今朝、震度7の夢を見ました。
七月二十八日の熊本の地震から、まだ十日あまりです。
なぜ、いまになって同じ揺れを見たのでしょうか。特に熊本と関東にお住まいの方には、今日か明日のうちに寝室の足元を整えていただきたいと思っています。
その理由を書きます。
目が覚めたあと、しばらく天井を見ていました。
こういう夢を見た朝は、たいてい体が重くなります。
七月二十八日に熊本で起きた地震では、宇城市と氷川町で震度7が観測され、日奈久断層帯という活断層が動いたと発表されました。
いまも余震の続くなかで眠れずにいる方、家に戻れないままの方がおられます。
その重さを思うと、夢の話を書いてよいものか迷いました。踏ん張っている方の背中を、押すどころか押し倒すことになりはしないか。
それでも書くことにしたのは、黙っていて、あとから「知っていたのに」と思うほうが私にはこたえるからです。
はじめにお断りしておきます。熊本で起きたことと今朝の夢とを、原因と結果でつなぐつもりはありません。
夢の詳しい中身は、ここには書きません。断定的に土地の名を並べれば、それは占いではなく風評になります。
そのうえで、私自身の感覚として、熊本と関東が気にかかっています。
熊本については、動いた断層のそばで地盤がまだ落ち着いていないという、素人にも想像のつく理由からでしょう。
関東のほうは、理屈より先に感覚が来ました。統計や確率の話をしたいのではありません。地面の下がざわついている、という感触が消えないのです。
霊的にみますと、土地には人の想念が層になって溜まります。人が多く集まり、急いで働き、休むことを忘れている場所ほど、その層は厚くなっていきます。
関東は、日本のなかでその層がいちばん厚い土地です。地殻の話と想念の話は別のものですが、私にはこの二つが、まったく無関係だとも思えません。
それがいつなのかは分かりません。分からないからこそ、いま整えておくことに意味があります。
ひとつは、もう動かしようのない流れが、そのまま像になって届くもの。
もうひとつは、このまま進めばこうなる、という警告として届くものです。
私が見てきたかぎり、後者のほうが圧倒的に多いのです。
高い視点から見れば、地上の出来事は「決まったこと」ではなく「起こりやすくなっていること」として見えています。
私たちが日々選んでいることの積み重ねが、その起こりやすさを上げたり下げたりしている。
だからこそ、まだ動かせる段階のものが、夢という形で先に知らされます。動かせないものを、わざわざ見せる意味はありません。
『易経』に、安くして危うきを忘れずという一節があります。
安らかなときにこそ、危うさを頭の隅に置いておきなさい、という意味です。
恐れながら暮らせという教えではありません。落ち着いているときにしか、備えは整えられないという、きわめて実務的な忠告です。
宮沢賢治は『農民芸術概論綱要』に、世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない、と書きました。
自分の家さえ無事ならいい、という構え方では、いざというとき町は保ちません。隣の家の家具が倒れれば、道は塞がります。
備えは、自分のためであると同時に、その道を通って助けに来る誰かのためでもあるのです。
あれは当てるために書いたのではありません。現実にならないために書きました。
予言というものを、私は的中率を競うゲームだと思っていません。進路を変えるためのハンドルだと思っています。
的中して喜ぶ予言者がいるとしたら、それは霊的にはいちばん貧しい姿でしょう。
ですから今朝の夢についても、私は「当たります」とは書きません。
このまま何もしなければ、そちらに転がりやすい。そう書きます。
そして、転がりにくくするためにできることが、いくつもあります。
家族との取り決めも、複雑にするといざというとき誰も覚えていません。連絡がつかなければどこに集まるか、一箇所だけ決めておけば足ります。
熊本の映像を見て「うちも危ない」と感じた方は多いはずです。その気持ちが薄れないうちに、家具の金具を一組だけでも買ってください。完璧にやろうとすると、たいてい何もしないまま終わります。
祈りについても、ひとつだけ。「起きませんように」と怯えながら念じると、その恐れの波がかえって場を揺らします。恐れは共鳴して大きくなる性質を持っているからです。
そうではなく、被災地でいま働いている方々の手元が守られるように、と具体的に向けてください。祈りは、対象がはっきりしているほど届きます。
今日のうちに済ませていただきたいのは、この四つです。
備えを終えたら、日常に戻ってください。洗濯をして、ごはんを作って、笑ってください。
魂は、怯えているときよりも落ち着いているときのほうが、はるかに正確に危険を察知します。
常に緊張している人間は、本当の合図が来たときにそれを聞き分けられません。
備えたら、忘れる。これが警告を受け取る側の、いちばん健やかな作法です。
私も今日は、いつもどおりに仕事をします。
あなたも、どうかいつもどおりに過ごしてください。そのうえで、寝室に靴を一足。それだけ、お願いします。
熊本で、そして各地でいま踏ん張っておられるすべての方に、静かな眠りが戻りますように。
↓一日一回のクリックが、このブログの灯を守ってくれますその理由を書きます。
今朝、震度7の夢を見ました
夢のなかで私は、また震度7が起きてしまった、と思っていました。目が覚めたあと、しばらく天井を見ていました。
こういう夢を見た朝は、たいてい体が重くなります。
七月二十八日に熊本で起きた地震では、宇城市と氷川町で震度7が観測され、日奈久断層帯という活断層が動いたと発表されました。
