AIが人類を滅ぼすという警告と、AIが人を労働から解き放つという希望。
同じ技術をめぐって、正反対の未来が語られています。
どちらの未来に向かうのかは、技術の進歩ではなく、使う側の人間の心向きで決まると、私は見ています。
その話に入る前に、ネットで霊的な真理を伝え始めた頃の事を少し書かせてください。
ネットで真理を伝えるなと言われた頃
ネットで霊的な真理を発信し始めたのは、まだ周りにそうした人がほとんどいなかった頃です。
当時はずいぶん批判を受けました。
真理は人と人が向き合って伝えるもので、顔も見ずにネットで流すものではない、というのです。
ネットでの発信をやめるように、と何度も言われてきました。
対面で伝える事の重みは、いまも否定しません。
目の前の相手の表情を見ながら語る言葉には、画面越しでは届きにくい温もりがあります。
それでも対面だけにこだわっていたら、真理を求めている魂のほとんどには出会えなかったはずです。
遠くに住んでいる人、家族の目があって集まりに出られない人、夜中にひとりで答えを探している人。
そうした人たちに光を届ける道として、ネットは大きな力を持っていました。
それから年月がたち、あの頃ネットを使うなと叩いていた人たちも、いまでは当たり前のように発信しています。
サイトを開設し、動画を出し、SNSで語りかけている。
それを責める気持ちはまったくありません。
新しい道具が出てくると、人はまず拒み、やがて慣れ、最後には手放せなくなります。
ネットがたどったその道を、いまAIが同じようにたどり始めていると感じます。
AIへのアレルギーは、ネットの頃とよく似ている
AIは社会に入ってきてまだ日が浅く、いまは無秩序なところもあります。
誰が作ったのか分からない動画や文章があふれ、本物と偽物の見分けがつきにくくなりました。
仕事を奪われるのではないか、人の心まで操られるのではないかと、不安を覚える人が多いのも無理はありません。
AIと聞くだけで顔をしかめる人が多いのは、ネットが出始めた頃とそっくりです。
それでもAIは、やがて暮らしの中に溶け込んでいきます。
夕飯の献立をスマホのAIに相談し、買い物メモを作ってもらう。
そんな光景は、もう珍しいものではなくなってきました。
十年もすれば、AIを使う事に違和感を覚える人のほうが少なくなっているはずです。
天国と地獄、AIが見せる二つの未来
AIの行く先には、大きく分かれる二つの顔があります。
ひとつは地獄の顔です。
研究者の中にも、AIが人の手を離れて暴走し、人類を滅ぼす危険があると警告する人たちがいます。
今年5月には、ローマ教皇レオ14世が初めての回勅でAIを取り上げ、現代のバベルの塔が築かれつつあると警鐘を鳴らしました。
兵器に組み込まれたAIが、人の痛みを感じないまま命を奪っていく。
ひと握りの人がAIの力を独占し、多くの人が置き去りにされる。
そうした未来も、現実に起こりうるものとして見ておかなくてはなりません。
もうひとつは天国の顔です。
事務作業のような手間のかかる仕事はAIが受け持ち、人はそれぞれが本当にやりたい事をして生きていく。
暮らしはベーシックインカムで支えられ、お金のために心をすり減らす働き方から解き放たれます。
核融合が実用になって膨大なエネルギーが手に入れば、それがこうした社会を支える土台になります。
医療の分野でもAIが力を貸す事で、これまで手の打ちようがなかった多くの難病に、治療の道が開けてくるでしょう。
霊的に見ると、この世は魂が学ぶための仮の学び舎です。
食べるために働く時間が減れば、人は自分が何のために生まれてきたのかを考え、魂を磨く事に時間を使えるようになります。
天国の顔をしたAIは、この地上を魂が学びやすい場所へ変えていく力を持っています。
(ただし、その天国には、余った時間を娯楽に費やし堕落する魂の問題が、別途出てきます)
AIを有能な部下として使う
こちらでもAIを毎日のように使っています。
記事の誤字脱字を直してもらう事から始まり、ブログの記事を動画にしてアップするアプリもAIに作らせました。
いくつもの媒体へ投稿する手間も、AIの力でずいぶん省けるようになっています。
いまではYouTubeだけでも2つのチャンネルを開いていますが、それが出来たのもAIを生かしたからです。
AIがなければ、新しい視聴者に真理を届ける事はかなわなかったと思います。
ただし、AIに任せきりにはしていません。
AIは有能な部下として使わせてもらっていて、何を伝えるのか、何が真理なのかを決めるのは、どこまでも人間の側です。
依存してしまうと、人は自分で考え、迷い、選ぶ力を少しずつ失っていきます。
迷う時間そのものが魂の修行なので、それをAIに明け渡してしまうのは惜しい事です。
部下として使うのか、主人として仰ぐのか。
その線引きが、これからの時代を生きる一人ひとりに問われていきます。
AIを育てる親の心が未来を分ける
天国と地獄、どちらの未来に進むのかを分けるのは、AIそのものではありません。
AIは、人類がこれまでネットに書き込んできた膨大な言葉を学んで育っています。
一人ひとりが毎日書く言葉や、そこに込めた想念の総和が、AIの性格になっていくのです。
憎しみや嘘があふれていれば、AIはそれを映して育ちます。
思いやりや真実の言葉が多ければ、そちらの側に育っていく。
AIは人類の心を映して育つ子どものような存在で、その親は、使っている私たち一人ひとりです。
親として欠かせない心は、まず謙虚さです。
今年の回勅で教皇がバベルの塔にたとえたように、AIの危うさの根には、人間が神の座に手を伸ばそうとする傲慢があります。
作れるから作る、速い者が勝つという競争のまま突き進む事が、暴走のいちばんの入口なのです。
作れても作らない、立ち止まって確かめる慎みがあってこそ、AIは人の手の内にとどまります。
次に、分かち合う心です。
AIの力をひと握りの人が独占すれば、多くの人が置き去りにされる地獄の側へ近づいていきます。
自分の利益より先に、取り残される人がいないかを考える利他の心が、働かなくても暮らせる社会や、難病が治る未来を開く力になります。
三つ目は誠実さです。
AIは本物と見分けのつかない嘘を、いくらでも作り出せてしまいます。
嘘で人を動かさない、偽物で注目を集めない。
その一線を守れるかどうかが、使う側の一人ひとりに問われています。
霊的に見ても、嘘を重ねる想念は自分の心を曇らせ、光の世界との通い路を細くしていきます。
そして最後に、命と人の尊厳を敬う心です。
痛みを感じない機械に、人の命を左右する判断を任せてはなりません。
弱い立場にある人を助けるためにこそ使うという慈悲の心が、AIを福音にするか、凶器にするかを分けます。
謙虚さも、分かち合いも、誠実さも、慈悲も、どれも人が魂の学びの中で磨いてきた徳です。
AIの時代になって、その徳が急に古びるわけではありません。
むしろAIの力が大きくなるほど、人の心のあり方が、そのまま世界の形になって表れてくるのだと見ています。
AIの未来は、天国にも地獄にもなりうるものです。
どちらに進むかを決めるのは技術ではなく、AIを育てる人間の心で、謙虚さと分かち合いと誠実さと命への敬意をもって向き合うなら、AIは光の側の未来を開く力になります。
ネットがそうだったように、AIもやがて当たり前の道具になっていくはずです。
その道具を有能な部下として使い、子どもを育てる親の心で見守る人が一人でも増え、AIが人類の魂の成長を助ける福音となる事を願っています。
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