2015年8月22日土曜日

島唄の宮沢和史さん前世と歌の真意 THE BOOM


THE BOOMの名曲『島唄』をうたわれた宮沢和史さんについて書いてみます

この歌はご存知の方が多いでしょう。どこか悲しみをたたえていて人の心をひきつけるものがあります


なぜ、この歌は多くの人を魅了するものとなったのか?そして県外の方である宮沢さんがこの歌を作りうたった意味は何だったのか?

島歌の歌詞の真意、本当の意味について、ネットで載せられていましたので、以下に紹介いたします


でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た
(1945年春、でいごの花が咲く頃、米軍の沖縄攻撃が開始された。)

でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た
(でいごの花が咲き誇る初夏になっても、米軍の沖縄攻撃は続いている。)

繰り返す 哀しみは 島わたる 波のよう
(多数の民間人が繰り返し犠牲となり、人々の哀しみは、島中に波のように広がった。)

ウージの森で あなたと出会い
(サトウキビ畑で、愛するあなたと出会った。)

ウージの下で 千代にさよなら
(サトウキビ畑の下の洞窟で、愛するあなたと永遠の別れとなった。)

島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙
(島唄よ、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい。)

でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ
(でいごの花が散る頃、沖縄戦での大規模な戦闘は終わり、平穏が訪れた。)

ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
(平和な時代のささやかな幸せは、波間の泡の様に、はかなく消えてしまった。)

ウージの森で 歌った友よ
(サトウキビ畑で、一緒に歌を歌った友よ。)

ウージの下で 八千代に別れ
(サトウキビ畑の下の洞窟で、永遠の別れとなった。)

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
(島唄よ、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい。)

海よ 宇宙よ 神よ 命よ
(海よ 宇宙よ 神よ 命よ 万物に乞い願う。)

このまま永遠に夕凪を
(このまま永遠に穏やかな平和が続いてほしい。)

島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば)
(島唄は、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい。)

島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の愛を
(島唄は、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい。)

島唄の本当の意味は、沖縄戦の悲しみをうたったものだったのですね

だからこそ、多くの人々を引きつけてやまないのでしょう

作詞作曲された宮沢さんは、山梨県のご出身ですが、このような沖縄の唄を作られた意味について感じたことを述べてみます

宮沢さんご自身が、実は前世で沖縄戦を戦われたように感じられます

ただ沖縄出身者ではなくて、兵士として沖縄戦に来られたようです

まだ若いお姿で、沖縄の三味線をひいて、仲間たちを和ませている風景が浮びます

残念ながら沖縄戦で洞窟の中で亡くなられてしまったようですが、そうした経験から、島唄へと繋がったのでしょう

そのようなご自身の悲しい経験があるからこそ、島唄に魂が込められ、多くの人々の心を掴んでいったのだと思います

※その他の有名人の方の前世につきましては「有名人の前世まとめ」に記事のリンクを集めていますので参考にして頂ければと思います

関連記事





6 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

洪さん、いつも圧倒的な説得力をもつお話を楽しみに拝読させてもらっている者です。宮沢さんの鑑定をありがとうございました。個人的に、宮沢さんは霊感の強い方なのでは、と思っていたのですが、ご本人が前世で経験されていたことだったのですね。「からたち野道」という名曲もあるのですが、こちらも戦争の悲しい題材の切ない歌です。島唄に乗って、少しでも多くの犠牲になった魂が楽になること、そして人々の平和への意識が高まるよう一ファンとして願っています。

にこ さんのコメント...

島唄がヒットした当時、歌詞の内容が沖縄戦のことであるとは知りませんでした。
沖縄調のメロディーや歌詞、宮沢さんの歌唱力に引き込まれていました。聴いていると、癒されるような気持ちになります。慰霊のメッセージも込められているのですね。

ゆどうふ さんのコメント...

この島唄が、右翼左翼の思想の枠を超えて、広く日本人に愛されるのには、前世から脈々と続く宮沢さんの生き様がこもっているからかも知れませんね。
ずっと誠実に生きてこられたが故に、ありとあらゆる人の魂を揺さぶる歌となり得たのでしょう。

匿名 さんのコメント...

島唄は名曲ですね。永遠に歌い継がれることでしょう。私もこの歌が大好きで以前よくカラオケに行っていた頃は必ず歌っていましたし、何度歌っても途中でグッとこみ上げるものがありました。今でも炊事しながらよく口ずさんでいますが、本当の歌詞の意味を知ったのはここ一年くらい前からです。宮沢さんにもこの歌にただならぬ思いを感じていましたが、やはりそういうことでしたか。霊視ありがとうございます。

うお さんのコメント...

島唄が語っている本当の意味を教えて頂き、有難うございます。
良い唄だとは感じていましたが、私が唄おうとすると、胸が震え・痛み・涙が出てくるので最後まで唄えない唄でした。
このように感じて涙してしまう曲が、何曲かあるのですが、疑問が解けた様に思います。
有難うございました。

匿名 さんのコメント...

関東・東北で生息している私が、初めて沖縄に招かれたのは2012年のこと。斎場御嶽の精霊にご挨拶し、ひめゆりナイチンゲールの皆様に哀悼の意をお伝えし、そしていよいよ我が国3大平和公園の1つである、平和祈念公園に招かれました。平和の礎はやはり別格です!世界広しと言えど、あの凄惨な沖縄戦で命を落とした全ての人々、例えそれが我が愛する父母姉妹兄弟恋人親友隣のおっちゃんおばちゃんをなぶり殺しにした鬼畜米兵であっても、同じ琉球の地で命を落とした全ての戦争犠牲者としてその名を刻む!という、計り知れない愛に満ち溢れたあっぱれな神対応!全身がしびれました。全世界は、真摯に沖縄に学ぶべきだと心から思います。旅の最後、オスプレイ配備反対に熱い当時、嘉数高台公園から普天間基地を眺めました。「なんで、最後がこんなフツーの公園なの!」という妻と娘のいささかムッとしたコメントを受けつつ「ここは知る人ぞ知る有名スポットなんだぞ!」と諭したが殆ど説得力がなかった。いい思い出です。
宮沢さんの当時の名前も礎のどこかに刻まれているんでしょうね。心が熱くなりました。

今後のコメントは X(旧Twitter)にてお待ちしております。