「日本という国は、いつ、どうやって始まったのか。」
そう問われたら、多くの方が「神武天皇が大和を平定して即位した」と答えるでしょう。
記紀には、そう書いてあります。
けれど、その筋書きをそのまま信じてよいのか。
私は長いあいだ、そこに小さな引っかかりを抱えてきました。
近年の古代史研究では、日本神話を一つの王家がまとめた一枚岩の物語とは見なしません。
複数の王権や氏族が語り継いだ伝承を、後の時代に編集し、統合して一冊にした。
その視点で読み直すと、見慣れた神々の物語が、まるでちがう顔を見せはじめます。
大国主命は「人」ではなく「称号」だったのか
私は、大国主命を一人の神の名前ではなく、王の称号として読めるのではないかと考えています。大国主。
文字どおり訳せば「大いなる国の主」です。
個人の名前というより、地位そのものを指す言葉に近い。
ローマ皇帝、ファラオ、カエサル。
歴史をひらけば、王の座を表す呼び名は珍しくありません。
もし大国主がそれと同じ性格の言葉なら、代々の王がこの名を継いでいったことになります。
神話のなかの大国主命は、あまりに多くのことをやってのけます。
国土を造り、全国を歩き、各地の豪族と縁を結び、日本のいたるところに足跡を残す。
一地方の王の生涯には、どうしても収まりきりません。
ここには、長く続いた巨大な王権の記憶が、一柱の神へと畳み込まれているのではないでしょうか。
神武東征は、建国ではなく王朝交代だったのか
一方の神武天皇は、九州から東へ軍を進めます。行く先々で戦い、最後に大和へ入って、新しい王朝を開く。
神話はこれを建国と呼びます。
けれど歴史の目で読むと、別の言葉が浮かびます。
王朝交代です。
九州の勢力が東へ向かい、大和にあった古い王権を倒し、新しい王権が立つ。
筋書きをこう置き換えても、話は破綻しません。
世界史を見渡せば、こうした力の入れ替わりは、むしろありふれた出来事でした。
「国譲り」は、征服を美しく語り直した話か
いちばん腑に落ちないのが、国譲りです。大国主命は「この国をお譲りします」と言って、身を引きます。
ですが、これほどの王国を築いた王が、そんなにあっさり国を手放すものでしょうか。
世界中の神話をひらくと、敗れた王を「徳をもって、みずから位を譲った」と描く例がいくつも見つかります。
古代中国の禅譲も、その一つ。
聖王・堯は、自分の子ではなく徳の高い舜へ天下を譲ったと伝えられます。
美しい話ですが、歴史学では、この滑らかな譲位の物語は現実の政権交代を理想の形に整え直したものではないか、とも見られています。
国譲りもまた、同じ筋かもしれません。
実際に起きたのは力の衝突で、それを平和な物語へ書き換えた。
そう読む余地は、十分にあります。
敗者のはずの大国主命が、なぜ悪役ではないのか
ここで、妙なことに気づきます。もし神武の王朝が旧王朝を武力で倒したのなら、敗れた側は悪として描かれてもおかしくありません。
ところが、実際は逆でした。
大国主命は、日本でもっとも敬われる神の一柱として、今も祀られています。
出雲大社では、変わらず最高位の祭神です。
新しい王朝は、旧王朝を消し去るのではなく、その権威を丸ごと自分のなかへ取り込んだ。
これは、世界のあちこちで繰り返されてきた型です。
ローマは征服した土地の神々を自分たちの神と重ね、国家の祭りへ組み入れました。
エジプトの新王朝は、前の王を正統な祖先として讃え、その神殿と祭祀を引き継ぎます。
倒した相手を神として祀り直すほうが、新しい支配は受け入れられやすい。
大国主命が今も最高位の神であることは、その名残なのでしょう。
饒速日命は、旧王朝の王だったのか
鍵を握るのが、饒速日命です。彼は、神武より先に大和へ来ています。
しかも、神武と敵対する長髄彦の側にいました。
神武が来る前から、大和にはすでに別の王権があった。
神話そのものが、それを認めているのです。
饒速日命を祖と仰ぐ物部氏は、三輪山の信仰と深く結びついていました。
三輪山に鎮まるのは大物主神。
そしてその大物主神は、『古事記』では大国主命の幸魂・奇魂とされます。
饒速日、大物主、大国主。
三つの神格が、ここで一つに溶けはじめます。
