世界の分断がはっきりと表面化してきました。国家間の対立、思想の衝突、価値観の食い違いなど、あらゆる場面で立場の違う者同士がぶつかり合い、互いを敵とみなして攻撃し合う光景が日常になりつつあります。
光と闇の戦いが進んでいると表現されることもありますが、この戦いを「あちら側」と「こちら側」の単純な構図でとらえてしまうと、大事な視点を見落とします。今日はその落とし穴について書いてみたいと思います。
世界は白と黒に分けられない
人間はどちらか一方が正しく、もう一方が間違いだと考えやすい生き物です。物事を単純化するほうが安心できるからでしょう。しかし、ここに大きな落とし穴があります。
現実の世界には、完全な悪も完全な善もほとんど存在していません。多くの場合、悪を多く含むものと善を多く含むものがあり、その間にはどちらの要素も入り混じったグレーの領域が広がっています。黒一色に見えるものをよく見れば白が混ざっており、白に見えるものの中にも黒が潜んでいたりします。
世の中の出来事を二元論で裁こうとすると、必ずどこかで判断を誤ります。誰かを完全な悪役に仕立てれば、自分はその対極にいる正義だと錯覚しやすくなるからです。
自分の中にも光と闇は共存している
同じことは私たち自身の内側にも当てはまります。光だけでできた人間も、闇だけでできた人間もこの世にはほとんどいません。誰もが両方を抱えながら生きているのが実情です。
聖人と呼ばれる人にも弱さや影があり、極悪人と呼ばれる人の中にも一筋の光がある。そう考えたほうが、人間という存在の実像に近いはずです。自分は善側にいると無条件に信じ込んだ瞬間、内側にある影が見えなくなってしまいます。
投影という心のしくみ
人間の心には投影というはたらきがあります。自分の中にある認めたくない部分を、無意識のうちに他人に映し出し、その他人を攻撃することで自分の影と戦った気になってしまう、というしくみです。
本当は自分の中にある怒り、嫉妬、支配欲、不寛容といった暗い感情を、外側の誰かに重ねて叩く。そのほうが自分の影を直視するよりずっと楽だからです。けれども、いくら相手を倒しても、自分の内側にある闇は減りません。むしろ攻撃を重ねるほど、その闇は静かに濃くなっていきます。
陰謀論に夢中になる人の心理
陰謀論にのめり込んでいく人を見ていると、外側の巨大な悪と戦っているように見えて、よく観察すれば、その人自身の中で何かが歪んでいくのが分かります。最初は世界を正そうとして始まったはずの戦いが、いつの間にか怒りと不信に支配され、家族や仲間まで敵に回していく。
外の闇を追いかけるうちに、自分が闇に染まっていくという皮肉な構造が、そこにはあります。正義感は強い力を持ちますが、内省を欠いた正義感は、もっとも厄介な闇に変質しやすいのです。
反省という習慣が身を守る
だからこそ、よくよく自らを振り返ることが要になります。今日一日、自分はどんな思いで人と接したか。誰かを心の中で裁かなかったか。怒りや軽蔑をぶつけてしまわなかったか。そういった点を、毎日少しずつ点検していく習慣です。
反省は自分を責めるためのものではなく、闇に飲まれないための灯のような役割を果たします。自分は正しいと思い込んでいるあいだに人は変質していきますが、振り返る癖がついている人は、その変化に気づいて立ち止まれます。
アースチェンジを越えるための内なる作業
地球から争いや戦乱が絶えない理由のひとつは、世界中の多くの人が自分の闇を直視せず、相手に投影して攻撃し続けているからだと言えます。それぞれが少しずつ内側の作業を始めるだけで、世界の景色は変わっていきます。
これから先、地球はさらに大きな変化の時期を迎えていきます。アースチェンジを乗り越えるための鍵は、外側で誰と戦うかではなく、自分の中の闇とどう向き合うかにかかっています。光の側に立ちたいと願うなら、まずは自分の影を見つめるところから始めたいものです。
今日からできること
1. 寝る前に三分だけ、その日の自分の言動を静かに振り返る時間をつくる。
2. 強い怒りを感じた相手がいたら、その人に何を投影しているのか自問してみる。
3. SNSで誰かを糾弾したくなったとき、一晩寝かせてから判断する習慣をつける。
4. 自分の中の認めたくない感情をノートに書き出し、距離を置いて眺めてみる。
5. 善悪を断定する前に、その出来事に含まれる灰色の部分を探してみる。
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