送り火を焚き終えた翌朝、妙に力が入らないと感じたことはないでしょうか。
体は休んでいたはずなのに、頭の芯がぼんやりして、何をするにも一拍遅れる。
夏の疲れという言葉で片づけられがちですが、お盆が明けた直後のあの空白には、もう少し別の理由があります。
今日は八月十六日。
月遅れのお盆の最終日で、送り火の日にあたります。
多くの方がこれから「どうも調子が出ない」と感じ始めるはずなので、その手前で、何が起きているのかをお伝えしておきます。
お盆の数日、私たちは思っている以上に働いている
お盆は休みの期間ということになっています。けれども過ごしてみると、休んだ感じがまるでしない。
移動があり、親族が集まり、普段はしない気の遣い方をする。
ここまでは誰でも思い当たるところでしょう。
霊的に見ると、それにもうひとつの負荷が重なっています。
この期間、家の中の場は密度が上がります。
迎えたご先祖様だけでなく、その方々に連なる縁の霊、家に縁のある霊たちまでが、普段よりずっと近い距離まで寄ってくるからです。
人の気配が多い部屋にいると、黙って座っているだけでも消耗する。
あれの見えない版だと思ってください。
意識で気づいていなくても、生きている側は無意識にその全部を受け止め、場を保とうとしています。
数日それを続ければ、力を使い切ってしまうのは自然なことです。
虚脱感が来るのは、張っていた糸がゆるむとき
不思議なのは、疲れがお盆の最中ではなく、送り火のあとにまとめて出てくることです。人が集まっている間、私たちは無意識に気を張っています。
もてなす側であればなおさらで、その緊張が体を動かし続けてくれる。
送り火を焚いて、場がすっと軽くなった瞬間に、その糸がゆるみます。
支えていたものが外れるので、ためこんだ疲労が一気に降りてくる。
お盆明けのだるさが、他の連休明けと少し質が違うのはこのためです。
眠っても抜けない。
やる気の問題ではなく、力を出し切ったあとの空白です。
もうひとつ、この時期に多いのが、理由のない寂しさ。
何かの拍子に涙が出そうになる。
賑やかだった家が静まり返って、胸のあたりに穴が空いたようになる。
これは、近くにいた気配が離れていったことを、心のほうが先に感じ取っているからです。
頭が理解する前に、魂は別れを知っています。
この空白は、次を入れるためにできている
力が抜けた状態を、失敗のように受け取ってしまう方がいます。しかし霊的な視点では、空白そのものに役目があります。
器がいっぱいのままでは、新しいものが入りません。
お盆の数日で、私たちは「先に逝った人たち」という、普段は意識の外に置いているものと向き合います。
自分もいつか送られる側になるという事実に、年に一度だけ正面から触れる。
その体験は、心の奥にあった順番を静かに入れ替えていきます。
去年まで重大に思えていたことが、なぜか軽くなっている。
意地を張って続けていたことが、急に馬鹿らしくなる。
お盆明けにこうした心境の変化が起きやすいのは、器がいったん空になったからでしょう。
荘子が語った、鏡のような心
古代中国の荘子に、心の使い方をこう書き残した一節があります。至人の心を用いること鏡のごとし。将らず迎えず、応じて蔵せず。すぐれた人の心は鏡のようだ、という意味です。
去るものを追いかけず、来るものを構えて待たず、映ったものに応じるけれども、映ったものをしまい込まない。
鏡が疲れないのは、何ひとつ抱えないから。
私たちが疲れるのは、映ったものを全部しまい込んでしまうからでしょう。
送り火は、この鏡の働きを一年に一度、形にしたものだと私は見ています。
迎えて、共に過ごして、送る。
抱え込まずに手放すからこそ、また来年迎えられます。
そして送り火の炎に託せるのは、ご先祖様だけではありません。
もう役目を終えた思い込みを、一緒に送る
誰の中にも、かつては必要だったのに、今は自分を縛るだけになった決まりごとがあります。長男だから家を継がねばならない。
親の期待に応えなければ愛されない。
