霊能力をもつ者は優れているのか|愛が霊性を本物にする

2012年12月22日土曜日

真理 聖書

「あの人には霊感がある」「特別な能力を持っている」――そんな言葉を耳にすると、つい少しだけ憧れの気持ちが芽生えてしまうことが、私たちにはあります。

けれど本当に大切なのは、能力の有無そのものではないのです。

霊性の世界で長く真実を見つめてきた人々は、ある共通したひとつの結論にたどり着いています。

それは、「愛のない霊能力は、ただの空っぽの音にすぎない」ということ。

この記事では、聖書のなかでも特に名高い、コリント人への手紙の「愛の章」を起点に、霊性と愛の関係をていねいに紐解いていきます。

パウロが残した「愛の章」――コリント人への手紙より

たといわたしが、人々の言葉や御使(みつかい)たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしいシンバルと同じである。

たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。

たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。

愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない。自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。

不義を喜ばないで真理を喜ぶ。

そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。

愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。

なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。

――コリント人への手紙

霊能力と愛が引き離されたとき、何が起こるのか

パウロは、まるで二千年後の私たちに語りかけるように、こう警告しています。

「天使の言葉を話せても」「山を動かす信仰があっても」「全財産を施しても」――愛がなければ、すべては無に等しい、と。

これは、霊的な能力そのものを否定する言葉ではありません。

むしろ、能力という強力な刃をどう扱うかは、心に宿る愛の有無で決まる――そう、私たちにそっと教えてくれているのです。

霊能力に長けた方が、必ずしも霊性の高い方とは限りません。

逆に、誰も気づかないところで、ひっそりと愛深く生きている方のほうが、はるかに高い霊性をたたえていることが少なくないのです。

「自分は特別だ」と思った瞬間に、霊性は後退する

霊的な世界でいちばん危ういのは、特殊な能力を授かった人が「自分は他者より優れている」と感じてしまう瞬間です。

その傲りが胸に灯った途端、せっかく与えられた光は内側を暗くする力に変わってしまいます。

パウロが「やかましい鐘や騒がしいシンバル」と表現したのは、まさにそういう状態のことだったのでしょう。

音は鳴り響くけれど、誰の心にも届かない。

派手であればあるほど、まわりの魂はかえって耳をふさぎたくなる――そんな空虚な響きです。

「愛とは何か」をパウロはあらためて定義してくれる

この章でもうひとつ素晴らしいのは、パウロが「愛」を抽象論で終わらせず、具体的な行動として書き記してくれている点です。

愛とは、寛容であること。

愛とは、情深いこと。

愛とは、ねたまないこと、誇らないこと、不作法をしないこと。

愛とは、自分の利益を求めないこと、いらだたないこと、恨みを抱かないこと。

愛とは、不義を喜ばず、真理を喜ぶこと。

愛とは、すべてを忍び、信じ、望み、耐えること。

これらは、特別な才能のある人にだけ可能な行為ではありません。

霊感がない方でも、宗教的な肩書がない方でも、毎日の暮らしのなかで、必ずひとつかふたつは選び取れる行動ばかりなのです。

本物の霊性は、日常のなかでこそ磨かれる

霊性は、神秘体験のなかにだけあるものではありません。

むしろ「家族にやさしく接する」「同僚の苦しみに気づいてあげる」「店員さんに気持ちのよい会釈をする」といった、ささやかな一動作のなかにこそ、本物の霊性が宿っています。

霊感のあるなしを比べる時間があるなら、その時間を「愛のある一動作」に振り向けてみる。

そのほうが、長い目で見たとき、あなたの魂を確実に大きく育ててくれるのです。

今日からできる、愛で霊性を磨く三つの習慣

1. 自分のなかの「ねたみ」をいち早くキャッチする

誰かの能力やしあわせをみて胸がチクッとしたとき、それを否定せずに「ああ、いま私はねたみを感じている」と認めてみてください。

気づきの瞬間に、その小さな影は半分ほど消えていきます。

2. 自分の利益とは関係のない一動作をする

一日に一回でかまいません。

自分の利益にまったく関係のないささやかな善意を、誰かに差し出してみてください。

それは、霊的な意味でいちばん高い波動の祈りになります。

3. 「愛は耐える」を、自分への寛容として使う

愛は、他者だけでなく自分自身にも向けてあげてください。

うまくいかない自分を責めそうになった夜は、「愛はすべてを耐える。だから今夜は私も自分を耐え忍ぼう」と、そっと心のなかで唱えてみるのです。

霊能力ではなく、愛のあるまなざしを選ぶ

パウロは、特別な能力を否定したかったのではありません。

能力の輝きの奥に、もっと大きく永遠に絶えることのない光――愛――を、私たちに思い出してほしかっただけなのです。

霊感がなくてもかまいません。

奇跡を起こせなくてもかまいません。

あなたが今日、愛のあるまなざしを誰かに向けたその瞬間、宇宙の天秤は確かに小さく動き、世界はほんのわずか美しいほうに傾きます。

その積み重ねこそが、もっとも本物の霊性なのです。

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