熊本で大きな地震が起きました。七月二十八日、宇城市と氷川町で震度七を観測し、亡くなった方は三十八人と発表されています。
県内の七つの市と町では、今も六万九千戸あまりで水が止まったままです。避難所で夜を過ごしている方は九千人を超えます。
猛暑のさなかの断水です。飲み水を少しずつ口に運び、汗を流すこともできない。地元紙にはそんな声が並んでいました。まず何より、一日でも早く水が戻ることを願っています。
私は熊本から離れた場所にいて、画面の前に座っているだけです。何もできない後ろめたさを抱えたまま台所に立って、蛇口をひねりました。
水が出ます。冷たい水が、当たり前に出ます。
その音が、その日はやけに大きく聞こえました。いつもと同じ水なのに、いつもと違って響いた。理由ははっきりしています。同じ国の、同じ夏の空の下に、その音が鳴らない台所がたくさんあると知ったからです。
そこから、長いあいだ忘れていたことを思い出しました。
水くみを担うのは、多くの場合、女性と女の子です。往復に何十分もかかる道を、容器を抱えて歩きます。二十リットルの水は、そのまま二十キロ。米袋を二つ担いで坂道を上るのと変わりません。それを朝と夕方、毎日。
削られるのは体力だけではないでしょう。学校の時間、畑の時間、家族と話す時間。水そのものより、水にかかる時間が人生を削っていきます。しかも、そうして運んだ水が安全だとはかぎらない。
私たちが「非常時」と呼ぶ状態が、その人たちにとっての火曜日であり、水曜日です。
暑さも同じでしょう。日本より暑い土地で、冷房という機械そのものを見たことがない人がいます。日陰と、風の通り道と、水を含ませた布。しのぐ道具はそれだけ。夜になっても気温の下がらない季節を、その三つで越えていく。
戦後まもない一九五〇年、日本の水道普及率は二十六パーセントでした。四人に三人が、蛇口のない家に住んでいた計算になります。井戸から汲み、風呂の水を運び、雨を溜める。祖父母の世代には、その手ざわりが残っています。
いまは九十八パーセント。七十年ほどのあいだに、ほとんどの家の壁の中を水が通るようになりました。
つまり、私たちが生まれつき持っていたつもりのものは、実際にはついこのあいだ手に入れたばかりのものです。人類の歴史から見れば、まばたきほどの時間しか経っていない。父や祖父が並んで運んだ水の重さを、私は一度も持ったことがないだけです。
「世界にはもっと大変な人がいる」という言葉ほど、いま水を失っている人の役に立たないものはないと思うからです。喉が渇いている人に必要なのは水であって、比較ではない。誰かの苦しみを、別の誰かの苦しみで薄めることもできません。
だからこの文章は、安全な場所で冷房の風にあたっている自分に向けて書いています。読み手に説教をしたいのではなく、自分の目からうろこが落ちた、その音の話をしています。
蛇口をひねれば水が出る。スイッチを入れれば涼しくなる。夜になれば灯りがつく。この三つが揃った家で暮らしていると、それは背景に沈みます。空気と同じで、あることに気づけない。
人の慣れは、おそろしく速い。新しい家に越した日の感動は一週間で薄れ、手に入れたものは翌月には前提に変わります。これは怠慢ではなく、そういう作りなのだと思います。いちいち感動していたら、朝の支度も終わらない。
ただ、そのぶん私たちは、自分が何に支えられているのかを一行も思い出さないまま一日を終えています。
姿を見せるのは、途切れたときだけ。
老子に「上善は水の如し」という言葉が残っています。もっともよいあり方は水のようなものだ、と。水は万物をうるおしながら、自分の手柄を主張しない。低いほうへ低いほうへと流れて、争わない。
若いころは、ただ美しいだけの比喩だと思っていました。いまは少し違って読めます。水が尊いのは、譲るからというより、誰にも気づかれないまま働きつづけるからではないか。気づかれないことが、そのはたらきの完成形なのだと。
コップに注ぐとき。手を洗うとき。風呂の栓を抜くとき。そのたびに、これは誰かが夜通し働いて通してくれている水だと思う。浄水場があり、ポンプがあり、地面の下を管が走っている。造った人がいて、直す人がいて、今この瞬間も点検している人がいる。その全員を知らないまま、私は毎日、仕事の結果だけを受け取ってきました。
