「私は何のために生まれてきたのでしょうか」
霊的な相談の場で、最も多く寄せられる問いの一つです。
大きな使命に呼ばれているのかと、ご自身の人生の意味を真剣に探しておられる方が、年々増えてきました。
この記事では、生まれてきた理由を二つの層に分けて整理し、迷わず歩み続けるための霊的な視点をお届けします。
誰にでも共通する、三つの全般的な理由
霊的な真実から見ると、私たちが生まれてきた理由には、誰にも共通する三つの柱があります。
一つ目は、魂を向上させ、いずれ神仏の元へと還っていくための旅であること。
二つ目は、闇や苦しみといった、本来の光と反するものを体験し、自分の本質を自覚するための舞台に立っていること。
三つ目は、この地上に少しでも光をもたらすために降りてきていること。
魂が成長するためには、摩擦や抵抗が必要です。
静かで穏やかな霊界だけにいては、磨かれにくい性質があります。
そのため魂は、わざわざ重い肉体をまとい、地上の苦楽を引き受けることを選んできました。
苦しい出来事ほど、霊的に見れば成長の素材として準備されたものなのです。
受けた愛と、与えた愛の総量
私たちは、生まれてから今日まで、数え切れないほどの支えを受けて生かされています。
太陽の光、空気、水、食事のすべてが、誰かの働きを経て届いた贈り物です。
幼少期は親や家族に育てられ、学校の先生や友人に支えられ、社会人になっても見えない誰かの労働に支えられて暮らしています。
真冬に凍えずに済むのは、暖房を作った人、電気を届ける人、燃料を運ぶ人など、無数の人の働きがあるからです。
霊的に見ると、こうして受け取った愛の総量と、自分が周囲に差し出した愛の総量が、人生の中で静かに比べられていきます。
あの世での天国や地獄の分かれ目も、突き詰めればこの収支のあり方に通じます。
受け取り続けた人生だったのか、それとも少しでも差し出す側に立てた人生だったのか。
厳しさよりも、慈しみに満ちた優しい問いかけです。
個別の使命を見つける手がかり
もう一つ、個別の使命というものがあります。
これは魂が今回の人生で取り組むテーマであり、人によって形がさまざまに違います。
大きな分野で社会に働きかける魂もいれば、家庭の中で愛を循環させる魂もいます。
どれが偉い、どれが小さいということはありません。
個別の使命を見つける時に、最も役に立つ手がかりは「自然と心が動く方向」です。
無理に頑張らなくても、その分野の話題には自然と耳が向く。
誰かを喜ばせた時に、自分の中にじんわりと温かさが残る。
そんな小さな反応の積み重ねが、自分の魂の方角を教えてくれます。
劇的な啓示を待つよりも、毎日の小さな手応えを丁寧に拾い上げる方が、はるかに確実な道です。
「大きな使命」探しの落とし穴
使命を求めることは尊い営みですが、時に落とし穴があります。
「自分は大きな使命を持っているはずだ」という思いが強くなりすぎると、目の前の小さな務めが見えなくなってしまうのです。
その奥には、日常の細かな課題と向き合いたくないという、自我のほのかな疼きが隠れていることもあります。
霊的に見れば、家族との関係を大切に育てること、職場で誠実に手を動かすこと、近所の方に挨拶をすること、こうした地味な務めはすべて使命の一部です。
地に足の着いた日常を整えられない人に、大きな務めを任せる宇宙の流れは、まずやって来ません。
逆に小さな務めを丁寧に果たしていくと、ふさわしいタイミングで、自分の役割が広がっていきます。
使命は、追いかけるものではなく、誠実に育てた日常の延長線上に、自然と現れてくるものなのです。
世界がアセンションするために
個人の使命と、地球全体のアセンションは、深いところで繋がっています。
一人ひとりが受けた愛を意識し、与える側に静かに立ち位置を移していくこと。
その積み重ねが地球の波長を底上げし、新しい地球への移行を支える土台になります。
大きな出来事を待たなくても、毎朝、毎晩の心の整えそのものが、世界の進化の現場なのです。
今日からできる、三つの問いかけ
第一に、夜寝る前に「今日、自分は誰かに何を与えただろうか」と短く振り返ってみてください。
第二に、朝起きたら「今日は誰の役に立てるだろうか」と、軽い気持ちで一日を始めてみます。
第三に、心が自然と動く分野を、月に一つだけ書き出してみてください。
三つの問いを続けていくと、半年ほどで自分の魂の方角が、ぼんやりした輪郭から具体的な形へと変わっていきます。
使命の答えがすぐに見つからなくても、焦らないでください。
霊的な視点では、答えを探している時間そのものが、すでに使命の一部です。
もしも迷いが大きくなりすぎた時は、信頼できる人と話し合ったり、ご自然のなかで時を過ごしたりしてみてください。
