
ただ、怖くて止められなかった人と、面白がって加わった人とでは、魂に刻まれるものがまるで違います。
今世で返る人と来世へ持ち越す人
ただ、この世で目に見える形で報いが返ってくるのは、ほんの一部です。
ほとんどの場合、その清算は来世以降へ持ち越されます。
人を踏みつけたまま裕福な一生を終えたように見える人も、魂の帳簿がそこで閉じられたわけではありません。
すぐに返ってこないのには、わけがあります。
報いが遅れているあいだは、本人が自分のした事に気づいて改めるための猶予の時間でもあるのです。
いじめた事を心から悔いて相手に詫び、人を助ける側に回った人は、来世へ持ち越すはずだった借りの多くを今世のうちに返していきます。
反対に、自分は悪くないと言い張ったまま年を重ねた人ほど、晩年や来世で重い形の清算を迎えます。
哲学者のカントは、この世では善い行いと幸福が釣り合わない事から、魂の不死と来世を考えなくてはならないと説きました。
この世だけで因果が完結していない事が、そのまま来世がある事の裏付けになっています。
では、なぜ人によっては今世のうちに、はっきりと返ってくるのでしょうか。
霊的に見ると、念の強い人や、力のある守護霊が付いている人の周りでは、因果がこの世のうちに返りやすくなります。
ここでいう念の強さとは、思った事を現実の形にしていく力の強さの事です。
そういう人のいる場は鏡のようになっていて、持ち込まれた悪意は、放った本人のところへ早く跳ね返っていきます。
いじめられている子を庇ったばかりに自分が標的になった、というような人は、損を承知で光の側に立った魂です。
そうした魂には強い守りが付いている事が多く、その守りの中で起きた理不尽は、長く寝かされずに返されていきます。
いじめた相手が次々と立場を失っていくのを見てきた人は、それだけ守られてきた人でもあるのです。
相手の報いを願わなくていい理由
こう書くと、いじめた相手が痛い目にあう日を待ち望む気持ちが湧く方もいるでしょう。
それだけの事をされたのですから、無理もありません。
けれども、相手の不幸を願う思いは、願った本人の魂を重くします。
恨みの念は相手に向けて放っているつもりでも、放った側の心にいつまでも残り、同じような出来事を何度も引き寄せてしまうからです。この仕組みは他人を苦しめた報いは必ず自分に還るでも取り上げています。
報いを下すのは、こちらの役目ではありません。
相手を許せないうちは、無理に許そうとしなくてかまいません。
まずは恨む事をやめて、相手の事を考える時間を少しずつ減らしていく、それだけで十分です。
許しは、そのあとから自然についてきます。
宇宙の法則は、こちらが手を下さなくても、寸分の狂いもなく働き続けています。
だから相手の事は法則に任せて、自分の心を自分の人生のほうへ向け直していいのです。
私のところにも、ネットで批判の言葉が届く事があります。
読んで腹が立つより、気の毒に感じてしまうのが正直なところです。
その言葉がいずれどこへ返っていくのかを、知っているからです。
匿名だから大丈夫だと思って人を攻撃する人は後を絶ちませんが、霊界では匿名でいられるものなど一つもありません。
この怖さを知る人が増えれば、世の中のいじめはそれだけで減っていくはずです。
傷ついた側の魂に返ってくるもの
理不尽を受けた側にも、返ってくるものがあります。
つらい経験を通して前より強くなった、今ではあの頃にも意味があったと思える、という方は少なくありません。
受けた苦しみを魂の糧に変えられた人は、霊的に一段上がっています。
いじめた人たちが魂の借りを背負ったのと同じ時間に、いじめられた側には光の貯えが積まれていたのです。
これも因果応報の、もう一つの顔です。
痛みを通った人は、同じ痛みを抱えている人の気持ちが、言われなくても分かるようになります。
その優しさは、来世へも持っていける魂の財産です。
ただ、いま渦中にいる方は、意味を探す前に、まず自分の身を守ってください。
逃げる事は恥ではなく、魂を守るための勇気ある撤退です。いじめを受けやすい魂の特徴と身の守り方は、いじめのスピリチュアルな意味とスターシードにまとめています。
学校でも職場でも、信頼できる人や相談窓口に打ち明けて、その場所から離れる道を選んでかまいません。
雨が上がったあとの水たまりには、澄んだ空が映ります。
嵐の最中には見えなくても、通り抜けた先で、受けた苦しみは別のかたちで報われていきます。
いじめた人が報いを受けるのは、霊的な法則として確かな事です。
今世で返る人もいれば来世へ持ち越す人もいますが、放ったものが本人に戻るという事実は変わりません。
そして傷ついた側には、その苦しみを光に変えた分だけ、魂の成長という報いが返ってきます。
相手が何の報いも受けていないように見えて眠れない夜も、どうか自分の魂を曇らせずに、光の側に立ち続けてください。
その選択は必ず守られ、必ず報われていきます。
みなさまの魂が光の側で守られていく事を、心から祈っています。
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