熊本でも、いま道路を掘り起こして管をつないでいる人たちがいます。給水車を回している人がいる。夜通し電話を受けている人がいる。その仕事は、うまくいけばまた見えなくなります。見えなくなることが、その仕事の成功の形なのでしょう。
感謝という言葉は、使いすぎて少し薄くなっています。だから別の言い方をします。
見えるようになること。
ありがたいと唱えるのではなく、そこに何が支えとして立っているのかが見えるようになること。見えれば、手は自然に動きます。歯をみがくあいだ水を出しっぱなしにしない。風呂の残り湯を洗濯や庭にまわす。涼しい部屋の中で、暑い場所にいる誰かのことをほんの少し思う。募金の画面を、閉じずに最後まで進める。
どれも小さいことです。けれど、見えていなければ、一つも起こらない。
魂という言葉で言い直すなら、豊かさは持っている量では決まらないのだと思います。同じ蛇口の前に立って、何も感じない人と、水の向こうに人の手を見る人がいる。受け取れる器の大きさが、その人の生きている世界の大きさになる。器は、たぶん、鍛えられます。
熊本に水が戻るまで、まだ時間がかかります。八代、宇城、宇土、上天草。名前の挙がった土地には、それぞれの台所があり、それぞれの喉がある。
私にできるのは、遠くから水の戻る日を願うことと、自分の手元の水を粗末にしないこと。ほんとうにそれくらいです。けれど、それくらいのことを、覆いが外れているあいだにきちんとやっておきたい。
やがて水が戻り、暑さが去り、蛇口の音がまた背景に沈んでいったあとも、あの日の大きな音を覚えていられるように。
被災された地域に、一日も早く水が届きますように。そして、これを読んでくださっているあなたの今日の一杯が、いつもより少しおいしく感じられますように。
↓一日一回のクリックが、このブログの灯を守ってくれます猛暑のさなかの断水です。飲み水を少しずつ口に運び、汗を流すこともできない。地元紙にはそんな声が並んでいました。まず何より、一日でも早く水が戻ることを願っています。
私は熊本から離れた場所にいて、画面の前に座っているだけです。何もできない後ろめたさを抱えたまま台所に立って、蛇口をひねりました。
水が出ます。冷たい水が、当たり前に出ます。
その音が、その日はやけに大きく聞こえました。いつもと同じ水なのに、いつもと違って響いた。理由ははっきりしています。同じ国の、同じ夏の空の下に、その音が鳴らない台所がたくさんあると知ったからです。
そこから、長いあいだ忘れていたことを思い出しました。
世界の四人に一人は、蛇口を持っていない
ユニセフとWHOの集計では、安全に管理された飲み水を使えない人が世界に二十一億人います。ざっと四人に一人。川や湖から直接くんでいる人も、一億人あまり。水くみを担うのは、多くの場合、女性と女の子です。往復に何十分もかかる道を、容器を抱えて歩きます。二十リットルの水は、そのまま二十キロ。米袋を二つ担いで坂道を上るのと変わりません。それを朝と夕方、毎日。
削られるのは体力だけではないでしょう。学校の時間、畑の時間、家族と話す時間。水そのものより、水にかかる時間が人生を削っていきます。しかも、そうして運んだ水が安全だとはかぎらない。
私たちが「非常時」と呼ぶ状態が、その人たちにとっての火曜日であり、水曜日です。
暑さも同じでしょう。日本より暑い土地で、冷房という機械そのものを見たことがない人がいます。日陰と、風の通り道と、水を含ませた布。しのぐ道具はそれだけ。夜になっても気温の下がらない季節を、その三つで越えていく。
七十年前の日本も、同じ場所に立っていた
そう遠い国の話でもありません。戦後まもない一九五〇年、日本の水道普及率は二十六パーセントでした。四人に三人が、蛇口のない家に住んでいた計算になります。井戸から汲み、風呂の水を運び、雨を溜める。祖父母の世代には、その手ざわりが残っています。
いまは九十八パーセント。七十年ほどのあいだに、ほとんどの家の壁の中を水が通るようになりました。
つまり、私たちが生まれつき持っていたつもりのものは、実際にはついこのあいだ手に入れたばかりのものです。人類の歴史から見れば、まばたきほどの時間しか経っていない。父や祖父が並んで運んだ水の重さを、私は一度も持ったことがないだけです。
