今朝、あなたはもう何回、災害のニュースを開いたでしょうか。
コロンビアで大きな地震がありました。
熊本の揺れも、まだ収まりきっていません。
そして今日、台風15号が関東に上陸しようとしています。
画面を閉じたのに、胸のあたりだけがざわついたまま戻らない。そんな朝を迎えている人も多いのではないでしょうか。
先に一つだけ、はっきり書いておきます。
その落ち着かなさは、あなたが弱いからでも、考えすぎだからでもありません。感じ取る力がきちんと働いている、その証拠です。
ただ、その力を野放しにすると、今日一日ぶんの体力まで持っていかれます。だから今日は、災害そのものではなく、災害との距離の取り方を書きます。
なぜ、遠くの災害のニュースで、これほど不安になるのか
昔の人が知ることのできた災いは、せいぜい隣の村までの話でした。今は違います。地球の裏側で崩れた建物の映像が、数分後には手のひらの中で動いている。
人の心は、そこまで広い範囲を引き受けるようには作られていません。処理しきれない量の悲しみが流れ込んでくれば、飲み込めずに胸のあたりで滞ります。あの重さの正体は、たいていこれです。
霊的に見ると、そこにもう一段別の事情が重なります。
人の意識は、私たちが思っているほどきれいに分かれていません。誰かの恐怖は、細い糸を伝うようにして、こちらへ届きます。
感受性の高い人ほど、ニュースを見ていない時間まで落ち着かない。会ったこともない人の不安を、自分の不安と混ぜて抱えてしまうからです。
ここで効いてくるのが、「知る」と「引き受ける」を切り離すという作業。
知ることは大切です。けれど、知ったすべてを自分の背中に載せる義務は、誰にもありません。
災害のニュースが怖い|「次は自分かもしれない」という声の正体
災害のニュースを見たあと、胸に浮かぶ声を、二つに分けてみてください。一つは、備えにつながる恐れ。「水は何本あっただろう」「あの棚は倒れないだろうか」。この恐れは手を動かす方向へ進むので、行き止まりになりません。
もう一つは、想像だけが太っていく恐れです。まだ起きていない場面を頭の中で何度も再生して、そのたびに本当に消耗する。こちらはどこにも着地しません。
霊的に見ると、後者はこれから使うはずの生命力を、先に払ってしまっている状態です。
起きていない出来事のために今日の力を使い切ってしまえば、本当に何かが起きたときに動く力が残っていない。恐れることが悪いのではなく、恐れの置き場所が違うだけなのです。
私自身、先日震度7の夢のことを書きました。
あれは誰かを怖がらせるために書いたものではありません。備えを一段だけ上げてほしくて書きました。
知らせることと、脅すこと。この二つは似た顔をしていますが、行き先がまるで違います。前者は人を動かし、後者は人を固まらせます。
八百年前にも、災害が続く日々を生きた人がいます
鴨長明の『方丈記』をご存じの方も多いでしょう。あの短い随筆には、彼が生きているあいだに実際に起きた災いが並んでいます。都を焼いた大火、家々を巻き上げた辻風、人が次々に倒れた飢饉、そして元暦の大地震。
地震のくだりで長明は、山が崩れて川を埋め、海が傾いて陸を浸したと書き残しました。
八百年前の京都でも、災いは重なるときには重なっています。
そのとき長明がしたのは、小さな庵を結び、見たことを書き留めることでした。
彼は災いの連続を「そういう時代に生まれ合わせた」と受け止め、そのうえで自分の暮らしの火を落とさなかった。私たちが今日引き継げるのは、たぶんこの姿勢のほうです。
災いが続く時期は、歴史の中で何度も来ています。そのたびに人は、恐れながらも米を炊き、子を寝かしつけ、翌朝また起きてきました。あなたにもそれができます。
ニュースを見すぎても、安心は出てきません
ソローは森の小屋で二年あまり暮らし、その記録を『ウォールデン』に残しました。その中に、新聞で記憶に残るような知らせを読んだ覚えは一度もない、という一節があります。
百七十年以上前の言葉ですが、スマートフォンを置けない私たちのことを言い当てているようにも読めます。
もちろんソローは、知らせを断てと言ったわけではありません。量をいくら増やしても、心のほうは養われない。そう言いたかったのだと思います。
地震や台風のニュースを見すぎているあいだ、私たちは安心を探しているつもりでいます。けれど手が求めているのは刺激のほうです。
だから何度画面を下に引いても、安心は出てきません。かわりに、心拍だけが上がっていく。
安心が生まれる場所は決まっています。手を動かしたところです。
ペットボトルを一本足す。玄関の懐中電灯の電池を確かめる。家族に一本連絡を入れる。どれも地味ですが、この地味さだけが不安を実際に減らします。
台風15号|今日、動く前に確かめたいこと
台風15号は、今日11日のうちに関東へ上陸し、東日本を横断する見込みです。そのまま北陸方面へ抜けるという、珍しい進み方をしています。お盆の帰省や旅行と、まっすぐ重なりました。
移動の予定がある方は、判断を夕方まで持ち越さないことをおすすめします。
夕方になると、変更できる選択肢そのものが減ります。宿もチケットも、動かせるうちに動かすほうが楽です。
新幹線や高速道路の計画運休、通行止めは、家を出る直前ではなく、出発を決める前に確認しておきたいところ。風が強くなってからでは、駅に着いてから足止めということになりかねません。
そして、これだけは覚えていてください。増水した川や用水路を見に行かないこと。毎年、この確認のために命を落とす方がいます。あなたの目で見なくても、水位はきちんと計測されています。
雨と風の中で暮らしを守る具体的な備えは、昨日書いた台風15号と関東の防災という記事にまとめました。あわせて読んでいただけたらと思います。
遠くの被災地に、私たちができること
コロンビアにも、ベネズエラにも、私たちの手は直接は届きません。届かないものを見つめ続けると、心はただ削れていきます。
だから、気持ちに形を与えて手放すのがいい。
祈るなら、時間を決めて祈る。寄付するなら、金額を決めて送る。そこで一度、区切りをつけます。
これは冷たさではありません。自分の生活を保てなくなった人に、誰かを助ける力は残らないからです。
祈りそのものの働き方については、集合的カルマの記事で詳しく書きました。
今日からできること
- ニュースを見る時刻を決める。朝と夕方の二回で足ります。眠る前は開かない
- 移動の変更は午前中に判断する。迷ったら行かない、を今日の基準にする
- 備えを一つだけ足す。水でも、電池でも、玄関前の片付けでもかまいません
- 遠くの被災地には、祈りか寄付という形を与えて、そこで区切る
- 気にかかっている人に、短い連絡を一本入れる
それでも、朝は来ます
災いのニュースが続くと、世界そのものが壊れかけているように見えてきます。けれど同じ日に、コロンビアの瓦礫の下から人を掘り出している人がいて、熊本で炊き出しをしている人がいて、風の中を点検に走っている人がいます。ニュースはそちらをあまり映しません。
壊れる力と、直そうとする力。この世界には、いつも両方が働いています。あなたが今日感じている胸のざわつきも、じつは後者の側から出てきたものです。どうでもいい相手のことなら、人はざわつきません。
その優しさを、消耗ではなく行動のほうへ流してあげてください。
今日一日、あなたとあなたの大切な方が、どうか無事に過ごせますように。明日の朝も同じ食卓に着いていられることを、心から祈っています。
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