2017年6月22日木曜日

臓器移植で記憶が移る?の霊的意味



テレビを拝見していますと、心臓移植を受けた方が、その後に趣味や性格が変わったり、運動能力が変わるなどの話がありました

いずれも臓器提供者の生前の性格や性質に似た変化が訪れるというものです

たとえば、今まで運動を全然していなかった人が、心臓移植を受けて、その後にトライアスロンに出場するようになり、次々と優勝したり、好成績をあげたという話を番組で取り上げていました

あるいは提供を受けた人と、提供者の家族が会って、その時に提供者の家族しか意味の通じない単語を、その提供を受けた青年が語ったなどの話をしていました

これは現代医学からすると無視されるか、あるいは臓器にも脳神経に似た何らかの記憶があるのではないかと考えるくらいかと思います

実はこれは、一種の憑依現象が起こっているものと言えます

臓器提供者が、まだその人の心臓なり、臓器の一部が別な人の身体で生きているため、その臓器とともに、同じ肉体に入り込んでいると考えられます

それで臓器提供者の性格なり、記憶の一部が出てきているのでしょう

たしかに提供者の肉体の一部は、まだ残されて活動していますので、あの世に旅立てずに憑依してしまうということはあると思います

本人にとっては正当な理由があると主張出来るでしょう

医学が発達した分、霊的な事実は取り残されていますので、混乱が起こっているように感じられます

科学の発展とともに、もっと霊的な真実が知られていくべきなのだと思います

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5 件のコメント:

  1. >正当な理由があると主張できる

    お咎めはないのでしょうか?

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  2. 脳死の際 全ての臓器を提供するつもりです
    魂の意志により 脳死の時点で肉体を離れることは不可能ですか

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  3. 脳死の状態をどうみるか。この問題にも関係してくると思います。心臓が停止して死亡が確認された後もなお、魂は肉体を出たり入ったりしており、お通夜は魂の自覚を促し肉体を離れるのを待つ時間だと聞いたことがあります。
    ましてや脳死のみの肉体には確実にまだ魂が宿っているのでしょうから、そこから色々と臓器を取り出されるとなると、無念の念が執着になりうるのですかね。
    いくら生前に臓器提供を宣言していても、魂的に苦痛を伴ったり執着が残ったりするとなると、果たしてそれが善いことなのか。悩ましいところです。

    この世では臓器提供が誰かの役に立つ善行として捉えられていますが、私は意思表示カードで全て拒否にしております。
    それは霊的に見て、自分可愛さの保身となるのでしょうか?神様は悲しまれるのでしょうか?とても触れにくい問題ですが、洪さんのお考えがお聞き出来れば幸いです。

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  4. というこことは、霊的な見地からすると、臓器移植は神の摂理に反するということでしょうか。臓器移植による治療において、臓器の提供を祈る患者さんや家族の気持ちは分かりますが、それって誰かの死を間接的に願うことですよね。アメリカではドナー登録した本人の意思が尊重され、家族の意思はあまり尊重されないようです。それによって、脳死と判断された青年の父親が息子を臓器摘出手術に連れて行かせまいと、拳銃を持って病室に立て篭もった事件も有名ですよね。その後息子さんは意識を取り戻して生還。しかし父親は逮捕されました。人間が脳死の判断を下すことも果たしてそのような権限が神から与えられているのかという疑問もあります。しかし、メディアでは臓器移植による美談も多く取り上げられています。どうか、霊的見地、神の摂理から見た臓器移植について教えていただけますか?

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  5. 「死肌剥ぎ、生肌剥ぎは厳禁」とは仏教の教えの一つだったと聞きました。
    私は決して臓器移植はしません。もらうことも差し上げることも。

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