八十一年前の今日、広島の空を一発の閃光が走りました。
あの朝を境に、人類は自分の手で自分を滅ぼせる生き物になったのです。
そして今年の一月、終末時計の針は「残り八十五秒」を指しました。人類史上、真夜中にもっとも近い数字です。
針をそこまで進めたのは、遠い国の誰かなのでしょうか。
私は『アースチェンジ 近未来の警告書』という本の中に、中東とウクライナに核の炎が上がる、と書きました。
いま、その二つの場所で何が起きているかを思うと、書いた者として心穏やかではありません。
ただ、あの本のタイトルに「予言書」ではなく「警告書」という言葉を選んだ理由を、今日という日にどうしても伝えておきたいのです。
終末時計の針は、人類史上もっとも真夜中に近い
終末時計というのは、核物理学者たちが人類滅亡までの残り時間を象徴的な時刻で示す、あの時計です。一九四七年に「残り七分」で動き始めました。冷戦の緊張がゆるんだ一九九一年には「十七分」まで戻っています。
それが今年一月、八十五秒。前年の九十秒から、さらに五秒進みました。
理由として挙げられたものを並べてみます。
ロシアとウクライナの戦争で核兵器の使用がほのめかされ続けていること。インドとパキスタンのあいだで軍事衝突が起きたこと。イスラエルと米国がイランの核施設を空爆したこと。そして米ロの核軍縮条約が失効すること。
その条約は、今年二月に本当に期限を迎えました。
半世紀にわたって続いてきた米ロの核軍備管理が、これで事実上の終わりを迎えたのです。
いま地球の上には、配備される核弾頭の数を縛る条約が一本もありません。数十年ぶりの状態です。
ロシア大統領府の報道官は、核抑止力についてこう述べています。世界大戦から世界を守っているのは、それだけだ、と。
核があるから戦争が起きない。その論理を、核を持つ側が公然と口にするようになりました。
一つ一つは、スマートフォンの画面を数秒で流れていくニュースにすぎません。
けれど並べて眺めたとき、そこに一つの形が浮かび上がってきます。
『アースチェンジ 近未来の警告書』に書いた、二つの炎
私があの本に中東とウクライナのことを書いたのは、言い当てて拍手をもらうためではありませんでした。予言を的中させることが目的なら、タイトルは「予言書」でよかったはずです。
そうしなかったのは、書いた内容が現実にならないために書いたからです。
霊的に見ると、未来は一本のレールとして敷かれているわけではありません。
私自身に見えているものを、いちばん近い言葉で言うなら、台風の進路予想図に似ています。
いまの気圧配置のまま進めば、この道を通る。そういう「傾き」が見えるのです。
進路予想が外れたとき、誰も残念がりません。むしろ全員が胸をなでおろします。
警告というのは、本来そういう性質のものでしょう。
外れることを願いながら、それでも声を上げる。当たったときに得をする人は、一人もいません。
予言は、変えるために差し出される
旧約聖書に、ヨナという預言者の話があります。神から「ニネベの町は四十日後に滅びると告げよ」と命じられた男です。
彼はその言葉を町に告げました。すると王から民まで、全員が悔い改めた。
そして町は滅びませんでした。
このあとが面白いところです。ヨナは喜ぶどころか、腹を立てて神に抗議します。自分の預言が嘘になったではないか、と。
預言者としての面目が潰れたわけです。
けれど、あの物語が数千年も語り継がれてきた理由は、まさにそこにあります。
告げられた滅びが回避されたとき、預言は失敗したのではありません。役目を果たしたのです。
未来を告げる言葉には、告げられた瞬間にその未来を書き換える力が宿ります。
聞いた人が動くからです。
だから私は、自分の書いたことが外れることを心から願っています。
なぜ人類は、核の炎に向かって歩いているのか
ここからは、霊的に見るとこの状況がどう映るかをお話しします。核抑止という考え方の中心にあるのは、恐怖です。
相手が撃てないのは、撃ち返されるのが怖いから。だから怖がらせ続けなければならない。
この理屈は、成立しているあいだは静かです。破綻した瞬間に、すべてを失います。
そして恐怖を燃料にした平和は、燃料が切れるまで加速をやめられません。
カントは二百年以上前、『永遠平和のために』という小さな本の中で、常備軍はいずれ全廃されるべきだと書きました。
軍備は他国を絶えず脅かし、脅かされた側はさらに軍備を増やす。終わりのない競争になる、というのです。
二世紀を経て、その競争の道具が核になりました。構造のほうは何も変わっていません。
霊的に見ると、核兵器はある一つの意識の結晶として映ります。
「あちら側」と「こちら側」を、絶対に交わらないものとして切り分ける意識です。
相手を同じ命を持つ者だと感じているうちは、その意識が形になることはありません。