必要に応じて専門家の力も借りながら、心と体を大切に保ちつつ歩んでいきましょう。
アセンションの全体像をさらに学びたい方は、アセンション総まとめもご覧ください。
関連する記事としてアセンションの本質|霊性向上と与える魂への転換、愛の法則|与える者に光が還る霊的な仕組みもあわせてどうぞ。

新刊『ソフィアの森で見つけた幸せの鍵』
8 件のコメント:
水戸黄門の世界ですね。苦を知ってこそ、楽と感じる。地球には苛酷な環境の中に生まれた方もいます。今回の大雪の断水で多くの方が水の有りがたさを感じられた事でしょう。それでも恵まれた環境の中にいます。文明が発達すると、人としての直観や感性がマヒするので、大変ですが神様からの神事と受けとりました。
不自由しない生活というのは人を思いやるとか、生まれた役目さえも忘れさせる、こわい事です。
洪さんはじめまして。
さくらと申します。
いつも楽しみに読ませていただいています。
私はあるときを境に、天のことや自分の前世を思い出しました。
自分の中に魂が2つあるように思います。
1つ目は業の深い魂で、2つ目は天の魂です。
今世は、カルマの刈り取りであり癒しである感じがしています。
全ての出来事に感謝の気持ちを忘れてはならないと改めて気づかされました。
ありがとうございます!!
洪さんはじめまして。
18歳のマリア(仮名)と言います。
私は何のために人間として生まれてきたのだろうかと物心ついた時から思っていました。そして、なぜか、人間の皮を被ってできるだけ人間と同じように、周りに人間でないとバレないように生きていこうと思っているのです。自分は、人間と呼ばれる者として生まれてきたけど、この肉体にずっと違和感があったのです。私は自分の躯を入れ物だと思っていて、自分の顔や声や体を自分だと未だにまだ思えないのです。もともと家庭環境に問題があり精神的な問題なのかとも考えましたが、なぜかそのせいだとも思わず、私がこのように思っているのは前世のせいだと決めつけているところがありました。
もともと愛や美に深く通づるところがありました。しかし、私は恋愛的に人間を愛することができないのです。興味を抱く人間はいても、その人間と恋人になりたいや、人間の愛的行為をしたいとは思わないのです。
人間から愛されても、それを虚しいと思うのです。だって、私はあなた個人を愛しているのではなく、人類全体を愛しているのですから。
一人の人間としてあなたを愛をあげることなど私には許されていないのです。
そこに不平というものが生まれるから。
ただ、人類を慈しむことはできるのです。悲哀を感じている人間がいたら、それは、雨の日に捨てられている仔犬と同じように私には見えるのです。
だから、その人間が悲しいと思っているのなら、そのそばに寄り添って同じ気持ちを共有し、その人の全てを理解してあげたいと思うのです。
その人が、楽しいのなら同じように笑い、同じように楽しんで気持ちの共有をはかる。
どんな悪い人間でも良い人間でも、それがその人のアイデンティティであり全てを受容し、包括し、認めることが私にはできるのです。
人間の欲望、嫉妬や傲慢、支配欲、禁欲、怒りなどの感情を美しいものだと私は思わないのですが、それが人間であり、それがあるが故にまた愛おしいとも思える。
人間を非難する人間がいて愚痴を聞いている時も、「それが人間という生き物だからしょうがないよ」と心の中では思っています。
愛とはなんなのか、それを人間に伝えることが私の使命なのだと、それが私の生きる理由だと思って今は生きています。なぜかしら、美的意識が強く、「それは美しくない、がそれ故に愛おしい」という思考がなぜかあります。
調和を愛し、喧嘩や戦争を美しいとは思わないのですが、人間はそういう生き物であり、調和があるから不調がこの地球にはあるのだとも受け止めています。
昔から、本が嫌いでした。なぜか本が読めないのです。哲学系は好きなのですが、所詮人間が作ったものを読んでも真理には辿りつけないと思うから途中で読むのをやめてしまうのです。
しかし、聖書やギリシャ神話、星の物語などはとても興味を惹かれます。
人間とは何のために生まれ、何の意味を持って生まれてくるのか。その真理を私は求めています。
とある本に、人間は愛と革命のために生まれてくるのだというのを見つけ、それが一番真理に近いものではないのかと思っています。
しかし、私は恋愛的に人間を愛することはできないし、革命を起こす力を持っている人間の躯でもないので、私は人間ではないのだとなぜかそこに辿りついてしまったことが、またなんとも不思議でした。
一番、好きな本、唯一、文学として最後まで読めるのは太宰治の人間失格です。
私は人間に溶け込んで生きているつもりなのですが、周りの人間からは変人や、宇宙人などと呼ばれます。別に嫌な気持ちはせず、しっくりさえ来るので気にもしないのですが。
