お盆が終わって数日たった頃、ふいに人と会うのが億劫になることがあります。
長く続いてきた付き合いなのに、もう気持ちが動かない。
返信しようとスマートフォンを開いたのに、指が止まったまま画面を閉じてしまう。
この時期、そういう人はかなり多いはずです。
自分は冷たい人間になったのだろうかと、ご自分を責めていないでしょうか。
この感覚が夏の終わりに集まって出てくることには、はっきりした理由があります。
お盆に会うのは「昔の自分」を知っている人たち
お盆はもともと、あの世とこの世の距離がいちばん縮まる期間です。亡くなった方の気配を感じ取りやすくなるのと同じように、自分の来し方を振り返らせる力もこの時期は強く働きます。
人生の棚卸しが、本人の都合とは関わりなく始まってしまう。
そのうえで、昔の自分をよく知る人たちの前に座ることになるのです。
親や兄弟、親戚は、こちらが何十年前にどんな子どもだったかを覚えています。
久しぶりに顔を合わせると、その場の空気は自然と昔の配役に戻っていきます。
長女は長女として気を回し、末っ子は末っ子として扱われる。
今の自分がどれだけ変わっていても、あの部屋の中だけは時間が止まったままです。
数日そこで過ごして帰ってくると、体がやけに重い。
特別なことをしたわけでもないのに、疲れが抜けません。
移動の疲れというより、もう合わなくなった服を無理に着ていた疲れです。
そして自宅に戻り、ようやくひとりになったとき、ふと思う。
もう無理に合わせなくてもいいのではないか。
この一言が浮かんだ瞬間が、多くの人にとっての出発点になります。
波長が変わると、心地よい相手も変わります
霊的に見ると、人と人は目に見えない波長で結ばれています。同じ高さの音が共鳴するように、近い波長を持つ人同士は自然と集まり、離れてしまえば話が噛み合わなくなる。
縁の濃さは、好き嫌いよりも先に、この波長で決まっています。
魂が一段育つとき、その波長が変わります。
ところが本人には変わった自覚がありません。
以前は楽しかった集まりが妙に長く感じられる。
噂話や愚痴の輪に入ると、体の芯が冷えていくような感覚になる。
相手は去年と同じことを同じ調子で話しているだけなのに、こちらの受け取り方だけが変わっているのです。
ラジオの周波数がずれれば、それまで聞こえていた放送が雑音に変わります。
変わったのは放送局ではなく、こちらのつまみのほう。
人の縁の上でも、同じことが起きています。
だから「あの人が嫌いになった」という言い方は、たいてい正確ではありません。
嫌いになったのではなく、共鳴が終わった。
魂の側から見れば、卒業に近い出来事です。
魂の変化なのか、ただの消耗なのか
ここは慎重に見てほしいところです。人付き合いが嫌になる時期には、魂のステージが動いたときのものと、心身が消耗しきっているときのものがあります。
この二つは似た顔をしていて、取り違えたときの代償が大きいのです。
手がかりは、その気持ちの温度にあります。
ステージが動いたときの感覚は、驚くほど穏やかです。
相手を責める気持ちが湧いてこない。
恨みも怒りもなく、ただ「ここまででしたね」と区切りがつく。
連絡が減っても寂しさが長引かず、ひとりの時間がむしろ豊かに感じられます。
消耗しているときは、まるで手ざわりが違います。
相手の顔を思い浮かべると胸がざわつく。
誰にも会いたくないのに、ひとりでいると押しつぶされそうになる。
眠っても疲れが取れず、朝が来るのが重い。
これは魂の卒業ではなく、休みなさいという体からの合図です。
この状態のまま人間関係を整理してしまい、回復してから連絡先を消したことを悔やむ。
同じところでつまずいた人を、私は何人も見てきました。
ですから、判断を急がないでください。
二週間ほど、何も決めずに置いておく。
誘いは断ってかまいませんし、返信も遅れてかまいません。
そのうえで心が凪いだあとも「もういい」と思えるなら、その感覚は本物です。
