2025年7月28日月曜日

魂の成長と公共の福祉──「善くあろうとする」もう一つの段階



スピリチュアルな道を歩む中で、私たちはまず「願いを叶えたい」という個人的な願望から目覚めを始めます。

その事を先日「ご利益信仰から魂の成長へ──スピリチュアルな目覚めへの第一歩」という記事で述べました。

その時お話ししたように、それは魂の旅の大切な入り口です。

しかし、魂の成長はそこで止まりません。

その次に待っているのは、「自分さえよければいい」という意識を超え、「みんなのために」「公共のために」生きるという学びの段階です。

個人の利益から、公共の福祉へ

現代社会では、個人の自由や権利、そして「自分らしさ」を尊重する風潮が高まっています。

それ自体は素晴らしいことです。

けれども、自由とわがままの境目は、ときに曖昧になります。

「自由だ」と言って好き放題にふるまうことが、他人の自由を奪ってしまうこともあるのです。

魂はやがて、そうした矛盾に気づき始めます。

「本当の善とは何か?」

「個人の幸せと、社会の調和はどう両立するのか?」

その問いこそが、次なる成長の扉です。

歴史が教える「公共優先」の時代

人類の歴史を振り返ると、個人の欲求を抑えて、公共の福祉を優先するよう求められた時代が、何度も存在しました。

たとえば江戸時代の「寛政の改革」や「天保の改革」。

幕府は贅沢を禁じ、質素倹約を奨励しました。

庶民だけでなく、武士や商人にも厳しい倹約令が課せられ、華美な装い、贅沢な食事、無駄な娯楽などが取り締まられたのです。

また、第二次世界大戦中の日本でも、「ぜいたくは敵だ」というスローガンのもと、個人の嗜好品や贅沢品の製造・消費が制限されました。

それは物質的に見れば、非常に厳しい時代だったかもしれません。

けれど、精神的に見れば、「自分の欲より、みんなの命を守ることが大切だ」という意識が共有されていた時代ともいえます。

厳しさの中で育まれる「魂の品格」

このような厳しい時代は、表面的には不自由で辛いものに見えるかもしれません。

しかし魂の観点から見ると、それは非常に貴重な学びの機会です。

なぜなら、「欲望のままに生きる自由」とは対照的に、「欲望を律し、他者や社会に調和して生きる」という内的な品格が求められるからです。

そうした環境で育まれるのは、魂の節度、自己抑制、規律、そして利他的な精神です。

魂は、時としてあえて厳しい環境を選びます。

それは、自由だけでは学べない「節度」と「公共意識」を、深く体得するためです。

現代における新たな問いかけ

では、個人の自由が尊重される今の時代は、魂の成長にとって意味がないのでしょうか?

もちろん、そんなことはありません。

むしろ現代は、「自由な環境の中で、いかに自発的に節度と愛を選べるか」が問われている、より高度な魂の試練といえます。

誰もが贅沢できる状況の中で、あえて質素を選ぶ。

好きにふるまえる環境の中で、あえて他人のために自分を律する。

それは、外から強制された規律よりも、はるかに尊い「内なる規律」です。

魂の次なるステージへ──善き社会の一員として

「個人の幸せ」と「公共の福祉」は、本来、対立するものではありません。

魂が成熟するにつれ、私たちは気づきます。

「自分だけが満たされても、本当の意味で幸せにはなれない」と。

だからこそ、魂は次のステージへと進みます。

自分の幸せを守りながら、同時に他者の幸せも願う。

自分の自由を楽しみながら、社会全体の調和にも配慮する。

そのバランスの中に、より高次のスピリチュアルな生き方があるのです。

今、もしあなたが「自分のために生きること」だけに違和感を感じ始めているなら──

それは、魂が新たな段階へと進もうとしているサインかもしれません。

この世界で、善き一員として、優しく、節度ある光を放ちながら生きていく。

それは、魂にとってとても美しい学びであり、成長の証なのです。


著書『アースチェンジ——近未来の警告書では、これから訪れる地球の変革について書いています

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