2019年12月7日土曜日

黒柳徹子さんと美輪明宏さんを繋ぐ不思議な縁


黒柳徹子さんは日本のテレビ誕生とともに誕生されたテレビタレントで、今もって現役で活躍されている生きる伝説のような凄い方です



長寿のテレビ番組「徹子の部屋」の司会者として有名で、同一司会者によるトーク番組の最多放送世界記録保持者だそうです

平和活動家としても有名で、ユニセフの親善大使もされています

他にもパンダ好きが有名で、日本でパンダ人気の先駆けとなられた方です

そして累計800万部を記録し、戦後最大のベストセラーとなっている『窓ぎわのトットちゃん』の作者でもあります


黒柳さんは子供の頃から好奇心旺盛すぎて、授業中に窓から身を乗り出してツバメに話かけたり、机のフタの開閉を100回ぐらい繰り返したり、教室の窓から大声でチンドン屋を呼んだりしたのだそうです

そのため小学校の先生に親が呼ばれて注意され、結局1年で退学となったそうです

徹子さんの母親が、退学させられない学校として見つけたのが、トモエ学園でした

この学校は自由教育の提唱者である手塚岸衛氏が1928年に創立し、その後を小林宗作氏が1937年に引き継いだかたちで創設します

小林氏は子供の個性と自主性を尊重する教育を実践しました

はじめに当学校に行って、小林先生と対面した徹子さんは、「何でも話してごらん」と言われて、4時間くらい話し続けたといいます

そして話すことが無くなったといった徹子さんに「では今日から君はこの学校の生徒だ」と言いました

この時、徹子さんは生まれて初めて本当に好きな人に出会えたような、幸せな気持ちになったといいます

小林氏は学校で徹子さんを見かけると毎日のように、「君は、本当はいい子なんだよ」と言葉をかけました

この言葉が徹子さんの支えになったようです

「もし、トモエに入ることがなく、小林先生にも逢わなかったら、私は、恐らく、なにをしても、『悪い子』、というレッテルを貼られ、コンプレックスにとらわれ、どうしていいかわからないままの、大人になっていた、と思います」と述べられています

おそらく黒柳徹子さんは、今でいう注意欠陥・多動性障害(ADHD)の傾向性をお持ちの子供だったのでしょう

自分の関心のあるものに集中して周りが見えなくなったり、じっとしていられず動き回り、一人でとうとうとおしゃべりをするような傾向がADHDにはあります

こうした傾向のある子供の場合には、どうしても先生などから扱いの難しい子供とされて、叱られることが多く、そのため劣等感を強く持つことがあります

徹子さんの場合には、小林先生のいる学校に巡り合う事で、自分に自信をもって生きられて、それが後の成功にも繋がっていったのだと思います

もう一方、美輪明宏さんも芸能界の大御所の方ですが、彼も学校で自信を無くすような経験をします

美輪さんが高校在学の時に、リトミックという音楽教育の授業がありました

音楽を聴いてそれを身体で表現したりする授業であったそうですが、美輪さんの動きは”ナヨナヨ”しているように見えて、同級生からバカにされていたそうです

すっかり自信を無くしていた美輪さんに、ある先生が声をかけてくれました

「君は、すばらしい芸術家になれる。」

そういって美輪さんを励ましてくれた先生とは、小林宗作さんであり、徹子さんと同じ恩師だったそうです

黒柳徹子さんも美輪明宏さんも、それぞれに強い個性を持たれていて、時としてそれが周囲との軋轢を生み、自信を失いそうになるかも知れませんが、小林さんとの出会いもあって、いまも芸能界で活躍されているのでしょう

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1 件のコメント:

  1. 俺なんか小学生の時担任から左利きを強制的に右利きに直された。また注意不足な性格だからか同級生や担任からも否定的なダメ出し浴び続けた。
    このお二方は相当なレアケースなんだろうと思う。今日本でこんな個性的な子どもいたら、まず隔離され人の目の触れる所に出てこれない。

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