距離を置くことに、罪の意識が湧いてきたら
ここでもう一つ、多くの人の足を止めるものがあります。罪悪感です。
長く世話になった人、血のつながった相手ほど、距離を置こうとした瞬間に「自分は薄情ではないか」という声が内側から上がってきます。
夏に実家で交わした会話がよみがえって、夜中に目が覚める。
そんな話も、この季節にはよく耳にします。
覚えておいてほしいのは、距離と情は別のものだということです。
毎週会っていても心の通っていない関係があり、年に一度の便りだけで深く通じている関係もあります。
会う回数を情の量と取り違えると、こちらは消耗するばかりで、相手にも本当のところが届きません。
義務で座っている人の顔つきは、思っている以上に相手へ伝わります。
迎えるほうも、どこか落ち着かないまま時間が過ぎていく。
回数を減らしたぶん、会う日に心から向き合えるのなら、そちらのほうがよほど大きな贈り物になります。
ユングが言った、出会いは化学反応である
ユングは、人と人の出会いを化学反応にたとえました。二つの物質が触れ合って反応が起これば、どちらも元のままではいられない。
人の交わりも同じで、深く関わった相手とは、互いに少しずつ姿を変えていきます。
ここに、縁が入れ替わる理由が隠れています。
反応を終えた組み合わせは、もう一度混ぜても前と同じ熱を出しません。
長く一緒にいて、与えるものを与え合った関係が静まっていくのは、悪くなったからではありません。
ひととおりの反応が済んだのです。
そう受け取ると、疎遠になっていく相手にも感謝が向けやすくなります。
あの人と過ごした年月がなければ、今の自分は違う形をしていたはずです。
役目を終えた関係に薪をくべ続けるより、変わったあとの自分に合う人と新しい反応を始めるほうが、双方にとって無理がありません。
人付き合いを整理したくなる時期は、交わりの質が入れ替わる時期でもあります。
数が減るぶん、寂しく見える。
それでも残った縁は、そこから深くなっていきます。
切らずに、間合いだけを変える
この時期にいちばん多い失敗が、勢いのままばっさり切ってしまうことです。縁は生き物ですから、数年寝かせてから息を吹き返すものもあります。
切らずに距離だけを取れば、必要になったときに戻せます。
- 連絡の頻度を落とす。返信を翌日に回すだけでも、間合いはずいぶん変わります
- 集まりへの参加を毎回から年に一度へ減らす。断つのではなく、回数を減らすところから始める
- 相手の話に評価を返さない。合わせて笑わず、否定もせず、ただ聞いて帰ってくる
- 空いた時間に、ひとりで過ごす予定を先に入れる。空白を放っておくと、元の関係がそのまま戻ってきます
- 親族との集まりは、泊まりから日帰りへ。滞在時間を短くするだけで、昔の配役に引き戻される力は弱まります
半年ほどで、それまで縁のなかった人がふっと現れる。
新しい波長に合う人が、こちらが場所を空けたぶんだけ入ってくるのです。
人の縁には定員のようなものがあって、手放さないかぎり次は入ってきません。
整理したくなったあなたは、変わりつつある
夏のあいだに家族や親族と過ごし、そのあとで人付き合いを見直したくなるのは、あなたの心が狭くなったからではありません。昔の自分に戻される数日を通って、今の自分との差がはっきり見えただけのことです。
差が見えたということは、それだけ歩いてきたということでしょう。
離れていく縁を、無理に引き止めなくてかまいません。
去る人を悪く思う必要もありません。
あの人にはあの人の速度があり、こちらにはこちらの速度がある。
それだけのことです。
秋が深まる頃、あなたのまわりには今より少ない、けれど水のように澄んだ縁が残っているはずです。
その静けさを寂しさと取り違えず、次の季節へ運んでいけますように。
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