命の砂時計という言葉が、昨日からXで飛び交っています。
人の一生を砂時計にたとえたこの言葉が、なぜこれほど多くの人の心に引っかかったのでしょうか?
11月2日、グループ企業のFX自動売買用サーバー「お名前.com デスクトップクラウド」への不正アクセスを巡って、GMOインターネットグループが記者会見を開きました。
その席で熊谷正寿代表が繰り返したのがこの言葉で、午後6時半ごろにはXのトレンドに入っていました。
会見への評価は分かれていて、笑いの種にされている面もありますが、言葉だけを取り出してみると、地上の時間についての霊的な真理をよく言い当てています。
命の砂時計とは、会見で何が語られたのか
熊谷代表は、会見でAIや経営の話に長く時間を割いた理由を記者に聞かれて、命の砂時計を何に捧げるかが人生で、自分はインターネットとグループに捧げていると答えています。
前と重なる質問には、同じ答えを繰り返すと皆様の命の砂時計を無駄遣いしてしまう、とも返していました。
もともと以前から使っていた言葉で、5月にはXに「命の砂時計は、夢だけに注げ。」と投稿しています。
Xでは回数への突っ込みや、流行語大賞に推す声、会見を見て自分の砂時計を無駄にしたという皮肉まで、たくさんの反応が出ました。
謝罪の場にふさわしい言葉だったかどうかは、また別に問われる事です。
被害に遭われた方は、お金だけでなく、対応に追われる時間と心労まで削られていますから、一日も早く平穏を取り戻されることを願います。
タイムイズマネーでは測れない地上の時間
時は金なり、タイムイズマネーという言葉は、アメリカのベンジャミン・フランクリンが若い商人に向けて書いた助言の一節として知られています。
怠けて過ごした半日は、その分の稼ぎを捨てたのと同じだという教えです。
勤勉を説いた言葉としては正しいのですが、霊的に見ると順番が逆になっています。
お金は失っても、また稼ぐ事が出来ます。
一度落ちた砂は、どれだけお金を積んでも砂時計の上に戻せません。
時間をお金に換算するという考え方は、目に見えるものだけを実在とする唯物論の物差しで、命の値打ちをお金の側に寄せて測っている事になります。
あの世へは、お金を一円も持って帰れません。
持って帰れるのは、この世で何を思い、誰を愛し、何に命の時間を注いだかという、魂に刻まれた経験だけです。
臨死体験をした人の記録には、自分の一生を一瞬のうちに見せられたという話がたくさん残っています。
そこで振り返らされたのは、いくら稼いだかではなく、人にどう接し、どれだけ愛したかだったと語る人がほとんどです。
霊界通信の中でも、あの世に帰った魂がまず向き合うのは、地上で過ごした時間の中身だと伝えられています。
時は金なりではなく、時は命なりと言い換えたほうが、地上の時間の正体に近いのです。
霊的に見ると、限りがあるから地上は学びの場になる
霊界から見ると、地上の時間はとても特別なものです。
あの世は思いがそのまま形になる世界で、同じ波長の魂同士が集まって暮らしています。
心が通じ合う者同士なので居心地は良いのですが、考えの違う相手とぶつかって揉まれる経験がほとんどありません。
地上は、生まれも考え方もまるで違う魂が一つの場所に集められた、合宿所のようなところです。
しかも合宿には期限があって、終わりの日がいつ来るのかは本人にも知らされていません。
もし地上の命が永遠に続くなら、謝るのも、許すのも、挑戦するのも、いつでも出来るからと先送りにしてしまうはずです。
砂が落ち続けているから、今日のうちに言っておくべき言葉があり、今のうちに会っておくべき人がいます。
命の尊さは、この限りの中から生まれています。
霊界の側では、地上に生まれたいと願う魂が順番を待っていて、肉体をいただける機会は誰にでも気軽に与えられるわけではありません。
限りある時間で学ぶために、魂は自分から望んでこの世に降りてきたのです。
無駄にした砂は、本当に無駄だったのか
会見を見て命の砂時計を無駄にした、という皮肉も流れていましたが、魂の目から見ると、まったく無駄になる時間というのはありません。
遠回りに見えた時間が、あとで意味を持つ事はよくあります。
私自身、長く本を出したいと願っていて、出版が決まりかけた事が二度ありました。
どちらもこちらの意向が反映されない部分があったので、無理に進めずに見送りました。
願いを持ち続けた結果、やがて別の出版社から出版が実現しています。
この世の思いで押し通すよりも、天の流れに任せたほうが良い場合があると、あの経験から教えられています。
待っている間も砂は確かに落ちていましたが、魂の側では育つものがありました。
ただ、無駄にならないというのは、何をしても同じという意味ではありません。
人を恨み続けて過ごした一年と、許そうともがいた一年とでは、同じ量の砂が落ちても、魂に残るものがまるで違います。
一粒の砂に何を込めるかを選べるのは、地上に生きている間だけです。
今日の一粒を何に注ぐか
命の砂時計は、誰の手元にも一つずつ置かれています。
残りの砂が見えないのは、見えないほうが魂が学べるように、霊的な計画として伏せられているからです。
先延ばしにしているありがとうやごめんなさいがあるなら、今日のうちに伝えてみてください。
スマホを眺めているうちに一日が終わってしまう事は誰にでもありますが、その時間の一部を家族と話す事や祈りの時間にまわすだけで、砂の使い道は変わります。
寝る前に、今日の砂を何に注いだかを一つだけ思い返すと、明日の一粒の使い方が自然と変わってきます。
命の砂時計とは、地上の時間に限りがあるという事を、目に見える形にした言葉です。
時間はお金に換えるものではなく、魂がこの世で学ぶために与えられた命そのものだと、霊的に見るとよく分かります。
限りがあるからこそ、今日という一日が尊いのです。
みなさまも、残りの砂を数えて不安になるより、今日の一粒を光の側に注いでいかれてください。
最後の一粒が落ちる日に、魂が満ち足りた思いで光の世界へ帰っていけるよう、祈っています。
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