朝、目が覚めて呼吸をしている。それはあなたが努力して始めたことではありません。心臓は誰かに頼んで動いているわけではなく、爪も髪も、あなたが意識して伸ばしているわけではない。私たちは生まれてくるとき、自分で身体を組み立ててきたわけではありませんでした。ましてや魂を、自分の手で作り出してきた人はひとりもいません。
白髪をもう一度黒く戻すことさえ、私たちにはできません。たった髪の毛一筋を思いどおりにすることもできないまま、それでも私たちは、与えられた肉体の中に宿って、こうして生きています。考えてみると、不思議なことだと思いませんか。
すべては、はじめから備えられていた
呼吸をするための空気を、私たちが発明したわけではありません。喉が渇いたときに飲む水を、水素と酸素を組み合わせて自分で作り出した人もいません。お腹を満たしてくれる米や野菜や、命をつなぐための食べものを、私たちがゼロから生み出したわけでもない。
空気はすでにそこにあり、水は山から流れ、土は植物を育てていました。私たちが生まれてくるずっと前から、生きるために必要なものは、ひとつ残らず先に用意されていたのです。私たちはただ、その整えられた場所に、後から招かれるようにして生まれてきました。何ひとつ持たずに、手ぶらで。
この事実は、頭ではすぐにうなずけます。けれど日々の暮らしの中で、それを実感として抱きしめている時間は、案外短いのではないでしょうか。私自身も、忙しさにまぎれてすぐに忘れてしまいます。
自我が「私のもの」と言いはじめる
与えられた中で生まれてきたはずなのに、生きているうちに私たちは、いつのまにか言葉を覚えます。これは自分の物だ。ここは私の土地だ。これは俺が稼いだ金だ。そうやって、もともと与えられていたものに、自分の名札を貼りはじめる。
仏教では、この「私」「私のもの」という思いの根を自我と呼びます。自我は所有を主張し、所有はやがて執着に変わっていきます。手に入れたものは失いたくない。減らしたくない。もっと欲しい。その思いが強くなるほど、心は守りに入り、こわばっていきます。
そして執着は、そのまま苦しみを生み出します。失うことへの恐れ、奪われることへの怒り、足りないことへの焦り。よく見ると、私たちの悩みの多くは、与えられたものを自分のものだと握りしめたところから始まっています。握れば握るほど、手のひらは痛くなる。これが、執着が苦を生むということです。
本来の私たちは、無一物
もとをたどれば、身体も魂も、空気も水も食べものも、すべて与えられたものでした。だとすれば、本当の意味で「これは私のものだ」と言いきれるものは、ひとつもないことになります。本来の私たちは無一物。何も所有していない、というのが、いちばん素直な姿なのです。
無我というのは、自分が消えてなくなるという冷たい話ではありません。自分ひとりの力で立っているという思い込みが、そっとほどけていくことです。私という存在が、空気や水や、たくさんの命に支えられて、いまここに生かされている。その大きなつながりの中に、自分を返していく感覚に近いものです。
だからこそ、執着するなと説かれてきました。それは欲しがるあなたを責める言葉ではなく、握りしめなくても大丈夫だと教えてくれる、やわらかな手招きなのだと私は思います。
与えられていると知る時、感謝が生まれる
すべては与えられたものだと、心の底から気づいたとき、私たちの中に静かに芽生えてくるものがあります。それが感謝です。当たり前に思っていた一杯の水、いつもそこにある空気、今日も動いてくれた身体。それらが「もらいもの」だとわかった瞬間、ありがとうという思いが自然にこぼれてきます。
感謝が満ちてくると、不思議なほど、欲の炎は小さくなっていきます。すでにこれだけ与えられていたのだと気づいた人は、もっともっとと薪をくべる手を、そっと止めることができるからです。足りないものを数える代わりに、与えられているものを数える。そのまなざしの転換が、執着の苦しみをやさしく鎮めてくれます。
何かを捨てる必要はありません。ただ、これは自分の手柄ではなく、与えられたものだったと思い出すだけでいい。その小さな気づきから、心は少しずつ軽くなっていきます。
今日からできること
一つ、朝いちばんの呼吸を意識する。目が覚めたら、息をひとつ深く吸って、この呼吸も与えられたものだと心の中でつぶやいてみてください。
一つ、一杯の水をゆっくり飲む。のどを通っていく水を味わいながら、これを自分は作っていないのだと思い出します。当たり前が、もらいものに変わります。
一つ、「私のもの」という言葉に気づく。一日のうちで、これは私の、と心がつぶやいた瞬間に、ただ気づくだけでいい。握っている手をふっとゆるめてみます。
一つ、寝る前に三つ数える。今日与えられていたものを、三つだけ思い出してから眠ります。多くなくていい。小さなことで十分です。
一つ、誰かに「ありがとう」と伝える。感謝は心の中だけでなく、言葉にして手渡すと、欲の炎がいっそう静かになります。今日会う人に、ひとことだけ。
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