2019年12月27日金曜日

愛と宇宙のスピリチュアルな法則と経済


愛という言葉は抽象的で、何ら実体のないもののように、地上にいる私たちには感じられます

ですが、あの世の世界から見ると、愛ははっきりと存在するエネルギーであり、光そのものが愛のエネルギーとして感じられます

世の中の役に立って、人々を善導していく偉大なリーダーには、光が射しているように感じられるでしょうが、それは彼らが神仏の愛の光を受けているからだといえます

神仏の心に合った心持をしていて、多くの人の導きとなる人は、神仏に愛され、その愛が光となって降り注ぎます

そのように、宇宙の法則として、神仏の心に親和性を持ってくると、その愛の力である霊的な光が多く流れて集まってくるというものがあります

神仏の心は、人々を慈しむ気持ちで満ちていますから、同じような気持ちを持った人には、多くの霊的な光が降りてくるようになります

普通、人に何かを与えたら、それだけ自分の取り分が減ってしまうように思えるでしょう

この世の物質であればそのとおりで、他人に取られた分は、自分の取り分が減って見えます

ですが、霊的世界では、人に愛を与えれば、それだけ自分にも何れ返ってくることとなります

それは神仏からの光を受け取ると言っていいでしょう

人に与えた分は、やがて自らに返ってくるのが宇宙の法則です

人に愛を与えると、その与えられた人も愛を受け取りますし、与えた方も神仏から愛を受けますので、愛の総量は二倍に増えます

そのように与えれば与えるほど、世の中は豊かになり、愛の総量は増えていくのです

ですが、愛に執着し、それは自分の物だと言って手放さずにいると、愛の流通は減っていき、愛の総量は世界の中で減っていくのです

それは経済でも人がお金に執着し、使わずに貯めてばかりいると、お金の流通が滞ってしまって、不況になるのと似ています

景気がよいとはどのような事かというと、お金がよく流れていることを言います

お金の流れが滞ってしまうと、世の中は不況になっていくのです

愛についても似ていて、人々が愛を独占したがり、他人に渡さないようにしていると、世の中の愛の流通量が減ってきてしまって、いろいろな不幸を呼び起こすようになります

愛に執着し、自分の物として手放さずにいる人もいれば、愛を人から取っていこうとばかりする人もいます

たとえば、不平不満や愚痴などを述べて、人から同情を得ようとするのも、人から愛を取っていこうとする行為です

自分に与えられた愛の量が少ないと感じて、人から得ようとして必死になってしまいます

あるいは、地位や名誉など、必死になって得ようとする人も多いでしょう

それは人から愛を得ているといえます

もちろん一生懸命努力して、栄誉を得るのはよいですが、与えられたら、その分をお返しするように考えないといけないでしょう

成功したのは、自分一人の力ではなくて、周りの人々の支えや、見えない存在のサポートがあったからで、そうした者への感謝を忘れて、世の中に何らかのお返しをせずに、受けるだけであれば、世の中から愛の量を減らしていってしまう結果となります

どれだけの人が愛の自家発電をして、周りへと分け与えていけるかで、世の中は変わっていきます

得ようとする者、執着して手放さずにいる者が増えれば、世の中は暗くなっていきますし、与える者、供給していく者が増えれば、世の中は明るい世界になっていきます

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7 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

素晴らしいお言葉です。全宇宙の根源となるこの事実に世界中の誰もが気付いて、各々が愛の自家発電を行っていける世の中になることをお祈りします。ありがとうございます。

匿名 さんのコメント...

良いこと言いますね!

ゆるふわ。 さんのコメント...

そもそも創造主が愛のエネルギーでできていて、ご自身の愛のエネルギーを使って宇宙や私たちの魂を創られましたので、私たちも草木も同じ愛のエネルギーでできています(見た目が違うのは、エネルギーの振動数が違うだけです)。

私たちの心臓が動いたり意識を持ってきちんと考えたり判断したりできるのも、創造主である神様が私たちの魂へ愛のエネルギーを常に送ってくれているからで、そのエネルギーが断たれたら私たちは死んでしまいます…だから、生きているときも死んだあとも、魂がある限り私たちは24時間365日いつも神様に愛されていることになります。

でも、私たちが勝手につけ始めた自分中心のエゴはなんと、神様からの愛のエネルギーをブロックしたり跳ね返したりしてしまいます。

よって、神様に愛されているにもかかわらずそのエネルギーを受け取れず、そのせいで深い孤独感に苦しんだり、怒りに任せて人を殺してしまったり、子どもを虐待してしまったり…愛のない、とんでもない事態を引き起こしてしまうのです。

でも、エゴが少ない人は純粋で、いつも神様の愛のエネルギーを無意識に受け取っていますので、とてもあたたかく思いやりにあふれていて、本当の厳しさや優しさをもお持ちです。

よって自分中心のエゴを捨てさえすれば、誰でも神様の愛のエネルギーをふんだんに受け取るようになるのでそのあたたかさが世界に広がって、みんなが幸せを感じながら・助け合い満たしあいながら生きられるようになるのです。

では、どうやってそのエゴを捨てればいいのか…そこには大切なコツがたくさんあります。
それをブログでご紹介していますので、1人でも多くの方に試してもらって、これなら本当にあたたかくなる、満たされる!という実感を味わっていただけたならと願います。

そのためにも命をかけてイエスさんの言葉を受け取り、翻訳しながらブログに書いていますので、これからも頑張ります(#^.^#)

匿名 さんのコメント...

ちょっと、自分の就職について悶々としていたのですが、 気づきました。
自分のできるしご能力や特徴も世の中に供給することかと。
自分本位な希望ばかりではなくて、求められた所で一生懸命になってみようかと。

匿名 さんのコメント...

昔から『因果応報』と言われておりますね。反作用のない『善因善果』を目指して暮らしたいです。

匿名 さんのコメント...

子どもの頃、あまりよい家庭環境ではなかった等でよく暗い顔をしていたと思います。(学校で「貞子」と呼ばれたこともありました。暗い顔をしていたことも原因かいじめにあいやすかった)今ではスピリチュアルを学び、周囲を暗くしないようにという愛で無理やりでも明るく笑顔でいましたら、対人関係がよくなったと感じていまして、スピリチュアルとであったことやこちらのブログに大変感謝を致しております。m(_ _)m

匿名 さんのコメント...

このお話は、どなたにも実践できることです。心がけると人間は変わってゆけます。
貴重なお話、ありがとうございました。

今後のコメントは X(旧Twitter)にてお待ちしております。