2018年5月21日月曜日

忘れていた愛と使命を思い出すこと 愛のスピリチュアルメッセージ集


忘れていた愛と使命を思い出すこと



わたしたちは、あの世での記憶を置いてきて、地上へと生まれてきます


でも決して忘れないようにと、誓い合って生まれてくることがあります

愛する者への思いと、生まれてきた使命です

幾転生を通して、何度も助け合い、愛し合った者たちが、再び地上で巡り合い、共に手を携えて、地上にて生きようと願います

その願いは、すべての記憶を失ったとしても、心の奥底に、ずっとずっと深いところに、微かに息づいています

種が芽を出す時期を、ひたすら暗い地中で待っているように、その記憶は、思い出す時を待ちます

やがて約束の相手と出会い、種子から出た芽はハートを内側からノックします

私たちは平凡な生活を送っているように思いながら、実は幾万年と、遥かな時を超えた、ドラマの中を生きています

地上で語られるどのような壮大なドラマよりも、ずっと長く深いストーリーの河を下っています

そして自分が何ゆえに地上に生まれてきたのか、どのような使命をもって降りてきたのか、自らの使命に気づかずにいます

大地に埋もれた種子が、いまだに芽吹かずに冬眠しているのです

人を愛するために生まれてきたことを忘れ、人を恨み、怒りの思いをもって生きてしまいます

光をこの世にもたらす使命を忘れ、闇に沈み、闇の中を生きてしまいます

思い出してください、何のために生まれてきたかを

あの世でどのような約束をして地上に降りてきたのかを

真理は大地に雨水をもたらし、眠っていた種子を目覚めさせます



愛とは何でしょう? スピリチュアルメッセージ



愛は地の塩のようなものです

塩が無ければ料理に味が無く、日々の糧を食すのもまさに味気ないものとなってしまいます

塩があるからこそ人は食事を味わって美味しくいただけます

愛が無ければ人のなす行いもその価値が失われます

たとえどれだけ優れた行いをなそうとも、人々から賞賛されようとも、そこに愛が無ければ何と空しい行為でしょうか

人のなす行いは、内に愛があるからこそ価値のあるものとなるのです

たとえ人々に善行をなし、貧しきものに施し、病める者を慰めようと、その内に愛無く、自らを飾り立てる気持ちで行っているのなら、それらの善行は空しいものとなります

愛の思いは、みなさんの価値を高め、日々の行いの価値、人生の価値を高めてくれます

それは人生を味わい深いものとする塩のようなものです

もしも愛が無ければ人生は何と味気ないものとなるでしょうか

人々は砂を噛むように、空虚さを感じながら日々を過ごさなくてはならないでしょう



人はなぜ人を愛するのか スピリチュアルメッセージ



何故人は人を愛するのでしょうか?

ひとはひとに愛の気持ちをいだきます。

それは異性であったり、家族であったり、
まったく自分とは利害の関係の無い人であるかもしれません。

人はなぜ愛するのか?

さまざまに人は愛の形をもって生きていきます。

愛することが良いことだと後天的に教えられたからそうするのではなく、
自然な感情として人間の内に生まれ持って込められているように思えるのです。

ではなぜひとは愛の思いを持っているのでしょう?

それはかつて、忘れ去られるほど遠い昔に、
すべてのものが一つであった事実があり、
その唯一の光りが、プリズムにかけられたかのように、
様々な色の光りに分離して来た事実を含んでいると思います。

かつて一つであったものたちが、
引き寄せあい、再び結びつこうとする力、
この力のことを愛と呼んでいると言えます。

始原の存在へと帰りたいという思い、
分かれたもの同士がお互いに引き寄せあう思いが
愛として宇宙に見えない糸のように張り巡り、
無限に拡散し続ける空間を押しとどめています。

ひとは一人であったときには、自らの性質を知りえません。

自分とは違う他者がいることで、
自分とは何かを自覚し得るのです。

ですので始原から分かれ来て、
様々に分離してきたこと自体も
私たちへの愛であり慈悲であったとおもいます。

ですが人は、他者の存在によって
傷つき、悩み、苦しみの元とします。

他者がいることそのものが
愛であり幸せであることを忘れてしまいがちではないでしょうか。

もしも人間が何も無い宇宙空間で
一人孤独に存在するとするなら、
それは拷問に等しい苦痛かもしれません。

私たちは、自分と違う他者がいることで
自分を知り、お互いを磨きあい、
向上し合える環境を手に入れました。

それは大いなる愛であり、
すばらしい体験が味わえる喜びのためでもあります。



愛に飢える者 スピリチュアルメッセージ



私たちは砂漠を旅する者が水を求めるように、愛に渇き飢えています

そして大抵の人は他人から愛されることを幸せと思い、与えられることを求めているのではないでしょうか

私たちが存在しているのは、天の父より愛を与えられ、生かされているといえます

太陽からの光のエネルギーは日々供給され、空気や水など生きるために必要なものを提供されています

そして霊的なエネルギーも永遠に供給されているがゆえに、人の魂は無限の命を得ているのです

人の命は、天の父の愛による波の上に浮かぶ生命であると言えます

そうした見えない力や、普段気付かないありふれた存在とされる愛によって人は生かされ、育まれています

人が目に見えぬ愛によってこの世に生かされているのは、人間はこの世において他者への愛に生きることを期待されているのです

天の父からの愛は圧倒的で、とても見合うだけの愛を世にお返しすることは叶いませんが、可能なだけお返しして還らねば申し訳ないことだと思います

目に見えぬ天の父の愛を、具体的に現していくのが地上にある人間の使命であると言えます



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3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

お陰さまでこちらのブログを通して学びを深め、そしてこうして「己れの使命を思い出す」ということを呼び掛けられて、だんだんにそれがはっきりとしたものになっていくのではないかと、そんなふうに思っています。

hokulele さんのコメント...

読みながら、涙が出て来ました。ブログやスクールを通して、沢山の学び愛と使命を教えて頂きありがとうございます。
出来ることは、一人一人ありますね。小さな光を灯し続ける。そのことを忘れずに実践していきます。いつもありがとうございます。

匿名 さんのコメント...

いつもブログ拝見しています。ありがとうございます。今日のブログ、大地に雨水をもたらしとは苦難困難がふりかかるような意味と理解してよろしいでしょうか?

今後のコメントは X(旧Twitter)にてお待ちしております。