もとをたどれば、同じ一つの王権を、別の名で呼んだものだったのかもしれません。
天孫降臨は、旧王朝から奪われた降臨だったのか
天から神が降りてくる話、天孫降臨は、記紀のなかに実は二つあります。ひとつは、天照大神の孫ニニギが日向の高千穂へ降りる、よく知られたほう。
もうひとつが、饒速日命が天磐船に乗って大和へ降りる話です。
そして後者、饒速日の降臨のほうこそ、大和に根ざした古い天孫神話だったのではないか。
私は、そう考えています。
手がかりは、饒速日命の正式な名前です。
『日本書紀』では「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」と伝えられます。
ここに含まれる「天火明(アメノホアカリ)」は、系譜によってはニニギの兄とも子ともされる神で、尾張氏の祖神。
つまり饒速日は、その名のなかに「天から降りた日の御子」という性格を、はじめから抱えているのです。
物部氏の伝承をまとめた『先代旧事本紀』は、饒速日の降臨を正面から天孫降臨として描いています。
もともと大和で語られていた天降りの主役は、饒速日だった。
ところが神武の王朝が歴史を編み直したとき、正統な天孫降臨の座は、直系の祖ニニギへと移されます。
記紀に降臨の物語が二つ並んでいるのは、消しきれなかった旧王朝の降臨神話が、痕跡として残ったからではないでしょうか。
「天から降りた」とは、星から来たということではないか
ここまで「天から降りた」という言葉を、当たり前のように使ってきました。けれど、この一語をそのまま受け取ると、まるでちがう光景が立ち上がります。
民俗学者の折口信夫は、海の彼方の常世からときおり訪れ、人々に幸をもたらす存在を「まれびと」と呼びました。
そして、それこそが神の原像だと考えたのです。
神とは、もともと「どこか遠くから訪れてくる者」だった、という見方です。
私はこれを、海の向こうだけでなく、星の彼方にまで広げてよいと感じています。
饒速日命が乗ってきた天磐船を、思い出してください。
天を翔け、岩のように堅牢な船。
空を渡る乗り物に乗って、天の存在が地上へ降り立つ。
古代の人が、自分の言葉の限りを尽くしてこの光景を書き残そうとしたなら、それは「天磐船に乗って降りてきた神」という形になるのではないでしょうか。
私は霊的なリーディングのなかで、古い神々の記憶に触れることがあります。
天から降りた存在に意識を合わせると、そこには地球の外から訪れ、この星をずっと見守ってきた、大きく穏やかな意識の気配があります。
私がこのブログで書き続けてきた、宇宙の兄弟たち。
日本神話は、地上の王朝交代の記憶であると同時に、星から訪れた存在と地上の人々が出会った記憶としても読めてくるのです。
二つの神話は、争わずに一つになった
この見方が正しいとすれば、日本神話には出自のちがう二つの流れが同居していることになります。一方は、大国主の王朝が語り継いだ物語。
国造り、因幡の白兎、少彦名との国づくり、全国への巡幸、三輪山の大物主信仰、出雲の神々、そして旧王朝の幕引きとしての国譲り。
もう一方は、神武の王朝が掲げた物語。
天照大神を始祖とする系譜、天孫降臨、八咫烏の導き、長髄彦との決戦、神武の即位、天皇家へ続く血の流れ。
おもしろいのは、新しい王朝が古い王朝を消しにかからなかったことです。
旧王朝の英雄を神として残し、その祭りを引き継ぎ、神話までまるごと自分の書物へ収めた。
おかげで、出雲の神話と天孫の神話が、一冊の歴史書のなかで肩を並べています。
これほど性格のちがう二つの神話が、争いのすえに一つへ束ねられた例は、世界を見わたしてもそう多くありません。
おわりに
神話は、ただ古い神々の物語ではありません。そこには、この地で生きた人々の交代と痛み、そして敗れた者さえ神として敬い直した、和解の記憶が畳み込まれています。
その優しさは、時代を越えて、今を生きる私たちのなかにも受け継がれているはずです。
あなたが見上げる空と、足もとの大地の物語が、今日という一日をそっと支えてくれますように。
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