2020年11月25日水曜日

人間は精神的な存在であり肉体を超えている理由



人間という存在は、肉体だけの存在ではなくて、それを超えたところの精神や霊と言われている目に見えないエネルギー体でいる事が本質です

地球にいるうちは肉体に宿り、その限界内にいるようでありながら、実際には肉体を超えて存在しています

三次元の物理的な素材からできた物質で成り立っているのではなく、人間はそれらを超えた存在なのです

肉体表現では不可能なことも人間は可能にしてきました

たとえば人類は、わずかな毛と体脂肪しかないため、本来は寒い地域では住めない肉体限界を持っています

しかし、私たちは北極であろうが、南極であろうが住むことが出来ます

それは寒さをしのぐために服を着る事を思いつき、部屋の中で暖を取ることで寒さに耐えるようになりました

これは肉体の限界を超える精神こそが人間の本質であって、それゆえにこうした衣服や暖を取ることが出来るようになるのです

物質的な限界に拘束された存在であるならば、それらを思いつくことも、実現することも出来ないのです

人間の本質が肉体を超えているからこそ可能なのです

その他にも、人間は道具を次々と作り出し、たとえば斧を作って大きな木を切り倒せるようになり、のこぎりで木を切れるようになりました

これらの道具も肉体をもっては不可能なことを可能とする道具であり、人間が肉体を超えている事を示しています

私たちの身の回りには、もっともっとたくさんの肉体限界を超えたツールがあふれています

このようなネットを介したコミュニケーションも、距離を超えて、地球の裏側に住んでいても一瞬で情報を得ることが出来るようになっています

肉体の限界では、わずか数十メートルの物しか見ることが出来ず、相手とコミュニケーションを取るには聴覚を利用して十メートルほどが限界でしょう

肉体にそなわった視力や聴力、嗅覚、味覚、触覚などの感覚器官は僅かな距離でしか機能せず、限界は近いのです

しかし、視力を取って見ても、望遠鏡の発明によって、はるか遠くの天体を観測できるようになりましたし、顕微鏡によって目には見えなかった微細な世界を垣間見ることが出来るようになりました

これらは人間の肉体限界を超えており、私たちを本来の存在へと近づけているのです

人間の本質とは思考するエネルギーであり、融通無碍な存在です

本来は時間に拘束されることも無く、空間に縛られることもありません

それが肉体に宿ることで制限を受けて生きていくわけですが、本質が肉体の物質限界を超えた存在であるため、文明を築き、現在の私たちのような暮らしをしているのです

肉体だけの能力を使うなら、日本列島さえ北から南まで横断するのも命をかけた挑戦位になります

しかし、私たちは飛行機を利用して数時間で移動することが可能となりました

こうした肉体を超えた生活が出来るようになったのも、本来はそうした物質を超えた存在が私たちの本質であるため実現可能となるのです

言ってみれば文明や科学の発展は、霊的存在=私たちの本質に近づいていく作業でもありました

肉体を脱ぎ捨てた私たちは、思えば一瞬で地球の裏側にでも行けますし、食事をしなくてはならない等の肉体限界は無くなってきます

私たちは地球に肉体で生まれてきていても、すでに肉体を超えて生きており、本来の肉体の持つ能力を凌駕して存在しています

それは私たちの本質が精神=霊存在であり、肉体を超えている存在であるからこそ、発想でき、実現できたのです

私たちは物質限界を超えて大きな働きをすることが出来ます

関連記事



1 件のコメント:

  1. 私たちは、すでに肉体の限界を超えていたのですね。
    物質の世界では限界があるので、決められた限界がある。と思っていました。でもすでに限界を超えていた。とわかれば、限界だと思いこんでいるのではなく、やはり挑戦や諦めない事は大切ですね!私たちは永遠の魂。物質の肉体に自分自身に操られないように、しっかり自分自身の魂と肉体とで共存しながら、日々楽しみながら人生の色々な経験をしていこうと思いました。いつもありがとうございます!

    返信削除

今後のコメントは X(旧Twitter)にてお待ちしております。