幸せは、どこか遠くの特別な場所にあるものではありません。
本当は、私たちの目の前にすでにいくつも置かれていて、ただそれを「当たり前」という名前で覆い隠してしまっているだけなのです。
今日は、私が以前知り合いから受けた印象をもとにつくった「A君」という男性の姿を借りながら、不満が口癖になっていた一人の青年と、彼が見過ごしていた幸せについてお話ししたいと思います。
もしかしたらあなたの心の中にも、小さなA君が住んでいるかもしれません。
いつも不満をこぼしていたA君のこと
A君は、私が以前同じ会社に勤めていた頃の知り合いを思い起こしてつくった、架空の青年です。
やせ形で身長は平均より少し高く、眼鏡をかけた、神経質そうな顔だちをしています。
同じ会社に勤めていましたが、彼の口から出てくるのは、いつも会社への不満ばかりでした。
「上司がぜんぜん分かっていない」、「同僚のあいつはうまく立ち回ってずるい」、「うちは安い給料で働かせるブラック企業だ」。
誰かを引き合いに出した愚痴と、待遇への文句が、口癖のように繰り返されます。
仕事のあとに一杯付き合っても、話題のほとんどがそうした不満で埋め尽くされていました。
私はA君のことが嫌いだったわけではありません。
むしろ彼の真面目さや、不器用な誠実さを知っていたからこそ、あの口癖がとても気になっていたのです。
父親を「憐れんでいる」と語った夜
ある夜、ふたりで飲みに行ったときに、思い切って彼に家族のことを聞いてみました。
「君のお父さんはどんなひと」とたずねると、A君は急に苦い顔をします。
「親父はうだつの上がらない普通のサラリーマンさ」「出世からは見放されて、安い給料で毎日ペコペコ頭を下げて、情けない」。
そう言って嫌そうに口元を歪めました。
「お父さんのこと、嫌っているのか」と聞き返すと、A君はゆっくり首を振ります。
「むしろ憐れんでいるんだ」「何が楽しくて生きているんだろうね、僕はああはなりたくないよ」。
私は少し胸の奥がきしむような気がしました。
「でも、君のお父さんは家族のために頑張って働いているんじゃないかな」と返しても、彼の表情は崩れません。
「親父はろくに趣味もなくて、仕事だけが生きがいで働いているだけさ」「それでいて会社からは認められないんだよ」。
「きっと趣味を見つける余裕もなく、家族を養うことだけを考えて働いてきた人なんだろうね」と私が静かに言葉を継いでも、父親への気持ちは変わらないようでした。
実家での暮らしも「当たり前」だった
少し話題を変えて、A君に実家のことを聞いてみます。
「いま実家に住んでいるんだって」とたずねると、彼は素っ気なく答えます。
「ああ、住むのに金がかからないからな、こんな安月給じゃ仕方ない」「本当はあんな辛気くさい親のいる家は出ていきたいんだ」。
「家賃もタダで、お母さんが食事もつくってくれるんだろう」「掃除や洗濯までしてくれて、見方を変えたら贅沢な暮らしじゃないか」。
私が水を向けても、A君の答えは決まっていました。
「親なんだから、やって当たり前のことさ」「それなのに家にお金を入れろだとか、早く結婚しろだとか、いちいちうるさいんだよ」「どこか給料の良い会社に転職して、タワマンにでも引っ越したいな」。
家族のことも、暮らしのことも、A君の口からは「当たり前」「不満」「もっと別の何か」しか出てきません。
その夜の彼の表情を、私は今でもよく覚えています。
けして幸せそうには、見えませんでした。
リストラと、その後の音信不通
それから数年が経ったあるとき、A君がリストラに遭ったという話が耳に入りました。
会社の経営が苦しくなり、多くの人がそこから離れることになって、彼もその対象となってしまったのです。
共通の知人によると、退職前の送別の席でも、A君はずいぶんと会社に毒を吐いていたといいます。
そのあとは消息がぱったり途絶え、今どうしているのかは私もわかりません。
彼の望みどおり、もっと給料の良い会社にうまく転職できたのでしょうか。
タワマンに引っ越すような暮らしを、手にしているのでしょうか。
正直なところ、あまり明るい未来は感じられないのです。
能力の問題ではありません。
心の在り方の問題です。
たとえ転職に成功しても、今度はその新しい会社にも、新しい上司にも、新しい暮らしにも、必ず不満を見つけてしまう人がいます。
A君の中には、ずっとそういう癖が住みついていたように思うのです。
「あって当たり前」という思いが、感謝を消していく
