今日9月10日は、世界自殺予防デーです。
日本ではこの日から16日までが自殺予防週間とされていて、毎年この時期になると各地の相談窓口の案内が出ます。
その案内を目にしながら、そもそも自分は何のために生きているのだろうと考え込んでしまう人もいるのではないでしょうか。
苦しい時にだけ出てくる問い
なぜ生きているのかという問いは、順調な時には浮かんできません。
仕事を失った時、身近な人を見送った時、体が言う事をきかなくなった時、信じていた相手から切り離された時に、はじめて出てきます。
この問いが出てきたという事は、それだけの重さを今引き受けているという事です。
答えを探さなくてはならないほどの荷物を背負っているから、苦しいのです。
その時期を通っている方を、これまで何人も見てきました。
眠れない夜に天井を見上げて、自分がここにいる理由を探す。
もう死にたいと口にされる方の話を聞いていくと、消えてしまいたいというより、この苦しさを終わらせたいという願いに行き着きます。
終わらせたいのは苦しさのほうで、命のほうではないのです。
苦しさを減らす手立ては、命を手放す以外にもいくつも残されています。
問いを立てられるのは、まだ生きようとしている魂だけです。
偶然だけでは説明のつかない出会い
これまでの人生を順に思い返してみると、偶然という言葉では収まりきらない出来事がいくつも出てきます。
あの日あの場所にいなければ会わなかった人が、その後の人生を丸ごと変えてしまう。
逃げ出したくてたまらなかった職場で覚えた技術が、十年後に誰かを助ける道具になる。
霊的に見ると、こうした出会いには魂どうしの約束が先にあって、出会う時期も場所も決めてから生まれてきています。
生まれる家も同じように選んできました。
折り合いの悪い親子ほど、前の人生で決着のつかなかった宿題を持ち越している場合が多いものです。
約束の中身のほうは忘れて生まれてくる決まりですから、出会った瞬間には何も分かりません。
胸の奥がざわついたり、初対面なのに懐かしかったりする感覚だけが、うっすらと残されています。
その感覚を頼りに近づいてみると、たいていはそこに何かの役割が待っています。
生まれる前に組んできた課題
人生の課題の多くは、生まれる前に自分の魂が指導霊などと相談して組み上げてきたものです。
前の人生でやり残した学び、傷つけてしまった相手との縫い直し、伸ばしきれなかった力の続き。
そうしたものを、今度こそという思いで台本に書き込んで、この時代の、この家に生まれてきました。
試練はどれも、その魂がいちばん伸びる角度から置かれています。
組んだ本人が思っていたよりも、生まれてからの重さは応えます。
それでも、魂が積んでくるのは必ず背負いきれる量です。
魂の側は、自分の力量を見誤りません。
台本には助け手も一緒に書き込まれています。
行き詰まった年に隣にいてくれた人、たまたま手に取った一冊、通りすがりに声をかけてきた相手が、それにあたります。
助け手は、期待していたのとは違う顔で現れるものです。
助けてほしかった相手ではない誰かが、思いもよらない時に手を出してくるので、待っている間は気づけません。
一人で背負い切る設計にはなっていないのが、この仕組みのありがたいところです。
与える側にまわるための人生
生きる意味を成功だけで測ろうとすると、行き止まりに突き当たります。
思うような仕事に就けなかった、家庭を持てなかった、財産を残せなかった、そうやって数え上げていけば、誰の人生にも空欄は残ります。
魂の側は、別の帳簿をつけているのです。
誰かの話を最後まで聞いた時間、親を介護した年月、隣の席の人に一言かけた朝、動物を看取った夜。
光を受け取る側から与える側にまわった瞬間が、そちらの帳簿に書き込まれていきます。
与えるものは、そばにいる事と、一言の返事で足りるのです。
寝たきりで、もう何もしてあげられないと嘆く方もあります。
その方を看ている家族のほうは、看ている年月のあいだに、自分では選べなかったはずの霊的な学びを受け取っているのです。
そこにいる事そのものが役割になる人生も、実際にあります。
役割の大小は、この世の見た目とはまるで違うところで決まっています。
肩書きや実績で並べ替えた順番は、光の側では通用しません。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と宮沢賢治は書き残しました。
この一文は理想を語ったものというより、魂の仕組みをそのまま言い当てたものです。
誰かを支えている人は、支えているあいだ、自分がなぜ生きているのかを問わずに済んでいます。
意味は、後から追いついてくる
何のために生きているのか分からない時期にも、人生の意味のほうは元の場所に置かれたままです。
意味というものは、渦中にいるあいだは見えない造りになっています。
病気で寝ていた三年があったから、同じ病を得た人の隣に座れるようになる。
いちど底まで落ちたから、落ちていく人の手を掴めるようになる。
あの経験があったから今がある、と言えるようになるのは、たいてい何年も経ってからです。
十年前の自分に今の景色を見せてやれたら、あの夜はもう少し楽に越えられたはずです。
霊的な学びの順番はいつも逆になっていて、越えた人にだけ景色が開きます。
越えたあとで振り返ると、いちばん魂が伸びていたのは、いちばん苦しかったあの時期だったと分かります。
渦中にいる人へ先回りして意味を教えたくなりますが、本人が自分で拾い上げるまで、その言葉は届きません。
意味が分かる日は、たいてい何の前触れもなく、ある朝ふっと光が差すようにやってきます。
今日が何のためにあったのかを、今日のうちに知る必要はないのです。
苦しさの底にいる時に出来る事は、そう多くはないものです。
- 今日一日を、答えを出さないまま終える
- 誰か一人に、短くていいので声をかける
- 眠れない日が続いているなら、医療の力を借りる
うつむいて地面ばかり見ていると、目の前に置かれた愛の前を、そのまま通り過ぎてしまいます。
たくさんの愛に囲まれている人が、それでも愛に飢えたまま、誰にも届かない場所で命を終えてしまう。
そういう悲劇が、この国のどこかで毎日のように起きています。
足元だけを見ていた顔を、どうか上げてみてください。
そこには、ずっと隣にいた人の顔があります。
返事をしなくても連絡をよこし続けた人、黙って食事を作っていた人、名前を呼んでくれた人。
顔を上げたその時にはじめて、自分がどれだけの愛に支えられて今日まで来たのかが見えるのです。
魂がこの人生を選んだ理由は、約束した相手と出会い、自分で組んできた課題を通り抜け、受け取る側から与える側にまわる事にあります。
理由のほうは、今それが見えていない人の上にも、変わらず置かれたままです。
みなさまが、意味の分かる日まで生き延びていかれる事を祈っています。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
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