2017年7月13日木曜日

人類の創生と宇宙人の存在


沖縄本島の北部に位置する古宇利島には「沖縄版アダムとイヴ」と呼ばれる伝承があります



遠い昔に、古宇利島に天空から男女二人の子供が降りてきました

彼らは着るものもなく裸で生活していて、毎日天から落ちてくる餅を食べて幸福に暮らしていました

二人は最初は空から餅が落ちてくることに疑問を抱かずに暮らしていましたが、ある日、餅が降らなくなったらどうしようと不安が芽生え、少しずつお餅を食べ残して保管しました

ところが二人が貯えを始めると、空から餅は降らなくなってしまいました

二人は天の月に向かい声を嗄らして歌いましたが、餅は二度と降ってくることはありませんでした

そこで二人は浜で生活するようになり、魚や貝を捕って暮らし、生活と労働の苦しみを知ります

また、ジュゴンの交尾を見て男女の違いを意識しはじめ、恥部をクバの葉で隠すようになりました

この二人の子孫が増え琉球人の祖となった、と云う神話があります

はじめは裸で暮らして、恥ずかしさを知らなかったのが、ある時から葉っぱで隠すようになったという話は旧約聖書に出てくるアダムとイブの話に似ています

アダムとイブは、楽園になる知恵の木の実を食べてから恥ずかしくなって葉っぱで隠し、それを知った神様から楽園を追われるという話です

アダムとイブも、楽園エデンに住んでいたころは何不自由なく暮らしていなのですが、失楽園によって、労働の苦しみを負うようになります

古宇利島の神話は、アダムとイブの物語に類似しています

また、旧約聖書の出エジプトにも類似性が見られます

エジプトで奴隷の生活をおくっていたアブラハムの子孫たちは、指導者モーゼのもとで、出エジプトを行います

苦役のエジプトを逃れて、乳と蜜とに溢れる楽園のようなカナンの地を目指すという、失楽園の反対の、楽園への回帰のような出来事です

そこで、出エジプトを行った一行のもとに、食糧危機が訪れます

モーセが神に祈ると、民を食べさせるために空からマナという食べ物を降ろされたといます

それは蜜を含んだ煎餅のように甘く、白い食べ物だったと言われます

神は毎日マナを降らせて、民を養っていなのですが、それを翌日まで取っておくと、腐って虫が沸いたといわれます

古宇利島の神話でも、ため置いたら天からの食料が降らなくなったと言われていますので、ここでも類似性があるでしょう

こうした古宇利島の神話や、アダムとイブの物語、そして出エジプトの物語には類似性があるわけですが、それはなぜでしょうか?

実は、古代において、人類の創成期や民族の誕生時には、宇宙からの介入があって、人類が滅びないように、見張られていたと思われるのです

数が増えていって安定するまでは、宇宙人が食料の供給まで見ていたことをあらわすのではないでしょうか

古宇利島の男女二人が空から降りてきたというのも、宇宙人の存在を感じさせるものです

おそらく古代においては、宇宙人による介入があたのだという話が伝わって出てきたものと思います

関連記事

↓ブログランキング参加しています。応援クリックいただけたら幸いです

スピリチュアル ブログランキングへ


1 件のコメント:

  1. 洪先生。私としては、助けてくれた異星人は、神様に信頼されていたのかもしれません。それと、神様によるアダム様とイヴ様の失楽園の解釈としましては、生きる知恵や知識を身につけただろうという判断によって外へ行かせたというところです。つまり、追い出したのではなく、修行(生きる事の意味を知る為の)に出させたという見方です。おそらく、自殺が罪である事の意味や理由もそこにあるのではないのでしょうか。

    返信削除

コメントは管理人の承認後に表示されます