今日で、アメリカ同時多発テロからちょうど二十五年になります。
あの朝に燃え上がった戦いの炎は、なぜ四半世紀がたった今も中東で消えずにいるのでしょうか?
2001年9月11日の朝、ハイジャックされた四機の旅客機のうち三機がニューヨークの世界貿易センタービルとワシントンの国防総省に突っ込み、残る一機はペンシルベニアの野原に墜ちました。
亡くなった方は、およそ三千人です。
犠牲になられた方々と、そのあとに続いた戦争で命を落としたすべての人の魂が、光の世界へ導かれている事を祈ります。
日本では夜の十時前の出来事で、そのあとの中継でツインタワーが崩れ落ちるのを見て、声を失った人も多かったはずです。
炎が消えない理由は、爆撃の映像や石油の値段のさらに奥、千年近く前から続く宗教の記憶の中にあります。
911からイラク戦争、そしてイランとの戦いへ
テロからひと月もたたない2001年10月、アメリカはアルカイダをかくまったとしてアフガニスタンへの攻撃を始めました。
2003年3月にはイラク戦争に踏み切り、フセイン政権を倒しています。
捕らえられたフセイン元大統領は、2006年の暮れに処刑されました。
開戦の理由に掲げられた大量破壊兵器は、最後まで見つかっていません。
首謀者とされたウサーマ・ビン・ラーディンはサウジアラビアの生まれで、イラクと911のテロを結ぶ証拠も出てこなかったのです。
テロのひと月あまり前、2001年8月6日に大統領へ上げられた情報報告に、ビン・ラーディンがアメリカ国内での攻撃を決意しているという表題が付いていた事も、のちに公開されました。
真珠湾攻撃のときと同じく、国民の怒りが一気に開戦へ向かう流れが出来ていった事は、こちらでは四年前にも書いています。
もうひとつ見過ごせないのが、テロの五日後に当時のブッシュ大統領が、テロとの戦いを十字軍という言葉で呼んだ場面です。
イスラム世界から激しい反発を受け、ホワイトハウスはこの言葉をすぐに引っ込めました。
とっさに口をついて出た一語には、国の魂の奥にしまわれてきた記憶が顔を出します。
そしていま、アメリカが戦っている相手はイランです。
2026年2月28日、アメリカとイスラエルはイランへの大規模な攻撃を始めました。
4月にいったん停戦が結ばれたものの、7月に崩れ、9月に入った今もホルムズ海峡でタンカーへの攻撃とミサイルの応酬が続いています。
1979年の革命からイランはイスラム法学者が国を導く体制を取り、アメリカを大悪魔と呼び続けてきた国です。
開戦がラマダンの月と重なったため、イランの国営メディアはこの戦いをラマダン戦争と名づけました。
アフガニスタン、イラク、そしてイラン。
911からの二十五年は、キリスト教を土台に建てられたアメリカが、イスラムの国々と戦い続けた年月でもありました。
霊的に見ると、石油や国益の計算の奥に、八百年以上前の宗教戦争の記憶が重なって映ります。
トランプ大統領の前世リチャード1世と十字軍の記憶
こちらでは今年3月に、トランプ大統領の前世がイングランドの獅子心王リチャード1世である事をお伝えしました。
リチャード1世は十二世紀の終わりに第三回十字軍を率い、聖地エルサレムの奪還をめざしてイスラムの英雄サラディンと戦った王です。
エルサレムを目前にしながら城内に入る事は叶わず、1192年にサラディンと和平を結んで国へ帰っています。
その果たせなかった誓いが、エルサレムをイスラエルの首都と認めて大使館を移したトランプ大統領の決断に流れ込んでいると、前の記事では書きました。
十字架を掲げて戦った騎士たちの魂と、三日月の旗の下で迎え撃った戦士たちの魂が、八百年の時を越えてふたたび中東で向かい合っています。
国の名前は変わっても、戦いの型は十字軍の頃とよく似ているのです。
ただ、獅子心王の生涯には剣を振るった記憶だけでなく、敵将と手を結んだ記憶も刻まれています。
サラディンとの和平によって、キリスト教の巡礼者は武器を持たずにエルサレムを訪れる道を得ました。
私はこの戦いのニュースを見るたびに、あの和平の場面のほうに希望を感じます。
トランプ大統領の魂がその記憶を思い出し、今世では和平を結んだ指導者として名を残す事を願っています。