いまも余震の続くなかで眠れずにいる方、家に戻れないままの方がおられます。
その重さを思うと、夢の話を書いてよいものか迷いました。踏ん張っている方の背中を、押すどころか押し倒すことになりはしないか。
それでも書くことにしたのは、黙っていて、あとから「知っていたのに」と思うほうが私にはこたえるからです。
はじめにお断りしておきます。熊本で起きたことと今朝の夢とを、原因と結果でつなぐつもりはありません。
夢の詳しい中身は、ここには書きません。断定的に土地の名を並べれば、それは占いではなく風評になります。
そのうえで、私自身の感覚として、熊本と関東が気にかかっています。
熊本については、動いた断層のそばで地盤がまだ落ち着いていないという、素人にも想像のつく理由からでしょう。
関東のほうは、理屈より先に感覚が来ました。統計や確率の話をしたいのではありません。地面の下がざわついている、という感触が消えないのです。
霊的にみますと、土地には人の想念が層になって溜まります。人が多く集まり、急いで働き、休むことを忘れている場所ほど、その層は厚くなっていきます。
関東は、日本のなかでその層がいちばん厚い土地です。地殻の話と想念の話は別のものですが、私にはこの二つが、まったく無関係だとも思えません。
それがいつなのかは分かりません。分からないからこそ、いま整えておくことに意味があります。
なぜ、こうした夢が届くのか
霊的にみますと、未来の映像が届くときには二つの種類があります。ひとつは、もう動かしようのない流れが、そのまま像になって届くもの。
もうひとつは、このまま進めばこうなる、という警告として届くものです。
私が見てきたかぎり、後者のほうが圧倒的に多いのです。
高い視点から見れば、地上の出来事は「決まったこと」ではなく「起こりやすくなっていること」として見えています。
私たちが日々選んでいることの積み重ねが、その起こりやすさを上げたり下げたりしている。
だからこそ、まだ動かせる段階のものが、夢という形で先に知らされます。動かせないものを、わざわざ見せる意味はありません。
『易経』に、安くして危うきを忘れずという一節があります。
安らかなときにこそ、危うさを頭の隅に置いておきなさい、という意味です。
恐れながら暮らせという教えではありません。落ち着いているときにしか、備えは整えられないという、きわめて実務的な忠告です。
宮沢賢治は『農民芸術概論綱要』に、世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない、と書きました。
自分の家さえ無事ならいい、という構え方では、いざというとき町は保ちません。隣の家の家具が倒れれば、道は塞がります。
備えは、自分のためであると同時に、その道を通って助けに来る誰かのためでもあるのです。
予言は、当てるためのものではありません
私は以前、『アースチェンジ 近未来の警告書』という本のなかで、中東とウクライナに核の炎が上がると書きました。あれは当てるために書いたのではありません。現実にならないために書きました。
予言というものを、私は的中率を競うゲームだと思っていません。進路を変えるためのハンドルだと思っています。
的中して喜ぶ予言者がいるとしたら、それは霊的にはいちばん貧しい姿でしょう。
ですから今朝の夢についても、私は「当たります」とは書きません。
このまま何もしなければ、そちらに転がりやすい。そう書きます。
そして、転がりにくくするためにできることが、いくつもあります。
今日からできること
大きな揺れのあと、多くの人が最初に困るのは、割れたガラスの上を歩けないことです。枕元に靴があるかないかで、その後の数時間がまったく変わります。家族との取り決めも、複雑にするといざというとき誰も覚えていません。連絡がつかなければどこに集まるか、一箇所だけ決めておけば足ります。
熊本の映像を見て「うちも危ない」と感じた方は多いはずです。その気持ちが薄れないうちに、家具の金具を一組だけでも買ってください。完璧にやろうとすると、たいてい何もしないまま終わります。
祈りについても、ひとつだけ。「起きませんように」と怯えながら念じると、その恐れの波がかえって場を揺らします。恐れは共鳴して大きくなる性質を持っているからです。
そうではなく、被災地でいま働いている方々の手元が守られるように、と具体的に向けてください。祈りは、対象がはっきりしているほど届きます。
今日のうちに済ませていただきたいのは、この四つです。
- 寝室の枕元に、水と靴を置く
- 家族と落ち合う場所を、一箇所だけ決める
- 倒れたら困る家具を一つ選んで、固定する
- 不安からではなく、愛情をもって祈る
備えたら、忘れる
こういう話を読んだあと、心がざわついたまま数日を過ごす方がおられます。それは、いちばんもったいない受け取り方です。備えを終えたら、日常に戻ってください。洗濯をして、ごはんを作って、笑ってください。
魂は、怯えているときよりも落ち着いているときのほうが、はるかに正確に危険を察知します。
常に緊張している人間は、本当の合図が来たときにそれを聞き分けられません。
備えたら、忘れる。これが警告を受け取る側の、いちばん健やかな作法です。
私も今日は、いつもどおりに仕事をします。
あなたも、どうかいつもどおりに過ごしてください。そのうえで、寝室に靴を一足。それだけ、お願いします。
熊本で、そして各地でいま踏ん張っておられるすべての方に、静かな眠りが戻りますように。
応援いただいたあなたに、幸せが届きますように祈ります
このブログでお伝えしているのは、魂の旅路への入口となる話です。
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