10月23日、巨人の新しい監督に松井秀喜さんが就任しました。
背番号は90です。
長嶋茂雄さんが監督として最初の六シーズンに背負った番号で、記者会見では、本当は長嶋監督にもこの姿を見ていただきたかったと口にしていました。
日米通算507本塁打の大打者が、24年ぶりに古巣へ帰ってきた事になります。
ただ、こちらで取り上げたいのは野球の話だけではありません。
松井さんの実家は祖母が開いた宗教法人で、父の昌雄さんはその二代目を務めています。
人格者として知られる松井さんの土台には、その家で受け継がれてきた、子どもを神様の子として敬う教えがありました。
松井秀喜監督の歩み、石川の怪童からワールドシリーズMVPまで
松井さんは1974年、石川県根上町(いまの能美市)に生まれました。
星稜高校では一年生から四番を打ち、三年夏の甲子園では明徳義塾との試合で五打席続けて敬遠され、高野連が会見を開くほどの騒ぎになりました。
その時も表情を変えずに一塁へ歩いた姿は、のちに小学校や中学校の道徳の副読本にまで取り上げられています。
1992年のドラフトでは四球団が一位で指名し、くじを引き当てたのが、この年に巨人の監督へ戻ったばかりの長嶋茂雄さんでした。
巨人での十年間に332本の本塁打を打ち、リーグMVPに三度選ばれ、2002年には50本塁打に届いています。
2003年にヤンキースへ移り、2009年にはワールドシリーズで日本人として初めてのMVPに輝きました。
2012年に現役を退き、翌年に国民栄誉賞を受けています。
記者には誰にでも同じように応じ、グラブを毎日磨き、人の悪口を言わない。
数字以上に、その振る舞いで敵味方を問わず慕われてきた打者です。
長嶋茂雄さんとの縁と、果たされた約束
ドラフトで巨人に決まった時、子どもの頃から阪神ファンだった松井さんは、会見で複雑な表情を見せていました。
それが長嶋さんから直接電話をもらい、すんなり巨人入りを決めています。
入団すると長嶋さんは、三年で球界を代表する打者に育てる千日計画を立てました。
東京ドームの練習場で、遠征先ではホテルの自分の部屋で、松井さんに素振りをさせ、バットが空を切る音だけを聞いて良し悪しを見分けたといいます。
引退の会見で、いちばんの思い出を聞かれた松井さんが挙げたのも、長嶋監督と二人で素振りをした時間でした。
2013年の国民栄誉賞は師弟そろっての受賞で、東京ドームの始球式では長嶋さんが打席に立ち、2021年の東京五輪の開会式では、聖火を手にした長嶋さんの体を松井さんが支えながら歩きました。
その長嶋さんは2025年6月3日、89歳で亡くなっています。
訃報のあと長嶋さんのもとを訪ねた松井さんは、二時間あまり恩師と二人きりで過ごし、生前に約束した事がある、その約束を果たしたいと語っていました。
長嶋さんはかねてから、巨人のOBとして、いつか松井さんに監督になってほしいと願っていたと報じられています。
背番号90は、その約束への答えです。
霊的に見ると、亡くなった方と残された人の縁は、死で途切れるものではありません。
肉体を離れた魂は、地上に残した思いがひとつずつ果たされていくのを、光の側から見届けています。
師が育てた弟子が師の番号を背負ってグラウンドに立つ事ほど、霊界にいる指導者の魂を喜ばせるものはないと、私は思います。
祖母・松井瑠璃寿さんが開いた瑠璃教会
ここからは松井家の話です。
祖母の松井瑠璃寿さんは本名をみよさんといい、根上町で絹織物の工場を営む夫を支えていました。
工場は二十人を超える女性が住み込みで働くほど栄えていましたが、夫婦はお金儲けより人助けがしたいと事業をたたみ、名古屋の天祖光教という教団に移り住んで宗教家の道に入ります。
そして1953年に独立して根上町へ戻り、宗教法人瑠璃教会を開きました。
瑠璃寿さんは若い頃から霊感の強い方で、手を当てて病を癒やし、先を見通す力で人々の悩みに応えたと伝えられています。
65歳の時、当時27歳だった昌雄さんを養子に迎えました。
昌雄さんは小松製作所に21年勤めたのち、1978年に会社を辞め、瑠璃教会の二代目を継いでいます。
秀喜さんは、その昌雄さんの次男として生まれました。
子どもは神様の子、だからさん付けで呼ぶ
瑠璃教会は、まじないや霊験よりも、倫理や哲学、人としての生き方を重んじ、とくに弱い立場の人を救う事に力を注いできたとされています。
子育てについては、二つの教えが知られています。
一つは、子どもは親の子であって親の子ではなく、神様の子どもである、だから子どもを粗末に扱う事は許されないという教えです。
もう一つは、子どもも大人も霊的な段階は同じで、年齢は関係がない、だから子どもを呼ぶ時もさん付けで呼ぶべきだという教えです。
昌雄さんは実際に、幼い秀喜さんをひでさんと呼んで育てました。
上京した息子へ送り続けたファクスや手紙は二百通を超え、そのどれもが秀さんへという呼びかけで始まっていたそうです。
小学三年の時には、努力できる事が才能であるという言葉を筆で書き、息子の勉強机の前に貼りました。
中学二年の夕食の席で、秀喜さんが友だちの悪口を口にした時、昌雄さんは箸を置き、人の悪口を言うような醜い事はするなと諭して、二度としないと約束させています。
松井さん自身、父との約束だからと、それ以来一度も人の悪口を言った事がないそうです。
この二つの教えは、霊的に見ると同じ一つの真理を指しています。
魂は年齢では測れません。
小さな体に宿っていても、その魂は幾度も生まれ変わりを重ね、今世の学びのために、この親のもとを選んで生まれてきています。
親が子を一人の魂として敬えば、子どもは自分が大事にされている事を肌で感じながら育ち、その安心がそのまま、他人を敬う力に変わっていきます。
どんな相手にも礼を尽くす松井さんの姿は、敬われて育った魂が、受け取ったものを外へ返している姿なのです。
教えをどう受け取るか
ここで一つお断りしておきます。
この記事は瑠璃教会への入信をすすめるものではなく、教団そのものの良し悪しを論じるものでもありません。
信仰は、外から眺めただけでは分からない部分の多いものです。
それでも、家庭で受け継がれた教えの一部が、松井さんという人の成り立ちに力を貸してきた事は、本人や父親が残してきた言葉から確かに読み取れます。
しかもその教えの中身は、どの宗教にも属さないまま暮らしの中で実践出来るものです。
子どもの名前に、さんを付けて呼んでみる。
叱る時にも、自分の持ち物としてではなく、神様から預かった魂として向き合う。
それだけで、親子の間に流れる空気は変わりますし、子どもの魂に届く言葉も変わってきます。
松井秀喜さんは、長嶋茂雄さんという師にバットを鍛えられ、祖母から父へと受け継がれた教えに心を鍛えられた人です。
子どもを神様の子として敬う家で育った魂が、今度は監督として、大勢の若い選手の魂を預かる立場に立ちました。
選手を一人の魂として敬う監督のもとで、巨人に新しい黄金時代が訪れる事を願っています。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
よろしければ下のバナーを1日1回押してください。
人気ブログランキング
このブログでお伝えしているのは、魂の旅路への入口となる話です。
もっと深く学びたい方、満月の一斉ワークに加わりたい方は、スピリチュアルスクールでほぼ毎日メッセージをお届けしています。
ブログには書けない霊的な実践も、ここでお話ししています。
関連記事

新刊『ソフィアの森で見つけた幸せの鍵』