ひとり暮らしの方が自宅で亡くなり、何日もたってから見つかったという報道を、このところ目にする事が増えました。
誰にも看取られずに逝った人の魂は、あの世でも孤独なのでしょうか?
孤独死という言葉には、寂しく逝ってしまったという響きがあります。
自分もいずれそうなるのではないかと、ニュースを見て不安になった人もいるでしょう。
親をひとりで逝かせてしまったと、今も自分を責めている人もいるはずです。
けれども霊的に見ると、この世で孤独に見えた死と、あの世で迎える最初の場面は、まるで違うものです。
孤独死は、あの世でも孤独なのか
最期の場面に誰もいなかった死は、この世の目で見れば、かわいそうな死に映ります。
では、肉体を離れた魂の側からは、その死がどう見えるのでしょうか?
息を引き取ったあと、魂のまわりには、先にあの世へ帰った人たちが集まってきます。
部屋には誰もいなくても、あの世の側では大勢の人が帰りを待っていて、喜んで迎え入れてくれるのです。
孤独死が寂しく見えるのは、残された側からの眺めです。
亡くなった本人の魂は、ひとりきりで旅立ってはいません。
先に帰った夫や妻、家族が迎えに来る
亡くなった時には、先に帰った夫や妻、親やきょうだいが迎えに来ます。
臨終の床で、もう亡くなっている母親の名を呼んだり、誰もいない部屋の隅に向かって話しかけたりする人がいます。
お迎え現象と呼ばれるもので、在宅で家族を看取った人たちへの聞き取りでも、数多く報告されてきました。
見送る家族がそばにいなかった最期でも、迎えに来る家族はちゃんと来ています。
ひとりで亡くなった親を、何日も見つけてあげられなかった。
電話に出ないのを気にしながら、忙しさにかまけて様子を見に行かなかった。
そうした悔いを何年も抱えたまま、命日が来るたびに自分を責めている人は少なくないはずです。
悔いる気持ちは、それだけ親を思っていた証でもあります。
瞑想の中で、生前に親しかった人たちが亡くなってからどう過ごしているかを見る事がありますが、先に帰った家族や友人と再会し、ともに暮らしている姿が見えます。
看取れなかった事を悔やみ続けるより、向こうで迎えられている親の姿を思い浮かべて、ありがとうと祈ってください。
その感謝の祈りは、あの世の魂に届いて、光の世界へ進む助けになります。
年を重ねるほど、あの世に友達が増えていく
年を重ねると、親を見送り、きょうだいを見送り、若い頃からの友人の訃報まで届くようになります。
年賀状の枚数が減り、気軽に電話をかけられる相手も、一人また一人といなくなっていきます。
この世で孤独を感じるのは、知人や肉親の多くが、もうあの世へ帰ってしまったからです。
裏を返せば、あの世で待っている人がそれだけ増えています。
この世の友達が減った分だけ、あの世の友達が増えているのです。
長生きをして、この世に知り合いがほとんど残っていない人ほど、あの世では大勢に迎えられます。
懐かしい顔ぶれがそろっている所へ帰るのですから、あの世に帰ると、むしろ孤独ではなくなります。
死をひとりで遠くへ旅立つ事のように怖がる人は多いのですが、霊的に見れば、先に行った仲間のところへ帰る里帰りに近いものです。
本当に気をつけたいのは、魂の孤立
世間で言われている孤独死とは別に、霊的に見て気をつけたい問題があります。
それが魂の孤立です。
若い頃に人に裏切られたり、家族との間に深い溝ができたりして、それ以来もう誰も信じないと決めて生きてきた人もいるでしょう。
傷ついて心を閉じた事そのものを、責めるつもりはありません。
ただ、閉じたままの心で一生を終えると、その状態をあの世へそのまま持っていく事になります。
生前に他人に心を開かずに生きてきた人は、死後も心を閉ざしたままでいる事があります。
人を信じられず、誰とも関わりたくないと思い続けてきた心は、肉体を脱いだくらいでは変わりません。
誰にも会いたくないという思いがそのまま叶ったような世界に導かれ、孤独な世界に閉じこもってしまう場合があるのです。
そうした場所は、あまり明るい世界ではありません。
それでも、閉じこもった世界にいる魂が、光の側から見放されているわけではありません。
心を閉ざして生きてきた自分に気づき、それを悔いて、誰かとつながりたいと心から願ったとき、救いの手は届きます。
生きているうちに心を開いておけば、その遠回りをせずに済むのです。
ここで分けて考えたいのは、ひとりで暮らしている事と、心を閉ざしている事は別だという点です。
近所の人と挨拶を交わし、遠くの友人を気にかけ、誰かの幸せを祈りながら暮らしている人の魂は、ひとり暮らしでも孤立していません。
家族に囲まれていても、誰にも心を開かずに生きていれば、魂は孤立していきます。
最期に誰がそばにいたかより、生きているあいだに心を開いていたかどうかが、あの世で帰る世界を分けます。
明るい世界へ帰るために、今から出来る事
明るい世界に帰るために要るのは、特別な修行ではありません。
人との交流を大切にして、明るい心で生きる事です。
人付き合いが苦手なら、大勢と付き合う必要もありません。
一日に一度、誰かに声をかける。
買い物の帰りに、お店の人にありがとうと言う。
離れて暮らす家族や古い友人に、短い便りを出してみる。
人に会う気力がわかない日は、先に帰った家族や友人を思い出して、元気でいますかと心の中で声をかけるだけでも、閉じかけた心が外へ向かいます。
人と関わると、傷つく事もあるでしょう。
それでも、心を開いて生きた分だけ、魂は光の側へ近づいていきます。
孤独死は、この世から見れば寂しい死に映りますが、あの世では先に帰った家族や友人に迎えられ、大勢に歓迎されて帰っていく死です。
避けたいのは、ひとりで亡くなる事より、心を閉ざしたまま生きて、あの世でも閉じこもってしまう魂の孤立です。
人との交流を大切にし、明るい心で日々を過ごしていけば、帰る先も明るい世界になります。
ひとりで暮らしている方も、家族を見送ってきた方も、心の扉を開いたままで、これからの日々を過ごしていかれてください。
みなさんの魂が、先に帰った懐かしい人たちに迎えられて、明るい世界へ帰っていかれる事を願っています。
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