2018年4月7日土曜日

愛するものとの出会いと別れのスピリチュアルな意味



出会いと別れ、生と死を繰り返す意味スピリチュアルメッセージ


すべての人に魂の歴史があり、秘められたドラマがあります

様々なる出会いの中で、傷つけあったことも、悲しみや喜びを分かち合うこともあったでしょう


永遠の愛を誓った二人が、生まれ変わって偶然のように出会い、過去世のことも忘れていながら、知らず知らずに惹かれあうこともあります

ライバル同士として生きてきた者同士が生まれ変わり、今度は同じチームとして仲間として働くこともあります

人は空に記憶を置いてきて地上に降りてきて、多様な出会いの中でドラマを演じます

事件が何も起こらないテレビのドラマを見ても、楽しくないと感じて飽きてしまうでしょう

また、先の読めるドラマも、ハラハラドキドキが無くて面白くないと感じます

ですから、私たち人間は、生きているうちに様々なる事件が起こり、先の分からない人生を生きています

それは空で自ら望んだ結果の出来事

自分の人生をしっかりと味わい、エンジョイするために、記憶を消し、親しき魂と地上で仮の出会いを体験し、出会いや別れ、喜びや悲しみ、泣いたり笑ったり、怒ったり悲しんだり、様々な感情を経験するために、知らない出来事が起こってきます

なぜ人は地上で永遠に生きられず、死と再生を繰り返すのかと疑問に思う人もいるでしょう

この世において長く生き続けると、人は出来事に新鮮さを失い、感動と喜びが減ってきてしまうのです

子供の頃ははじめて動物園や水族館で不思議な生き物を見ては感動し、はじめて体験する出来事に、よくワクワクドキドキしていたのを覚えていますか?

私たちはいつのまにか日々の感動が薄らいできています

いつからでしょう、雪を見ても喜びがわかなくなったのは

いつからでしょう、乗り物に乗ってもドキドキしなくなったのは

どんなに愛する者同士であっても、長い月日の中で、いつの間にか当たり前にある存在と思えてきます

そして死別などの別れを経験してこそ、そのありがたさを再確認させられます

人は経験を積むことで賢くなってきますが、魂は感動が薄らいでいってしまいます

ですから人は、一時の間だけ地上に降り、また空へと、魂の故郷へと帰っていくのです

そしてまた人は空から地上へと降りてきます

すべてを忘れて、感動を味わうために


愛するものとの出会いと別れのスピリチュアルな意味


降りてきたメッセージを書き留めます

人は愛するものと出会い、そして別れを経験します

運命の赤い糸と表現される、人との出会いはあるのでしょうか



人は生まれてくる前に、霊界と呼ばれる、肉体の無い、精神だけの存在として生きています

そこでは愛するものとの永遠の繋がりのある世界でもあります

そうした世界から、人はすべての記憶をなくし、この暗くて辛い世界へと舞い降りるのです

なぜ、このような肉体の世界に人は舞い降りるのでしょう

それは、光の世界で誓った約束をはたすため

人は、この世に生まれ合わせる時に、愛するものたちとの約束を交わして生まれてきます

その人は、恋人であったり、家族であったり、中には憎い人として、あるいはライバルとして現れることもあります

人は遠い日の約束を忘れて、この世での出会いと別れを経験します

時代は変わり、文明は変化し、移ろい行く世の中で、変わらないもの、永遠なるものを求めて旅を続ける旅人のように、生まれ変わり死に変わり、輪廻を繰り返し、愛するものと出会い、そして別れます

永遠に愛するものたちと、繋がった世界では、出会いの感動も、別れの悲しみも、経験することが出来ません

別れは辛く悲しく感じますが、それによって相手が自分にとってどれだけ大切な存在であったかを再確認される経験ともなります

光の世界で、愛するものと再会できたときの喜び、その感動を体験するために、人はまた、思いを忘れ、約束をテーブルの下へ隠して、この地上へと降り立ってきます

また、愛するものと出会うために、あの約束を果たすために


愛する者との別れ キサー・ゴータミーの話


キサー・ゴータミーの話

昔々インドにキサーゴータミーという女性がいました

彼女は結婚するとまもなく、かわいい男の子を授かりました

ゴータミーは大変この子を愛しかわいがり、大切に育てていました

しかし、男の子がようやく歩けるようになった可愛い盛りの時に、その子は突然死んでしまったのです

ゴータミーは愛するわが子の突然の死を受け入れられず、半狂乱の状態になってしまいました

ゴータミーは、死んだ愛児を抱きかかえ、

「誰か、この子を生き返らせる薬を下さい」と言って、町じゅうを歩き回ったのです

こまった町の人は、お釈迦様という偉大な方がおられるから、その人に聞いてみなさいと言います

早速、お釈迦様のもとを訪ねていったゴータミーは言いました

「どうか、この子を生き返らせる薬を下さい」

するとブッダはこう言いました

「ゴータミーよ、よく聞きなさい。それでは今から町に行き、家々を訪ね、まだ一人の死者も出したことのない家から、芥子の粒をもらってきなさい。そうすれば、生き返らせる薬を作ってあげよう」

ゴータミーは言われた通りに、必死になって一軒一軒訪ねて廻りました

しかし、死人を出した事のない家などありません

「先日、おじいさまが亡くなったばかりで・・・」「うちでは去年、愛児を亡くしました」

ゴータミーはきっと村人からそんなことを聞かされ続けたでしょう

そのうちようやくゴータミーは、こころを落ち着けて、お釈迦様の言われた言葉の意味が心に沁みてきました

「愛する我が子よ、わたしは今まであなたが一人だけ死んでしまったとばかり思っていました。でも生まれてきた者はいずれ皆死ぬのが定めなのです」


普通の宗教ならば、ここで奇跡でもおこして、死者が生き返ったとなるかもしれませんが、お釈迦様は、自身で自覚するように導き理を説いて人を諭されます。

煌びやかな奇跡物語よりも、輝いて見えるお話しです


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2 件のコメント:

  1. いつもありがとうございます。
    『袖触れ合うも多生の縁』繋がっているのですね。
    出逢いがあれば、お別れがあり辛いけれど、心と心が💖愛で繋がっているのですね。癒されます。
    辛い別れがあるからこそ、再会の喜びで、魂がより一層、光り輝くのですね✨
    生まれる前に、このタイミングで再会しましょうと、約束してくるのですね。
    きっと、神様も再会の祝福のシャワーを降り注いでくれているのでしょうね✨
    感謝です✨🍀✨

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  2. 辛いのは皆同じ。
    それを乗り越えて、生きているのですね。

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