私は自分という人間のためには生きられぬ人間なので、今は人間の気持ちに寄り添い、悲しみや苦悩を共有し、愛の大切さを伝えながら生きようと思っています。
しかし、無償に虚しくなる時があるのです。
自分は人間ではなく、この場所に本来いるべき存在ではないのだと思うとなぜだか涙がでてきて、早くこの世界から離れたいとさえ思うのです。
だって、私の体も名前も、親も本来は違うものだと思うからです。
こんなことを話しても、人間には理解してもらえない、私の本当の存在を認めてもらえないと思うからです。
私のいる場所に違和感を覚え、日本を旅行などしてみましたが、飛行機を降りた瞬間「あ、ここも違う」と思ってしまったり、もう自分のいるべき場所は地球にはないとさえ思っていますので、海外への旅行も考えていません。
私がいるべき場所はどこなのか、私は本来何者なのか、私は何の使命を持って生まれてきたのか、
それがとても知りたいのです。
死ぬ間際に、全ての事に合点がいくより、元気に生きてる真っ最中の今こそ、人生の本当の意味に気づき、自己嫌悪に陥りながらもより良い人間になるべく、人生の上書き保存していきたいです。
こんばんは。自分なりにも考えたに過ぎないだけの内容なのですが
少なくとも、【質素なうれしさの味わい『合い』♡♡】を、して行ければ、いいですよね
国境もメダルも勲章もプライドも誇りも所有権も肉食も教祖も〇〇道(習い事の否定ではありません)も棟梁も〇〇家もヒーローもスターもキリないゲーム売りも(ゲーム販売の否定ではありません)もう要らないかもしりません。
ドヤ顔意識がナンセンスであって
サーカス団や質素遊園地や芸能、リニアモーターカー地球線や極超高耐久トレーラーハウスや、極超長期保存可能穀物クッキーと極超高耐久シュラフテントの地球の隅々に置かれている無人無料配布ステーションや、先輩後輩における自らの想像創作作業等などがあれば良いのだと思います 笑
それには、人だけでは成立して行かず、少なくとも地球上の人に於いてはベジタリアンでないと、カルマ的に完全には成立して行かない様にも、何となく思いますが・・・・考え過ぎなのかも?
少なくとも宇宙からのテコ入れは、無くならないのかも (自分はベジタリアンではありませんが)
こんばんは。自分なりにも考えたに過ぎないだけの内容なのですが
少なくとも、【質素なうれしさの味わい『合い』♡♡】を、して行ければ、いいですよね
国境もメダルも勲章もプライドも誇りも所有権も肉食も教祖も〇〇道(習い事の否定ではありません)も棟梁も〇〇家もヒーローもスターもキリないゲーム売りも(ゲーム販売の否定ではありません)もう要らないかもしりません。
ドヤ顔意識がナンセンスであって
サーカス団や質素遊園地や芸能、リニアモーターカー地球線や極超高耐久トレーラーハウスや、極超長期保存可能穀物クッキーと極超高耐久シュラフテントの地球の隅々に置かれている無人無料配布ステーションや、先輩後輩における自らの想像創作作業等などがあれば良いのだと思います 笑
それには、人だけでは成立して行かず、少なくとも地球上の人に於いてはベジタリアンでないと、カルマ的に完全には成立して行かない様にも、何となく思いますが・・・・考え過ぎなのかも?
少なくとも宇宙からのテコ入れは、無くならないのかも (自分はベジタリアンではありませんが)
そもそも初めは何もなかったところに、宇宙や星々や動植物や魂を創った創造主は愛そのものでした。
だから魂も愛そのもので、お互いに満たされていました。
でも、自分中心のエゴが魂にくっつき始めてから、創造主のことも自分が愛である魂なことも忘れて、エゴで生きるようになりました。
そのため、もはや創造主のところへ帰れなくなりました。
でも、優しい創造主は地球などの星を用意して、人間という肉体も用意して、魂たちの周りについたエゴを落とすための舞台と機会を与えてくれました。
そのために何万回も生まれ変わっているのですが、そのことを忘れてエゴで生きるため、もはや生まれ変わりの終わるメドがなかなか立たないというのが現状です。
でも、人のエゴに痛めつけられているこの星がいつまでもつのかわかりませんので、1人でも多く・1日も早くエゴを落として魂をキレイに戻し、創造主のところへ・創造主の手足となる人たちが住む星へと帰らねばなりません。
そのためにも洪さんのメッセージはとても大切なものになりますし、1人でも多くの方々が読まれて理解されますことを心から祈ります٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
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