2018年4月23日月曜日

人間関係の不和の原因 違いを認められる社会へ


 

ベストセラーとなった「嫌われる勇気」などの本で、日本でもブームとなっている、アドラー心理学では、人間の悩みのすべては対人関係の悩みであると言われています


全てではありませんが、たしかに人間の悩みの多くは、対人関係の悩みでしょう

対人関係で問題となるのは、人それぞれに物の見方が違っていることが原因でることが多いです

同じ物事を見ているのに、人によってその受け止め方や、感じ方が違ってくるため、見方が変わり、意見の対立となることがあります

見方の違いにより、身近で言えば、周囲の人と意見が合わずに口論になることもありますし、大きくは戦争が起こる原因も、両者の見方が違うための場合があります

意見の違いが出る理由のたとえとして、群盲象を評すという話があります

何人かの人を集めて、皆に目隠しをしてもらいます

そして動物の象を手で触ってもらい、どのような動物かを説明してくれるようにします

すると、象の鼻を触った人は、これは長いホースのような生き物だと言います

耳を触った人は、平べったい団扇のような生き物だというでしょう

足を触った人は、丸太のような生き物と言います

お腹を触った人は、太鼓のような生き物というでしょう

そのように、同じ動物の象を触っても、その一部しか理解できていないと、お互いに違ったことを言って、意見が分かれます

象を触って評した人は、それぞれ間違ったことは言っていないのですが、自分が正しくて、他人は間違いだと思ってしまうでしょう

頑固な人は、自分こそ正しくて、他の人は間違ったことを言っていると攻撃してくるでしょう

このように、それぞれに一部分は正しいことを言っている場合は、「自分は正しい、違った意見の人は間違いだ」と思いがちです

政治の意見などを聴いていても、それぞれ対立している団体は、一部は正しくても、その他は違っているのに、「自分こそ正しくて、相手は間違っている」と互いに批判しあっていることがあります

私たちの日常でも、一部だけの正しさを理解しているだけで、その他の全体像が分からないのに、相手は間違っていると批判していることがあります

人間が互いに調和していくためには、自分が正しく、相手は間違いだという思い込みをなるべく減らして、相手の中の正しさも発見するようにしていかなくてはならないでしょう


違いを認められる社会へ



上記記事で人間関係の不和の原因には、相手の立場を理解できなかったり、自分が正しいと思い込んでいると、正しさの一面だけを捉えて、他の面を理解できずに相手を間違っていると直ぐに判断してしまう人間の傾向性があることを書きました

正しさというのは、一つの面だけではなくて、多様な要素が含まれていることがるのです

「群盲象を評す」の寓話のように、象の鼻を触った人にとっては、象とは大蛇のような長い体を持った生き物と思えます

別な人が象の足を触って、象は丸太のような形をした生き物だというのを、間違いで大蛇のような姿が正しいと、相手を批判するような状況が多くあります

それぞれに真理の一面のみの正しさを理解して、自分が正しくて、他人は間違いだとすぐに勘違いしてしまうことが、社会の対立や不和の原因になっていることが多いです

そうしたものを乗り越えていくためには、価値観の違いや、個性、考え方の違いを認めていかなくてはなりません

たとえば、頭がよくて勉強できる人は、他人の頭の善し悪しでその人を評価しがちですが、知性が発達している人は、感性が鈍っていて、愛情などが希薄になっていく傾向があります

感性が鋭い方ですと、愛情豊かな人も多いですが、知性の高い人を冷たい人間だと判断していくでしょう

社交的で人との交流が得意な人は、内向的な人をネクラでつまらない人物と判断するかもしれませんが、内向的な人は文学などの人の心の機微を捉えた作品を、深く味わえる感覚を持っていることが多いです

内向的な人からすると、ずけずけと積極的に人と交流する人は、ガサツで人の気持ちを深く考えられないと思う人も、自分から積極的に物事に当たっていって、道を切り開いたり、壁を突破する能力に優れていることがあります

そのように、人は自分の性質から他人を見て、理解せずに批判したり、逆にうらやましいと劣等感を持つ人もいるでしょうが、それぞれに長所と短所があって、個性が違うことでお互いに支えあって世の中を動かしているのです

一つの特徴だけを物差しにした社会は、いびつとなり、歯車が狂ってきて壊れてしまいます

知性だけを物差しとする社会では、冷酷な社会となって、文化の発展もなく、ロボットに置き換えられるような人間味の無くなる社会となるでしょう

感性のみの物差しの社会では、物事が決まらずに、社会の進歩も止まり、文明も衰退していって、原始の社会に人は戻っていってしまうでしょう

様々な人がいて、様々な考え方や個性や価値観を持っていることで、それぞれが社会の役に立って、世の中は動いていっています

価値観の違いを認められる社会でこそ、私たちは健全な成長を遂げていけます


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4 件のコメント:

  1. 目から鱗のお話をありございます。
    本当にそうですよね^_^
    自分の感じ方が全てではないって事…
    氷山の一角って例えにも似てますかね
    心に響きました。

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  2. 今まさに自分にいえる記事だなと
    いつもためになる記事をありがとうございます

    お互いちがう意見があってもイイ
    ちがう意見であっても尊重しあいたい
    そう自分はかっこつけて思ってましたが
    どこかにこの記事に書いてあるように
    自分が正しく、相手は間違いだという思い上がりの考えが根本にあったのかなぁ。。。と
    相手を不愉快にさせてまで意見を言うのはいけないなぁとショボンとなって反省中です

    このブログがとても好きで日課のように毎日とても楽しみにのぞきにきてしまいます
    とても勉強になりますありがとうございました(*'▽'*)



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  3. AIで人を適格な人物を選別する就職採用システムが普及するかもしれないとゆう話がありますが、人格無視の人採用には恐ろしく感じます。
    知性ばかりに頼って、行き着く先にはロボットの管理下なんてことにならないようにしてもらいだいです。

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  4. つまりは、どれも間違っていないのに、その正しさ以外をイコール間違いとしていることが、過ちの入り口ということですね?

    それぞれが誠意を持った発信し、違いと言えば、触った場所となるその根拠。
    それを互いに否定し合うといった、愚かな行為。

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