千葉で四人の方が亡くなりました。
海でも川でもなく、住宅街の冠水した道路で見つかっています。なぜ、毎日通っていたはずの道の上で、人が水に呑まれてしまったのでしょうか。
お盆の時期に水辺へ近づいてはいけない。日本人が長いあいだ言い伝えてきたこの戒めを、私たちはいつからか迷信として片付けてきました。
亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りします。ご家族と、いま水の引かない町にいる方々のもとに、一日も早く落ち着いた時間が戻りますように。
千葉で何が起きたのか
八月十三日の夕方から夜にかけて、千葉県には大雨の特別警報が出されました。千葉県が十四日朝の災害対策本部会議で明らかにしたところによると、亡くなったのは市川市で一人、佐倉市で二人、八千代市で一人の、あわせて四人。柏市で一人が心肺停止、千葉市で一人の行方が分かっていません。
床上浸水は四十五棟、床下浸水は三十九棟。成田空港では七千人ほどが足止めされ、県庁でも千八百人が夜を明かしています。
私が気にかかったのは、亡くなった場所です。
市川市では冠水した道路に男性が浮いているという通報があり、八千代市では冠水した路上で男性が沈んでいるところを見つかりました。佐倉市では水没したタクシーの車内から女性が。柏市でも、屋根まで水につかった軽乗用車の中からです。
海水浴場でも、増水した河川でもありません。ふだんは車で走り抜けるだけの、見慣れた道の上でした。
お盆に水へ入るなという言い伝え
古くから日本では、お盆の時期には水難に注意と言われてきました。海や川に入ってはいけない。泳ぎに行くなら盆が明けてから。地域によっては、足を引かれるから、連れていかれるから、と少し怖い言い方で子どもに伝えてきたところもあります。
いまでは、ほとんどの人が根拠のない話だと思っているでしょう。土用波が立つ時期だから、というもっともらしい説明を聞いて納得した方もいるかもしれません。
けれども、この時期に水の事故が続くことには、霊的な背景があります。
お盆にご先祖様が戻ってくるということ
お盆というのは、あの世からご先祖様がこの世の様子を見に戻ってくる期間です。ふだん先祖の霊たちは、あの世でそれぞれの生活をしています。ところがお盆になると、地上から「お迎えします」という思いが一斉に立ちのぼる。その思いが、あの世まで届くのです。
霊的に見ると、その呼び声は光の筋のように見えます。子孫が焚いた迎え火、供えた花、手を合わせる姿。それらが一本の道になって、あの世とこの世をつなぎます。
戻ってくる霊のほとんどは、すでに浄化されて、子孫を静かに見守る存在です。何かを求めるでもなく、ただ元気にしているかを見て、また帰っていきます。
ただ、そうでない霊もいます。
藁にも縋る思いで、生きている人にすがってしまう
亡くなったあと、まだ浮かばれていない方がいます。自分が死んだことを受け入れられないまま、あるいは強い心残りを抱えたまま、あの世の暗く不調和な領域にとどまっている霊です。そこは冷たく、重く、光が届きません。
その霊たちにも、お盆の呼び声は届きます。子孫が招く思いを手綱のようにして、地上へ戻ってくる。
そして生きている人のそばに来たとき、何が起きるか。
生きている人間には、体温があります。血が巡り、呼吸があり、まわりに温かい光が満ちている。長く冷たい場所にいた霊にとって、それはどれほどまぶしく見えることか。
溺れかけた人が、目の前に流れてきた藁を必死につかむのと同じです。悪意があるわけではありません。ただ、苦しくてたまらないから、温かいものにすがりついてしまう。
すがりつかれた側は、体が重くなります。足が思うように上がらない。頭がぼんやりして、判断が鈍る。ふだんなら絶対にしない選択を、なぜかしてしまう。
それが陸の上であれば、少し体調が悪い日で済むこともあるでしょう。水の中で起きたら、命に関わります。
昔の人は、この仕組みを理屈では説明できませんでした。それでも、お盆に水へ入った人が帰ってこないという事実を、何百年も数えてきたのです。だから戒めだけが残りました。
理屈が失われて、戒めだけが残ったものを、私たちは迷信と呼びます。けれども残ったのには理由があります。
水は、低いところへ集まる
老子は、上善は水のごとし、と書きました。最も善いあり方は水に似ている。水は万物を潤しながら争わず、人が嫌う低いところへ流れていく。そういう意味の言葉です。
この一節は、水のふるまいをよく言い当てています。水は必ず、いちばん低いところへ集まる。
そして私たちは、その低いところに、車で入っていってしまうのです。
アンダーパス、線路の下をくぐる道、坂の底にある交差点。地図の上ではただの道ですが、雨の夜には、町じゅうの水が集まってくる場所に変わります。
ヘッドライトに照らされた水面は、深さが分かりません。膝までに見えて、実際は胸まであることがある。エンジンが止まり、水圧でドアが開かなくなるまで、あっという間です。
今回、千葉で亡くなった四人が、そうした場所にいました。
お盆に近づいてはいけない水辺というのは、もう海や川だけを指す言葉ではないのだと思います。
この時期にできること
怖がって家に閉じこもる必要はありません。やることをやっておけば、この時期は本来、ご先祖様と心が通う温かい季節です。今日から手をつけられることを、いくつか挙げておきます。
・お盆のあいだは海や川、用水路に近づかない。子どもだけで行かせない
・冠水した道路に車で入らない。深さの分からない水は歩いても渡らず引き返す
・体が重い、足が上がらない、なんとなく気が乗らない。そう感じた日は水辺の予定を取りやめる
・送り火のときに「どうぞ光のほうへお進みください」と一言添える
二つめは、今回いちばん重い意味を持ちました。ヘッドライトの下の水は、深さが読めません。
三つめの感覚については、理由が説明できなくてかまいません。感覚のほうが先に気づいていた、ということはいくらでもあるのです。
そして最後の一言が、供養の核心にあたります。
浮かばれていない霊にとって、その言葉は道しるべになります。すがりつく先ではなく帰る場所を示された霊は、そちらへ向かうことができる。
分かる言葉で行き先を教えてもらえたときに、人は動けるようになります。亡くなった方も同じです。
迎え火や送り火の焚き方、この時期の過ごし方についてはお盆の過ごし方と供養の作法に、お墓の前で何が起きているのかはお墓参りのスピリチュアルな意味に書いてあります。
亡くなった方々へ
今回、水に呑まれた方々は、まだ何が起きたのか分からないまま、あの場所にとどまっているかもしれません。私たちにできるのは、遠くからでも手を合わせ、光のほうへ向かえるよう祈ることです。
祈りは距離を選びません。千葉に行けなくても、名前を知らなくても、あの雨の夜に亡くなった方々へ、と念じれば届きます。
雨はいずれ上がり、町の水も引いていくでしょう。そのあとに残るのは、水の力を思い知った記憶と、昔の人が何を伝えようとしていたのかという問いでしょう。
言い伝えは、誰かを怖がらせるために作られたものではありません。同じ悲しみを繰り返さないよう、名も知らぬ先人たちが言葉にして手渡してくれたものです。
その手を、今年は受け取ってください。
あなたと、あなたの大切な人が、この夏を無事に越えられますように。
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