昨日、ガッツ石松さんを見送る記事を書いたばかりでした。リングの上で世界を獲った男が、晩年はあの飄々とした語り口でお茶の間を和ませてくれた。その余韻がまだ胸に残っているうちに、今度は中村玉緒さんの訃報が届きました。
玉緒さんは6月9日、肺炎で旅立たれました。86歳。気取らず、飾らず、ただそこにいるだけで人を笑わせてしまう。そんな天然の愛嬌を持った二人が、同じ初夏にそろって逝ってしまわれました。
きっと今ごろ、雲の上のどこかで二人がばったり出会って、「あら、あんたも来たの」なんて笑い合っているのではないか。そう想像すると、寂しさの中にも、ふっと頬がゆるみます。お二人がこの世に残してくれた笑いに、まずは心からの感謝を捧げたいと思います。
お嬢さんが、お茶の間の人気者になるまで
中村玉緒さんは1939年、京都の生まれ。父は歌舞伎の名門、二代目中村鴈治郎という、まさに芸の血筋に育ったお嬢さんでした。十代で映画デビューを果たし、1960年には『ぼんち』『大菩薩峠』でブルーリボン賞の助演女優賞を受ける。本来は実力派の女優さんだったのです。
その玉緒さんを、後の世代がいちばん覚えているのは、やはりバラエティでの姿でしょう。明石家さんまさんの番組で見せた、あのおっとりとした天然ぶり。質問の答えがいつのまにか別の話に流れていって、それでも誰も嫌な気持ちにならない。むしろ場が温かくなる。台本のない素のままで、お茶の間を笑顔にできる人でした。
おもしろいのは、本人にボケている自覚がほとんどなかったところです。周りからすれば天然キャラでも、玉緒さんにとってはいたって普通。カメラの前でも、その辺の親戚のおばちゃんと変わらない自然体だった。作り込んだ芸ではなく、人柄そのものが芸になっていた。これはなかなか真似のできることではありません。
彼女がバラエティに本腰を入れたのには、実は切ない事情がありました。夫・勝新太郎さんが莫大な借金を背負っていた時期、さんまさんが番組に呼んでくれた。その優しさに触れて、玉緒さんは腹をくくります。「あ、もう全部さらけ出してしまおう」。女優のプライドをそっと脇に置いて、一人の人間として笑われる側に回った。あの天然キャラの裏には、家族を背負った女性の覚悟があったのですね。
豪快すぎる夫、勝新太郎という人
夫の勝新太郎さんについても触れておきましょう。『座頭市』の市、『兵隊やくざ』の大宮。盲目の居合の達人から無頼の兵隊まで、はみ出し者を演じさせたら右に出る者がいない、昭和を代表する大スターでした。スクリーンの中の彼は、いつも掟の外側で生きる男だった。
私生活もまた、スクリーンに負けず劣らず破天荒でした。「俺から遊びを取ったら何も残らない」と言い切り、毎晩のように豪遊する。撮影の予算は度外視、思いついたことは何でもやってしまう。1990年にはハワイの空港で下着の中から麻薬が見つかって世間を騒がせた。借金はふくれあがり、その額14億とも言われます。普通の家庭なら、とうに崩壊していてもおかしくない。
それでも勝さんには、不思議な人望がありました。金にだらしなくても、人にはとことん気前がいい。後輩や弟子、撮影現場のスタッフまで、ふところに飛び込んできた者はみな面倒をみる。だから周りに人が絶えなかった。
彼が1997年に旅立ったあと、借金の取り立てに来た人たちが、なぜか玉緒さんに礼を言って帰っていったという話が残っています。「俺たちの勝新を最後まで守ってくれて、ありがとう」と。借金取りにまで惜しまれる人物。そうそういるものではありません。
振り回されても、離れなかった
玉緒さんと勝さんの出会いは、1955年の映画での共演でした。マネージャーから「勝のことが好きか」と問われ、玉緒さんが「好きです」と答えた一週間後、勝さんから交際を申し込まれる。1962年、玉緒さん22歳、勝さん30歳での結婚です。お嬢さん育ちの彼女が選んだのは、父親が猛反対するほどの遊び人でした。
