2020年1月20日月曜日

年代ごとの幸せの見つけ方



人間には年代ごとにそれぞれの幸せがあると思います

それを見失っていると、幸せを逃していくのではないでしょうか



今日は年齢ごとの幸せについて考えてみます

一昨日は人生の運勢の流れという事でライフサイクルの話しをして、古代インドの思想や発達心理学のエリクソン氏の説を紹介しました

少し難しかったかと思いますが、自分人生の時期を考える機会にはなるだろうと思います

せっかくですから、もうひとつ、有名な孔子の年齢ごとの人生観について紹介してみます

「論語」にある有名な言葉で「吾、十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども、のりをこえず。」というものがあります

これは弟子に対して、孔子が自分の人生をふりかえって、年齢ごとにどのような思いで生きていたのかを説いたものです

まず十五歳にして学問を志したと言います

真剣に学問を探求し始めて、真理を学ぼうと考えていた時期だということですね

次に三十歳にして立つと言っています

今までの学びをもとに、自分の考えを持ち、精神的に自立した状態をいうのでしょう

次は四十歳にして惑わずですね

人生の迷いを捨て、自分の道に突き進むようになった心境を示しています

日本でも四十は不惑の年と言われれるのは、この孔子の言葉から来ています

そして五十歳にして天命を知ると言います

ご自身の使命を悟ったということですね

天命を知るのが五十歳というのは、すこし遅いように感じられ、不惑より前に天命を知るのが普通ではないかと思われますが、おそらくは歴史におけるご自身の立ち位置を明確に悟られたのだと思います

孔子の説く儒教は後に発展して多くの人に影響を与えていきますが、そうした歴史を自身で自覚されたのではないかと思われます

次に六十歳にして耳順うとあります

普通であれば年を取るにしたがって頑固になっていき、人の意見に耳を貸さなくなってくるものですが、孔子は六十にして耳順うようになったと言います

とらわれを捨てて、素直に道理に従い、柔軟な心を持ち続ける事を意味しているのでしょう

最後に七十歳にして、心の欲する所に従えどものりをこえずと言います

自分の勝手に動いているように見えても、すべてが道理にかない、真理からはずれないことを言います

自由自在の境地を手に入れたという事ですね

このようにして孔子はご自身の事を語りつつ、各年齢での心の在り方を説いて、それに準じる事で幸福な生き方をする道を説いたのでしょう

「自分はその時期どうだっただろうか?」など、自分の人生を振り返るきっかけになるかと思います

それでは各年齢ごとの幸せについて私なりに考えてみたいと思います

まず私たちが生まれたての話しです

もうその時の記憶を持つ人はごくわずかしかいないでしょう

ほとんど失われてしまった記憶の領域です

その時期を誕生期と名付けてみます

その時私たちは、母親などの育ててくれる存在の愛情に包まれて生きている事の幸せを感じていました

いろんな事情や家庭環境はあるでしょうが、こうして大人になるまで育ったという事は、死なないようにミルクをあげたり、おむつ替えなどの世話をして人がいるはずです

そうした愛情の中で私たちは包まれて育ちました

純粋に愛を受け取る事の幸せを感じていた時期です

次に幼児期に入ります

ある程度自我が芽生えてくる時期で、自分で動き回ったりするようになります

この時期の私たちは、新鮮な世界の刺激に喜びを感じて生きています

触るモノ見るモノすべてが新鮮なのです

キラキラと輝く日の光を反射した水面に目が奪われたり、物たちの不思議な触感に興奮します

口の中に入ってくる食べ物の味がどれも新鮮で、すべてのものが魅力的に映ります

幼児期の私たちは、新鮮な驚きの中に生きているのです

次に学童期に入ると、私たちはいろんなことを学んでいきます

世界の仕組みが段々と分かり、世の中を意識し始めます

そして家族以外の人間を知り、自分と他人の違いを知っていきます

この時期の私たちは、優れた自分になる事を喜びとしています

何かが出来るようになれば、親や先生などが喜んでくれて、頑張って出来るようになろうと思います

純粋に向上しようとする思いの中に生きています

次に思春期に入ってきます

「自分は何者か」と考え始め、自分の将来を思いえがいていきます

将来を楽しく思い描いていく時期です

私たちには無限の可能性が開かれているように感じます

そして異性に惹かれていき、異性などの他人のなかに美しいものや良きものを発見していきます

この時期の私たちは、未来の可能性の中に生き、自分の将来への夢を思い描き、他人の中に良きものを見つけていく喜びの中にいます

次に成人期になると、私たちは社会の中に出ていきます

新たな出発の中に希望を感じます

自立して生きる事で、自分の成長を感じ、自由を手に入れた喜びを得ます

この時期の私たちは、自分の力で生きる事が出来、自分のできる事を自分で判断して生きる自由の中に生きます

そうした中で、愛する者と出会い、結婚し、子どもを授かる経験もしていきます

自分が新たな家族を作り出していき、愛するのもたちとの生活が始まっていく喜びの中にいます

そして中年期に入ります

会社の仕事は板について、部下を育成する立場になっていきます

家庭でも子供たちを育てる時を持ちます

自分より後にくる者たちを、愛情をもって育て、その成長を見守っていく喜びがあります

働きも充実してきて、優れた仕事ができる喜びと、成果を出していける時期になります

そして最後は晩年期に入ります

今まで成してきた働きが実を結び、その成果を目にし、感じる時期にあります

子どもたちは立派に成長していき、孫が生まれ繁栄する喜びがあります

あるいは今までの仕事が世間から認められて、褒められる時期でもあります

成果があらわれ、それを味わう時期に生きます

このように幾つかの時期に区切って見ましたが、それぞれの年齢の中で、人は幸せを感じていく存在です

この機会にご自身の過去をふり返って見て、見落としていた幸せを再発見してみるのもいいでしょう

幸せは幸せを呼んでくるものです

お金持ちのところにお金は集まってくると言いますが、それはお金持ちがお金を愛して大切にしているからです

幸せもちゃんと見つけ出して、大切にしているなら、あなたのもとにさらなる幸せを連れてくる事でしょう

時期を区切った年齢ごとの幸せについて書いてみました

みなさまの参考になりましたら幸いです

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2 件のコメント:

  1. 偶然にも年代を区切って人生を振り返っていました。ノートに思い付くままに書いています。年代ごとに必要な経験を与えられ、嬉しかったり、辛い思いをしていたけれど、すべて自分を成長させるために与えられたものだったのだと思うと温かい気持ちが込み上げてきました。これからも一日一日を大切にして充実した人生にしていきたいです。とてもタイムリーな話をありがとうございました。明日も楽しみにしています。

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  2. これまでの人生を振り返ってみると、その当時はとても辛かったことなども、今の自分のために必要な経験・学びだったのだということが見えてきますね。

    そう考えると、今、目の前にある苦難にも素晴らしい意味があるということ…そしてそれを、どれだけ前向きに・明るく・神様の喜ぶ形で乗り越えていけるかということだけに夢中になれば良いのだ、ということ…

    苦難の最中にいると不幸ばかりを感じますが、実は本当の幸せに繋がる道を歩いているということ。

    それを忘れずに、イエスさんの言葉を伝えるという(ときに本当に重たい十字架のようにも感じられる)重役を、まっとうしたいと思います٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

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