あの人に謝らせるまでは、この怒りを下ろすわけにはいかない。
こうした思いは、たいてい過去のある時点では、その人を守るために生まれています。
守るために作った鎧が、いつのまにか歩く邪魔になっている。
霊的に見ると、この手の思い込みは細い糸のような形をしていて、過去のある場面に人をつなぎ止めています。
糸の先にいるのが、すでに亡くなった方であることも珍しくありません。
親に認められないまま見送ってしまった。
謝れないまま逝かれてしまった。
その未完了が、何十年も生き方を決めていることもあります。
お盆の期間は、この糸がいちばん見えやすくなる数日。
普段は遠い相手が近くまで来ているので、こじれたままの感情が浮き上がってくる。
帰省すると決まって同じことで腹が立つのは、その糸がまだ生きている証拠でしょう。
そして送り火の日は、その糸を切るのに一年で最も適した日にあたります。
見送るという行為の中に、手放しの型がそのまま入っているからです。
手放していいものと、まだ早いものの見分け方
何もかも手放せばいいという話ではありません。見分ける目安は、その思いを持ち続けたときに、体がどう反応するかです。
思い出した瞬間に肩が上がり、息が浅くなるものは、すでに役目を終えています。
守ってくれていたはずのものが、今は緊張しか生んでいない。
反対に、思い出すと胸が温かくなるものは、まだ持っていていい。
悲しみの中にも温かさが混じっているなら、それは手放す対象ではなく、時間をかけて熟していくもの。
判断に迷うときは、十年後の自分がその思いを握りしめている姿を想像してみてください。
そこに解放感がなければ、答えは出ています。
今日から、お盆明けの数日にできること
具体的にできることを挙げておきます。- 予定を入れずに二日空ける
十七日と十八日は、意識して低速で過ごしてください。
大事な判断も、この二日は先送りしていい。
空白の期間に無理やり燃料を入れると、秋口まで引きずります。 - 送るものを、口に出して言う
送り火の前でも、火を焚かない家庭であれば玄関先でも構いません。
「これはもう置いていきます」と、手放したい思い込みを声に出して言ってみましょう。
声に出した言葉は、思っただけの言葉よりはるかに強く働きます。 - 感謝を、具体的に伝える
「ありがとうございました」で終わらせず、何に対しての感謝かを添えてみてください。
あの時ああ言ってくれたこと、あの背中を見せてくれたこと。
具体的な言葉ほど、まっすぐ届きます。 - 水と塩で家の場を戻す
玄関と部屋の四隅を軽く拭き、盛り塩をするか、粗塩をひとつまみ流しに落とす。
密度の上がった場を、日常の濃さに戻す作業です。 - 涙が出たら、止めない
抜けていく途中で涙が出るのは、順調に流れている印。
止めてしまうと、その分だけ体に残ります。 - 来年の自分に一行だけ書く
今年のお盆で気づいたことを、一行でいいので書き留めておきましょう。
来年の八月、その一行が自分の一年を測る物差しになります。
送ったあとに残るもの
送り火が消えたあと、家は元の静けさに戻ります。けれども、まったく同じ場所に戻るわけではありません。
迎えて、送った分だけ、私たちの中の何かが入れ替わっています。
見送るという経験は、そのたびに人を少しだけ大きくします。
自分もいずれ送られる側になると知っている人は、目の前の一日の扱い方が変わるからです。
今日、火を焚く方も、焚けない事情のある方も、心の中で手を合わせる瞬間があれば、それで十分に届いています。
だるさが出たら、それはよく働いた証拠として受け取ってください。
空いた器には、これから何が入るでしょうか。
その答えは、この秋のあなたの日々が教えてくれるはずです。
空いた分だけ、あなたにとって本当に必要なものが満ちていきますように。
お盆の作法そのものについては、お盆の過ごし方と供養の作法にまとめてあります。
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