今朝四時半、福井市と大野市、勝山市に大雨特別警報が出ました。
大野市には緊急安全確保。
まだ夜が明けきらない時間のことです。
二日前、私はこのブログに「水害はまだ終わらない」と書きました。
その二日後に、県が水に沈んでいます。
外れてほしいと思いながら書いた文章でしたが、水害は続いています。
ただ、今朝の地図を見ていて、もうひとつ気づいたことがあります。
水が出ている場所は、ばらばらの土地ではありません。
すべて、ひとつの川の流域です。
福井の方へ。まず、今日を生き延びてください
特別警報が出ている地域の方は、この先を読む前に動いてください。外に出るほうが危ないと感じたら、家の中のいちばん高い場所へ。
川や崖から離れた側の部屋へ。
膝まで水が来てからでは歩けません。
車は置いていってください。
福井市の大宮町では国道が冠水し、坂井市では車が立ち往生しているという情報が入っています。
道路はもう、道路の顔をしていません。
続きは、落ち着いてから読んでいただければ十分です。
沈んでいるのは、すべて九頭竜川の流域です
今朝の福井で起きていることを、川の名前で並べ替えてみます。大雨特別警報が出た大野市は、九頭竜川の源流域。
勝山市はその中流の盆地。
福井市を流れる足羽川も、九頭竜川に合流する支流のひとつです。
午前四時には、九頭竜川水系の竹田川に氾濫危険警報が出ました。
あわら市の六日観測所です。
氾濫すればあわら市と坂井市で浸水のおそれがあるとされ、さらにその上流にある龍ヶ鼻ダムでは緊急放流の可能性が伝えられています。
源流から河口まで、今日はすべてが同じ川の話でした。
九頭竜川水系の流域面積は二千九百三十平方キロメートル。
福井県のおよそ七割にあたります。
足羽川、日野川、真名川、竹田川。
福井の嶺北で降った雨は、そのほとんどが最後にこの一本へ集まっていきます。
つまり福井平野に暮らすということは、九頭竜川の掌の上で暮らすということでした。
この川は、もともと黒龍川と呼ばれていました
九頭竜という名前には、由来があります。『越前名蹟考』によれば、寛平元年、西暦八八九年のこと。
平泉寺の白山権現が僧たちの前に現れたとき、一身九頭の竜が姿を見せ、尊像を頭上に頂いたまま流れを下って、黒龍大明神の対岸に着いたと伝えられています。
それでこの川は古く黒龍川と呼ばれ、のちに九頭竜川となりました。
福井市の足羽山には毛谷黒龍神社があります。
祭神は高龗神と闇龗神、そして男大迹天皇。
男大迹王が越前にいた時代に、黒龍川の守護と国土安穏、万民守護のために祀ったのが始まりとされています。
東に常陸の鹿島、南に紀伊の熊野、西に安芸の厳島、そして北に越前の黒龍。
日本の四方を守る四大明神の、北を担ってきた社です。
なぜ、そこまでの格をもって祀られたのか。
答えは川そのものが持っています。
一九六五年の奥越豪雨では、上流に三日間で千四十四ミリの雨が降り、勝山市内で堤防が決壊しました。
一九四八年の福井地震のひと月後には、地震で傷んだ堤防が豪雨で切れ、壊滅した市街地がもう一度水をかぶっています。
そして二〇〇四年七月の福井豪雨。
足羽川の堤防が決壊し、福井市の中心部が浸水しました。
亡くなった方が五人、浸水した家は一万四千百七十二戸にのぼります。
千年以上にわたって、人はこの川に手を合わせてきました。
手を合わせずにはいられないほどの川だった、ということです。
二年前の八月三十日に、私は九頭竜という言葉を受け取りました
ちょうど二年前の今日、私はこのブログに九頭竜大神についての記事を書いています。朝、目が覚めたときに「九頭竜山」という言葉が浮かんでいました。
調べてみると戸隠の近くにある山でした。
当時は台風十号が日本に迫っていて、その水害への警告として記事にしたのを覚えています。
二〇二四年八月三十日。
今日と同じ日付です。
あのとき私が受け取ったのは、信州の九頭竜でした。
今日、水があふれているのは越前の九頭竜です。
土地は違います。
それでも同じ名を持つ二つの水が、二年をはさんで同じ日に並んだことを、偶然として片づける気にはなれませんでした。
二年前に九頭竜という言葉が来た理由が、今朝になってようやく分かった気がしています。