そこからの三十数年は、はたから見れば苦労の連続だったでしょう。借金、スキャンダル、繰り返される夫の奔放。それでも玉緒さんは離縁を選ばなかった。なぜか。
本人がのちに語った言葉が、すべてを言い表しています。「女として、私はお金には恵まれないけど、人には恵まれている」。恨み言ではなく、感謝として夫を語れる。これほど深い愛し方があるでしょうか。
玉緒さんが亡くなる前、SNSに最後に投稿していたのは、勝さんに肩を抱かれた二人の写真だったそうです。別れて三十年近く経ってなお、彼女の隣にはいつも勝新太郎がいた。お金には恵まれなくても人には恵まれた、その「人」の筆頭は、間違いなくあの破天荒な夫だったのでしょう。
ここからは、私が霊的に感じたお二人の縁について
ここから先は、私が霊的に受け取ったものを書きます。証明できる類いの話ではありません。ただ、お二人のことを思って静かに心を向けたとき、ひとつの情景がはっきりと浮かんできました。
舞台は、今世と同じ日本。時代はおそらく江戸の頃でしょうか。薄暗い一室に、人が大勢集まっている。映画で観るような彫り物を背負った男たちが、木の札のようなものを手に、車座になって博打を打っている。煙草の煙、低い笑い声、札の鳴る音。そういう空気が伝わってきます。
その盆を仕切っていたのが、勝新太郎さんの前世だったように感じます。賭場を開く元締め、いわば一家の親分のような立場の人。今世では俳優として大輪の花を咲かせた勝さんですが、その魂はかつて、任侠の世界に生きていたようなのです。
おもしろいのは、今世の勝さんが演じ続けた役どころです。座頭市も、無頼の兵隊も、堅気の枠からはみ出して、それでも筋を通す男ばかりでした。あれは演技というより、魂が覚えている懐かしい生き方をスクリーンの上で生き直していたのかもしれません。
前世で身についた気っぷのよさ、掟と人情のあいだで生きる感覚。それが俳優・勝新太郎の凄みとして、自然とにじみ出ていたのではないか。私にはそう思えてなりません。
その親分には、やはり人望がありました。前世でも今世でも、変わらない。困った者がふところに飛び込んでくれば突き放さず、身を挺してでも庇う。大勢が彼を慕って集まってくる。金勘定はまるで上手くないのに、なぜか人だけは離れていかない。今世で借金取りにまで礼を言われた、あの人柄の源流が、すでにそこにあったように見えます。
そして、その親分の傍らに寄り添っていたのが、玉緒さんの前世でした。今世と同じく、妻として。荒くれた男たちの出入りする家を切り盛りし、夫の無茶を受け止め、それでも添い遂げる。きっと前世でも、彼女は同じ言葉を胸にしていたのでしょう。お金には恵まれないけれど、人には恵まれている、と。
魂は、解き残した縁を持って何度でも巡り合うと言われます。前世で親分と妻として結ばれた二人が、今世でもまた夫婦としてめぐり会った。役者と、それを支える妻として。形を変えながら、二人は同じ約束をもう一度生き直したのだと思います。
勝さんが先に逝き、玉緒さんが三十年近くその名を守り抜いた。そして今、彼女もまた夫のもとへ還っていかれた。長い長い物語の、しずかな大団円です。
最後に
天然の笑いでお茶の間を照らしてくれたこと。破天荒な夫を、最後まで愛として語り抜いてくれたこと。そのすべてに、ありがとうございました。
向こうの世界では、もう借金も心配もいりません。きっと勝さんが「遅かったじゃねえか」と笑って迎えてくれているはずです。ガッツさんも一緒に、賑やかにやっておられるでしょうか。どうぞ、心ゆくまで安らかに。
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