「あの人には霊感がある」「特別な能力を持っている」――そんな言葉を耳にすると、つい少しだけ憧れの気持ちが芽生えてしまうことが、私たちにはあります。
けれど本当に大切なのは、能力の有無そのものではないのです。
霊性の世界で長く真実を見つめてきた人々は、ある共通したひとつの結論にたどり着いています。
それは、「愛のない霊能力は、ただの空っぽの音にすぎない」ということ。
この記事では、聖書のなかでも特に名高い、コリント人への手紙の「愛の章」を起点に、霊性と愛の関係をていねいに紐解いていきます。
パウロが残した「愛の章」――コリント人への手紙より
たといわたしが、人々の言葉や御使(みつかい)たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしいシンバルと同じである。
たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない。自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。
なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。
――コリント人への手紙
霊能力と愛が引き離されたとき、何が起こるのか
パウロは、まるで二千年後の私たちに語りかけるように、こう警告しています。
「天使の言葉を話せても」「山を動かす信仰があっても」「全財産を施しても」――愛がなければ、すべては無に等しい、と。
これは、霊的な能力そのものを否定する言葉ではありません。
むしろ、能力という強力な刃をどう扱うかは、心に宿る愛の有無で決まる――そう、私たちにそっと教えてくれているのです。
霊能力に長けた方が、必ずしも霊性の高い方とは限りません。
逆に、誰も気づかないところで、ひっそりと愛深く生きている方のほうが、はるかに高い霊性をたたえていることが少なくないのです。
「自分は特別だ」と思った瞬間に、霊性は後退する
霊的な世界でいちばん危ういのは、特殊な能力を授かった人が「自分は他者より優れている」と感じてしまう瞬間です。
その傲りが胸に灯った途端、せっかく与えられた光は内側を暗くする力に変わってしまいます。
パウロが「やかましい鐘や騒がしいシンバル」と表現したのは、まさにそういう状態のことだったのでしょう。
音は鳴り響くけれど、誰の心にも届かない。
派手であればあるほど、まわりの魂はかえって耳をふさぎたくなる――そんな空虚な響きです。
「愛とは何か」をパウロはあらためて定義してくれる
この章でもうひとつ素晴らしいのは、パウロが「愛」を抽象論で終わらせず、具体的な行動として書き記してくれている点です。
愛とは、寛容であること。
愛とは、情深いこと。
愛とは、ねたまないこと、誇らないこと、不作法をしないこと。
愛とは、自分の利益を求めないこと、いらだたないこと、恨みを抱かないこと。
愛とは、不義を喜ばず、真理を喜ぶこと。
愛とは、すべてを忍び、信じ、望み、耐えること。
これらは、特別な才能のある人にだけ可能な行為ではありません。
霊感がない方でも、宗教的な肩書がない方でも、毎日の暮らしのなかで、必ずひとつかふたつは選び取れる行動ばかりなのです。
本物の霊性は、日常のなかでこそ磨かれる
霊性は、神秘体験のなかにだけあるものではありません。
むしろ「家族にやさしく接する」「同僚の苦しみに気づいてあげる」「店員さんに気持ちのよい会釈をする」といった、ささやかな一動作のなかにこそ、本物の霊性が宿っています。
霊感のあるなしを比べる時間があるなら、その時間を「愛のある一動作」に振り向けてみる。
そのほうが、長い目で見たとき、あなたの魂を確実に大きく育ててくれるのです。
今日からできる、愛で霊性を磨く三つの習慣
1. 自分のなかの「ねたみ」をいち早くキャッチする
誰かの能力やしあわせをみて胸がチクッとしたとき、それを否定せずに「ああ、いま私はねたみを感じている」と認めてみてください。
気づきの瞬間に、その小さな影は半分ほど消えていきます。
2. 自分の利益とは関係のない一動作をする
一日に一回でかまいません。
自分の利益にまったく関係のないささやかな善意を、誰かに差し出してみてください。
それは、霊的な意味でいちばん高い波動の祈りになります。
3. 「愛は耐える」を、自分への寛容として使う
愛は、他者だけでなく自分自身にも向けてあげてください。
うまくいかない自分を責めそうになった夜は、「愛はすべてを耐える。だから今夜は私も自分を耐え忍ぼう」と、そっと心のなかで唱えてみるのです。
霊能力ではなく、愛のあるまなざしを選ぶ
パウロは、特別な能力を否定したかったのではありません。
能力の輝きの奥に、もっと大きく永遠に絶えることのない光――愛――を、私たちに思い出してほしかっただけなのです。
霊感がなくてもかまいません。
奇跡を起こせなくてもかまいません。
あなたが今日、愛のあるまなざしを誰かに向けたその瞬間、宇宙の天秤は確かに小さく動き、世界はほんのわずか美しいほうに傾きます。
その積み重ねこそが、もっとも本物の霊性なのです。
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