明日から秋の彼岸に入ります。
田の畔がこれから一週間ほど赤い線になりますが、あの花を見て、どこか落ち着かない気持ちになった事はないでしょうか。
死人花、幽霊花、地獄花。彼岸花には地方ごとの呼び名が数百から千を超えると数えられていて、その多くが死にまつわる名前です。
ところが、あの花が墓地と田の畔にばかり咲いている事には、はっきりした理由があります。
彼岸花が墓地と畔に多いのは、人が植えたからです
日本の彼岸花は三倍体で、正常な卵細胞も精細胞も作れません。
種ができない植物なので、球根が地中で分かれる以外に増える道がありません。
いま赤く咲いている場所は、どこであれ、かつて誰かが球根を掘って運び、そこへ埋めた場所です。
球根にはリコリンという毒が含まれています。ネズミやモグラがこの毒を嫌うので、畔に植えておくと穴を開けられずに済みます。畔に穴が開けば田の水は抜けて、その年の米が採れません。
墓地に並んでいるのも同じ理屈でした。土葬だった時代、埋めた人を獣が掘り返さないように、村の人が球根を運んで囲みました。亡骸を荒らされる事は、まだ近くに留まっている魂を傷つける事でもあると考えられていたからです。
飢饉の年には、その球根を流れる水に何日もさらして毒を抜き、食べていました。人の命を最後につないだのは、この花の根です。
死人花と呼ばれてきた花は、田を守り、亡骸を守り、飢えた年には人を食べさせていました。
葉と花が、一度も出会いません
彼岸花は、花が立つとき一枚も葉を付けていません。
赤い花が終わってから細い葉が伸びてきて、冬のあいだ緑のまま過ごし、春に枯れていきます。
花は葉を見ず、葉は花を見ない。この植物を見てきた人たちは、葉見ず花見ずという呼び名をこれに付けました。
霊的に見ると、これは一つの生のなかで此岸と彼岸を同時には見られない事の形です。
肉体を持って生きているあいだ、向こう側は見えません。向こうへ渡れば、今度はこちらの手触りが遠くなります。
どちらも同じ球根から出ているのに、地上で鉢合わせる事だけがありません。
魂の側から見れば、この二つは切れておらず、地中でつながったまま順番に出ているだけです。渡り終えた方々が向こうでどう過ごしているかは光の世界に帰ったご先祖様の記事に書きました。見えないほうにも光が差しているという事を、彼岸花は毎年その形で見せています。
毒は、境目に置かれた印です
畔は、田と山の境目です。
墓地は、生きている者の土地と、死んだ者の土地の境目です。
彼岸花が立っているのは、どちらも境目でした。
毒があるので、人も獣もそこから先へ不用意に踏み込みません。境目というのは、生きている魂が誰でもいつでも通ってよい場所ではないのです。
通ってよい時期は決まっていて、それが年に二度の彼岸の七日間です。この七日間に川幅がいちばん細くなる事についてはお彼岸の記事に書きました。
赤い色は、その境目の位置を教える目印です。ここから先は違う土地だと、遠くからでも分かるように立っています。
昔の人は理屈を持っていませんでしたが、置く場所だけは間違えませんでした。
彼岸花を家に持ち帰ると火事になる、という言い伝えが各地に残っています。火事花という呼び名まで付いた土地もあります。
赤い花の色から火を連想したという話になっていますが、実際に効いていたのは毒のほうです。子供が球根を掘って口に入れれば命に関わるので、持ち帰るなという強い禁止の形にして伝えたのです。
理由を説明する代わりに怖い話にして渡す。昔の言い伝えには、この手のものがたくさん混ざっています。彼岸花が不吉な花として語られてきた背景にも、同じ仕組みが働いていました。
曼珠沙華は、天から降った花の名です
彼岸花のもう一つの名を、曼珠沙華といいます。
これは梵語で、赤い花、あるいは葉に先立って赤い花を咲かせる、という意味を持つ言葉です。
もとは法華経に出てくる天の花の名前でした。釈迦が法華経を説いたとき、天がそれを祝って四つの花を降らせたとされ、そのうちの一つが曼珠沙華です。
死人花と名付けた人々と、天上の花の名を重ねた人々は、同じ日本人です。
一つの花に地獄の名と天の名を両方与えて、どちらも捨てずに千年持ってきました。この振れ幅そのものが、彼岸花が境目の花である事の証拠だと考えています。
ゲーテは、死して成れ、と書きました。死を一度くぐらないものは、この地上で曇った客のまま終わるという意味です。
彼岸花の球根は、夏のあいだ地中で眠っています。葉を全部枯らし、地上から姿を消してから、茎だけを立ち上げて花を開きます。手放したあとにしか、あの赤は出てこないのです。
魂の歩みも同じ順番で進みます。握っていたものを置いた人から順に、次の光が差してきます。地上で失ったと見える出来事が、霊的には花を立てる前の準備にあたる事は少なくありません。
花言葉の再会と、白い彼岸花
彼岸花の花言葉には、情熱、独立、あきらめ、悲しい思い出といった言葉が並びます。
そのなかに、再会という言葉が入っています。
葉と花が地上で出会わないまま、それでも同じ球根から順番に出てくる姿を見て、誰かがこの言葉を当てました。会えないのに切れていない関係の事を、この花はずっと表してきたわけです。
見送った人との間柄も、同じ形をしています。姿は見えなくなり、声も届かなくなりますが、魂の根のところでつながったままです。
赤のほかに、白い彼岸花を見かける事があります。
白いものは彼岸花とショウキズイセンが交わって生まれた別種で、赤より数が少なく、群れの中に数本だけ混じって立っている事が多いものです。
霊的に見ると、白は赤より一段静まった色で、境目そのものではなく、境目を渡り終えたあとの光に近い色です。赤い群れの中に白が混じっているのを見つけたら、その年は見送った方の話を誰かとしておいてください。
彼岸花が目に入ったとき
お彼岸に入ると、亡くなった人を思い出す回数が自然と増えていきます。墓の前に立つ事そのものが霊的に何を起こすかはお墓参りの記事にまとめています。
その時期に彼岸花が急に目につくのは、こちらの意識が境目のほうを向いている合図です。
花が呼んでいるのではなく、呼ばれる側の魂の準備が整った、という順番になります。先に動くのはいつもこちら側です。
彼岸花は折らずに置いてきてください。球根に毒があるので、持ち帰る習慣は昔から戒められてきました。写真に一枚収めておけば、それで足ります。
彼岸花は、人が暮らしを守るために境目へ並べた花です。
葉と花が一度も出会わない姿で、見えないものが無いわけではないという事を毎年見せてくれます。不吉と呼ばれた千の名前の隣に、天から降った花の名がずっと並んできたのは、この花が両方の世界に足をかけているからです。
この七日間にみなさまが見る赤が、境目の向こうにいる方々へ思いを運ぶ目印となり、その光が魂の帰り道を照らしてくれますよう祈っています。
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