A君を思い返すたびに、私はあらためて感じます。
彼の中には、何ごとにも「あって当たり前」という思いが、強く根を張っていました。
仕事があって当たり前、給料がもらえて当たり前、両親が働いて家を支えてくれて当たり前、母親が食事や洗濯をしてくれて当たり前、健康な体がここにあって当たり前。
すべてが当たり前という前提の世界の中で、感謝するという心の動きそのものが、奪われていたように思います。
感謝のないところに、幸福感が宿ることはありません。
どれだけ多くを持っていても、それを「あって当然のもの」とみなしてしまえば、心の景色は灰色のままです。
むしろ、まだ手に入っていない何かにばかり目が向き、目の前にある豊かさが、永遠に見えなくなってしまうのです。
失ってからしか気づけないのは、つらい道
人は本当に不思議な生き物で、今あるもののありがたみを、見失ってしまうように出来ています。
父親が元気でいてくれるありがたさ、母親が食卓に温かいご飯を並べてくれるありがたさ、自分が会社に行ける体を持っているありがたさ。
多くは、失って初めてその大きさに気づくのです。
けれど、失ってから泣くのは、あまりに切ない道です。
本当はその前に、まだそこにあるうちに、私たちはそれらに気づくことができます。
「ありがたいな」と、心の中でそっと頭を下げるだけでも、その瞬間に、世界の色が変わるのです。
当たり前を手放したあとに、見えてくる景色
幸せに近づきたいなら、私は声を大にしてお伝えしたいことがあります。
それは「当たり前」という思いを、まず手放してみることです。
朝に目覚められたこと、今日も体が動いたこと、雨風をしのぐ屋根があること、誰かと言葉を交わせたこと。
そのひとつひとつが、決して当たり前ではないのだと、いったん立ち止まって眺めてみてください。
私たちは、たくさんの目に見えない働きと、たくさんの人々の支えに守られて、ようやくここに生かされています。
地上での暮らしは、自分ひとりの力で成り立っているように見えて、本当はそうではないのです。
見えない世界からの計らいや、家族や同僚の細やかな助け、過去の自分が積み重ねてきた縁。
そのすべてが今日のあなたを支えています。
感謝のまなざしが、運命を変える
不思議なことに、感謝のまなざしで世界を見つめ直し始めると、周りの人の表情までも変わっていきます。
同じ部屋、同じ家族、同じ会社であっても、まったく違って見えてくるのです。
あれほど嫌だと思っていた上司の言葉の中に、思いがけない優しさを見つけることがあります。
「うるさい」と思っていた親の小言の奥に、心配と祈りが隠れていたと気づくこともあります。
そして、その小さな気づきの積み重ねが、あなたの人生のゆくえをも、静かに変えていきます。
魂の世界では、感謝の波動はとても明るく、清らかな色を放っています。
その色を心の中に灯して暮らしている人のもとには、自然と、同じく清らかな縁が引き寄せられてくるのです。
あなたの中のA君に、声をかけてみる
もしも今、あなたの心の中に、A君のような声がちらりと聞こえているとしても、どうかご自分を責めないでください。
誰の中にもA君は住んでいて、疲れているとき、自信を失っているときには、その声が大きく響いてしまうものです。
大切なのは、その声に気づくことです。
気づいたら、そっと小さな問いを、自分にかけてあげてください。
「今日、私の中で当たり前になりすぎているものは、なんだろう」。
「もし今夜それを失ったら、私はどれほど悲しむだろう」。
その問いだけで、心の景色はゆっくりと色を取り戻していきます。
幸せは、増やすものというより、思い出すものなのかもしれません。
あなたが今日この瞬間も、すでに多くのものに包まれていることを、どうか思い出してください。
あなたの一日の上に、静かであたたかな光が降り注ぎますように。
当たり前を手放したあとに見えてくる幸福の景色は、幸福完全ガイドの章で続けて確かめられます。
↓一日一回のクリックが、このブログの灯を守ってくれます応援いただいたあなたに、幸せが届きますように祈ります
このブログでお伝えしているのは、魂の旅路への入口となる話です。
もっと深く学びたい方、満月の一斉ワークに加わりたい方は、スピリチュアルスクールでほぼ毎日メッセージをお届けしています。
ブログには書けない霊的な実践も、ここでお話ししています。
関連記事
.png)

新刊『ソフィアの森で見つけた幸せの鍵』