相手を数字や脅威としてしか見なくなったとき、初めてボタンに手が届きます。
老子は武器のことを「不祥の器」と呼びました。めでたくない道具、という意味です。
やむを得ず用いて勝ったとしても、喪に服するようにして帰るべきものだ、とも説いています。
勝利を祝う心が生まれたとき、人は人を殺すことを喜べるようになってしまう。二千年以上前に、そこまで見抜いていたのです。
広島と長崎の記憶が、八十一年、世界を守ってきた
一九四五年以降、核兵器は実戦で一度も使われていません。これを当たり前のことだと思わないでいただきたいのです。
危機は何度もありました。キューバでも、冷戦下の誤警報でも、人類は紙一重のところを通ってきました。
それでも一線を越えなかったのは、条約の文言が強かったからではありません。
広島と長崎で何が起きたのかを、生き延びた人たちが語り続けたからです。
熱線を浴びた皮膚のこと。水を求めて川に折り重なった人たち。何十年も経ってから発症した病。
その証言が、世界中の指導者の背中に手を置いてきました。
核のタブーを支えてきたのは、法律ではなく記憶です。
そして記憶を語れる人が、年々少なくなっています。
私が今日いちばん恐れているのは、じつはそのことなのです。
語り手が消えたあとの世界で、あの光がただの兵器の性能表になってしまう。それがいちばん怖い。
核戦争を止めるために、今日からできること
こう書くと、では個人に何ができるのかと思われるでしょう。国際情勢は遠く、自分の一日は小さい。その感覚はよく分かります。
けれど集合意識というのは、一人ひとりの心の状態が集まって出来上がっているものです。政治家の判断も、その海の上に浮かんでいます。
今日から手をつけられることを挙げます。
- 今日、一分だけ手を止める 八月六日の今日と、九日の長崎の日。それぞれ一分でかまいません。黙って、あの朝に心を向けてみてください。祈りには方向があります。向けた先に、確かに届きます。
- 恐怖を、恐怖のまま流さない 物騒な見出しを見ると、そのまま人に転送したくなります。その一手を止めてみてください。不安は伝染し、伝染した不安の総量が社会の判断力を下げます。情報は追ってかまいません。追い方を、怯えから関心へ変えるだけです。
- 「あの国が悪い」で止めない どちらか一方を悪者にして終わらせると、そこで思考が止まります。悪者を仕立てる心こそが、核兵器を生んだ心と同じものです。あの国の中にも、今日の空を見上げて怯えている親子がいます。そこまで想像が届けば、あなたの中の分離は少し溶けます。
- 半径五メートルの戦争を一つ終わらせる 意地を張ったまま口をきいていない相手。連絡を絶ったままの家族。大きな戦争の縮図が、そこにあります。一つ終わらせると、世界の分離が本当に一つ減ります。大げさに聞こえるでしょうが、私は本気で書いています。
- 現実的な備えを淡々と進める 霊的な話と、水や食料の備蓄は矛盾しません。ホルムズ海峡の情勢は、これから日本の物価とエネルギーに効いてきます。慌てず、少しずつ。備えのある人は、いざというとき人を助ける側に回れます。
- 語り継ぐ お子さんやお孫さんに、広島や長崎の話をしてください。うまく話せなくてかまいません。「この日に何があったか知ってる?」の一言で足ります。記憶を渡すことが、いまいちばん実効性のある平和活動です。
それでも、未来は書き換えられる
これまで何度か、起きてほしくない未来のことを書いてきました。そのいくつかは現実になっています。これまで書いてきた予見と、それが現実になった経緯は的中予言まとめに一覧があります。核の危機そのものについては2026年・核戦争予言が現実化する前に読む話にも書きました。
けれど、書いたことがすべて起きたわけではありません。
途中で流れが変わり、そのまま何事もなく過ぎていったものもあります。誰にも気づかれないまま、静かに回避された未来があるのです。
それを起こしたのは、超能力でも大物政治家でもありませんでした。
名前も知らない大勢の人が、それぞれの場所で少しだけ違う選択をする。その総和です。
八十一年前の今日、広島の朝は地獄になりました。
けれど同じ日に、瓦礫の中で他人に水を分けた人がいます。自分の火傷も見ずに人を運んだ人がいます。
人間は、あの光を作れる生き物であると同時に、あの朝にそういうことができる生き物でもあるのです。
どちらを選ぶかは、まだ決まっていません。
私が本に警告を書いたのは、決まっていないと知っているからです。
あなたが今日ここまで読んでくださったこと自体、すでに一つの選択でしょう。
その静かな選択が集まっていく先に、私は本気で希望を置いています。
八十一年目の今日、あなたの一分の祈りが、まだ書かれていない未来のほうへ確かに届きますように。
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