これは、被災された方に向けた話ではありません
ここで、書きながら気をつけていることを記しておきます。「世界にはもっと大変な人がいる」という言葉ほど、いま水を失っている人の役に立たないものはないと思うからです。喉が渇いている人に必要なのは水であって、比較ではない。誰かの苦しみを、別の誰かの苦しみで薄めることもできません。
だからこの文章は、安全な場所で冷房の風にあたっている自分に向けて書いています。読み手に説教をしたいのではなく、自分の目からうろこが落ちた、その音の話をしています。
恵みは、働いているあいだ姿を見せない
恵みというものは、うまくできていて、機能しているあいだは姿を見せません。蛇口をひねれば水が出る。スイッチを入れれば涼しくなる。夜になれば灯りがつく。この三つが揃った家で暮らしていると、それは背景に沈みます。空気と同じで、あることに気づけない。
人の慣れは、おそろしく速い。新しい家に越した日の感動は一週間で薄れ、手に入れたものは翌月には前提に変わります。これは怠慢ではなく、そういう作りなのだと思います。いちいち感動していたら、朝の支度も終わらない。
ただ、そのぶん私たちは、自分が何に支えられているのかを一行も思い出さないまま一日を終えています。
姿を見せるのは、途切れたときだけ。
老子に「上善は水の如し」という言葉が残っています。もっともよいあり方は水のようなものだ、と。水は万物をうるおしながら、自分の手柄を主張しない。低いほうへ低いほうへと流れて、争わない。
若いころは、ただ美しいだけの比喩だと思っていました。いまは少し違って読めます。水が尊いのは、譲るからというより、誰にも気づかれないまま働きつづけるからではないか。気づかれないことが、そのはたらきの完成形なのだと。
感謝、という言葉を使わずに言うと
この数日、私は水を使うたびに少し手が止まります。コップに注ぐとき。手を洗うとき。風呂の栓を抜くとき。そのたびに、これは誰かが夜通し働いて通してくれている水だと思う。浄水場があり、ポンプがあり、地面の下を管が走っている。造った人がいて、直す人がいて、今この瞬間も点検している人がいる。その全員を知らないまま、私は毎日、仕事の結果だけを受け取ってきました。
熊本でも、いま道路を掘り起こして管をつないでいる人たちがいます。給水車を回している人がいる。夜通し電話を受けている人がいる。その仕事は、うまくいけばまた見えなくなります。見えなくなることが、その仕事の成功の形なのでしょう。
感謝という言葉は、使いすぎて少し薄くなっています。だから別の言い方をします。
見えるようになること。
ありがたいと唱えるのではなく、そこに何が支えとして立っているのかが見えるようになること。見えれば、手は自然に動きます。歯をみがくあいだ水を出しっぱなしにしない。風呂の残り湯を洗濯や庭にまわす。涼しい部屋の中で、暑い場所にいる誰かのことをほんの少し思う。募金の画面を、閉じずに最後まで進める。
どれも小さいことです。けれど、見えていなければ、一つも起こらない。
魂という言葉で言い直すなら、豊かさは持っている量では決まらないのだと思います。同じ蛇口の前に立って、何も感じない人と、水の向こうに人の手を見る人がいる。受け取れる器の大きさが、その人の生きている世界の大きさになる。器は、たぶん、鍛えられます。
熊本に水が戻るまで、まだ時間がかかります。八代、宇城、宇土、上天草。名前の挙がった土地には、それぞれの台所があり、それぞれの喉がある。
私にできるのは、遠くから水の戻る日を願うことと、自分の手元の水を粗末にしないこと。ほんとうにそれくらいです。けれど、それくらいのことを、覆いが外れているあいだにきちんとやっておきたい。
やがて水が戻り、暑さが去り、蛇口の音がまた背景に沈んでいったあとも、あの日の大きな音を覚えていられるように。
被災された地域に、一日も早く水が届きますように。そして、これを読んでくださっているあなたの今日の一杯が、いつもより少しおいしく感じられますように。
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