自分の宗教だけが正しいという固執が、火種を残し続ける
ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、アブラハムを信仰の父と仰ぐ兄弟の宗教です。
アラビア語を話すキリスト教徒は、神をアッラーと呼んで祈ります。
同じ唯一の神を仰ぎながら、どの預言者の言葉を最後の啓示とするかで道が分かれ、互いを異教徒と呼んで千年以上も血を流してきました。
十字軍の騎士もジハードを叫ぶ戦士も、神のために命を懸けると信じて戦場に立った人たちです。
信仰の強さは魂を神へ向かわせる尊い力ですが、その力が他の信仰を裁く刃に変わった時に、戦争が生まれます。
どちらの側も自分たちの宗教こそ正しく相手は間違っていると固く握りしめているので、停戦を結んでも火種は灰の下に残るのです。
聖書とコーランを並べて読むと、同じ事が書かれている箇所に出会います。
新約聖書の使徒言行録で、ペテロは、神は人を分け隔てせず、どの国の人でも神を畏れて正しい事を行う者を受け入れてくださると悟ったと語りました。
コーランの第49章には、神が人間をさまざまな民族や部族に分けたのは、互いに知り合うためだという一節があります。
二つの聖典は、民族や国の違いで人を分けない神の姿を、それぞれの言葉で伝えてきたのです。
真理は虹のように、ひとつの光が色を分けて見えている
根源の光である神は、すべての人間と万物の上に、分け隔てなく注がれています。
その光を地上に述べ伝えたのが、イエスやムハンマド、お釈迦様のような救世主や預言者たちでした。
伝える人の魂の性質によって、また生まれた時代と土地の人々に届く言葉を選んだために、教えにはそれぞれの個性が出ています。
砂漠を旅する民に語られた教えと、ローマの支配の下で語られた教え、インドの森で語られた教えが、同じ言い回しになるはずがありません。
ニュートンはプリズムを使って、太陽の白い光が赤から紫までの色に分かれる事を示しました。
虹の赤と青は別々の光に見えても、もとをたどれば一つの太陽の光です。
霊的な目で見れば宗教の違いも同じ仕組みで、根源の光が時代と地域というプリズムを通り抜け、違う色に見えているのです。
インド独立の父ガンジーは、宗教とは同じ一点に向かって集まる別々の道であり、同じ目的地に着くならどの道を通ってもかまわないと書き残しました。
人類の意識は、いま二つの段階の境目に立っています。
一つめは、これこそが真実で他は間違っていると信じ、自分の色だけを光と呼ぶ段階です。
二つめは、赤も青も緑も同じ光から分かれた色だと知り、相手の祈りの中にも自分と同じ神の光を見つけられる段階です。
人類の魂がこの二つめの段階へ進まなければ、どれほど停戦の署名を重ねても、火種は次の時代へ持ち越されます。
虹の真理に目覚める人が一人また一人と増えていった時、長く続いた争いは少しずつ止んでいきます。
911から25年の今日、私たちに出来る事
戦場から遠く離れた日本で暮らしていても、光の側に立つために出来る事があります。
- 911の犠牲者と、アフガニスタン、イラク、イラン、イスラエル、アメリカで亡くなったすべての人のために、宗教や国を分けずに一分間祈る
- 中東のニュースを見てどちらが正しいかを決める前に、双方の街で暮らす家族の姿を思い浮かべる
- 自分とは違う宗教の聖典や祈りの言葉を一つ読み、自分の信じる教えと同じ光が書かれていないかを探す
- 家族や職場で意見がぶつかった時、相手の考えを自分とは違う色をした同じ光として受け止める
- 虹を見かけたら、一つの光が七つの色に分かれて見えている事を思い出す
911から始まった二十五年の戦争は、石油や国益の争いであると同時に、十字軍の頃から続く宗教戦争の記憶を引きずった戦いでもありました。
自分の宗教だけを正しいとする段階を越え、根源の光が虹のように分かれて見えていると知った時に、人類は長い戦いの歴史を終える事が出来ます。
二十五年前に失われた命と、いまも中東で失われていく命のすべてが光に抱かれ、一日も早く和平の朝が訪れますように。
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