あれは戸隠の山の話であって、山の話だけではなかったのでしょう。
先に逃げてください。手を合わせるのは、そのあとで間に合います
ここから先は、祈りの話です。はじめにひとつだけ、はっきりさせておきます。
祈りは避難の順番を追い越しません。
まず逃げる。
逃げ切ってから、あるいは安全な土地にいる人が、手を合わせる。
この順序を守るかぎり、祈りは誰の命も奪いません。
そのうえで、水の神に手を合わせるとはどういうことかを書きます。
パスカルは『パンセ』に、人間を殺すのに宇宙全体が武装する必要はない、一吹きの蒸気、一滴の水でも足りると書きました。
そのうえで、それでも人間は自分を殺すものより尊い、なぜなら自分が死ぬことを知っているからだ、と続けています。
今朝の福井を思えば、前半だけでもう十分に現実です。
水は、人を殺します。
それでも後半があるおかげで、この一節は絶望の言葉になっていません。
知っている者には、備えるという道が残されています。
日本人は荒ぶる川を、鎮めるべき相手としてではなく、祀るべき相手として扱ってきました。
恵みも災いも同じ一本の水から来ると知っていたから、名を与えて社を建て、季節ごとに礼を尽くしてきたのです。
毛谷黒龍神社が国土安穏を願って建てられたのも、そういう感覚の延長線上にあります。
霊的に見たとき、水を司る意識があります。
人格ではありません。
もっと大きく、もっと古い流れとしての意識です。
それは人の願いで進路を変えるようなものではありません。
けれど、向けられた思いを受け取らないわけでもありません。
九頭竜川は、福井平野をつくった川でもあります。
福井の田も、水も、米も、もとをたどればこの川が運んだ土砂の上にあります。
今日の濁流と、毎年の実りは、同じ水です。
祈るというのは、そのことを思い出す行為だと私は考えています。
恵みを受け取っているあいだは名前も呼ばず、あふれた日にだけ「なぜ」と問う。
その片側だけの関係を、こちらから結び直す。
それが水の神に手を合わせるということです。
だから、九頭竜への祈りには意味があります。
川を止めるためではなく、私たちのほうが川を思い出すために。
忘れられていた流域が、また名前で呼ばれるようになるために。
今日からできる、水害への備え
福井の外にいる方も、この機会にやっておいてほしいことがあります。- 自分の住む土地の川の名前を、水系まで確かめてください。近所の小さな川が、最後にどの大河に合流するのか。今日の福井のように、遠くの上流の雨があなたの町の水位を決めます。
- ハザードマップで、自宅と職場と学校の浸水想定を見てください。地図は五分で見終わります。
- 夜のうちに決めておいてください。今朝の特別警報は四時半でした。人が眠っているあいだに水位は上がります。暗くなる前に「どうなったらどこへ行くか」を家族で決めておくと、真夜中に迷う時間が消えます。
- ダムの緊急放流の情報の見方を覚えておいてください。上流のダムが放流を始めると、下流の水位は短時間で跳ね上がります。今日の竹田川がまさにそれです。
- 落ち着いた日に、その川に手を合わせに行ってください。神社でなくてもかまいません。橋の上からでも十分です。名前を呼んで、水をもらっていることに礼を言う。それだけで、あなたとその川の関係は片側だけではなくなります。
九月は、まだこれからです
台風の季節は始まったばかりです。今年の水はまだ終わっていないと、私は二日前に書きました。
今日もその見方は変わっていません。
ただ、これは決まってしまった未来として書いているのではありません。
変えられる余地があるから、こうして書いているのです。
ハザードマップを開く人が一人増えるたび、夜のうちに逃げ道を決める家が一軒増えるたび、この先の被害は確実に小さくなります。
福井の皆さまの、一刻も早いご無事を願っています。
大野、勝山、福井、あわら、坂井。
九頭竜の流域に暮らすすべての方が、今日を越えられますように。
そして今このページを読んでくださっているあなたの土地の川が、静かなままでありますように。
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