2014年6月19日木曜日

『完全な喜び』 聖フランシスコ



聖フランチェスコの有名な完全な喜びについてのお話を紹介いたします


「アシジの聖フランシスコ」(イエンス・ヨハネス・ヨルゲンセン著、永野藤夫訳、講談社)より



 フランシスコはある冬の1日、兄弟レオーネといっしょに、ペルージアからポルチウンクラへ旅をしたが、ひどい寒さになやんだ。フランシスコは先を歩いていた兄弟レオーネを呼び、こういった。

「兄弟レオーネよ、私たち兄弟が全世界に聖性と信心の手本を示しても、完全な喜びはそこにないことを、心して書きとめておきなさい」
 
フランシスコはしばらく歩くと、またレオーネを呼んでいった。

「ああ、兄弟レオーネよ、私たち兄弟が盲人を見えるようにし、手足のきかない人を治し、悪魔をはらい、耳の聞こえない人を聞こえるようにし、中風の人を歩かせ、口のきけない人を話させ、それどころか、死人を四日たって生き返らせても、完全な喜びはそこにないことを、心に銘じなさい」
 
フランシスコはまたしばらく歩くと、大声でいった。

「おお、兄弟レオーネよ、私たち兄弟があらゆることばを話し、あらゆる学問や聖書全体に通じ、将来のことや心の秘密を示すことができても、完全な喜びはそこにないことを、肝に銘じなさい」
 
フランシスコはまた少し行くと、高声でいった。

「おお、兄弟レオーネよ、神の子羊よ、わたしたち兄弟が天使の舌で話し、天体の運行と薬草の力を知り、わたしたちに地上のあらゆる鳥魚獣の価値と力、人間や木や石や木の根や河の特徴が、明示されても、完全な喜びはここにないことを、心に深く銘じなさい」
 
フランシスコはまたもう少し行くと、大きい声でいった。

「おお、兄弟レオーネよ、わたしたち兄弟が話し方をわきまえて、不信の者が全部キリスト教徒に改宗しても、完全な喜びはそこにないことを、よく銘記しなさい」
 
そんなふうに彼は、半マイルも話し続けた。ついに兄弟レオーネは驚いて

「父よ、お願いですから、完全な喜びはどこにあるのかを、教えてください」といった。      
 
フランシスコは答えていった。

「わたしたちはこうしてポルチウンクラへ向かっているが、雨にびしょぬれになり、寒さにかじかみ、道の泥にまみれ、飢えに苦しんで、修道院の門をたたくと、門番が出てきて、腹を立て「だれだ」という。こちらは「二人の修道士です」と答える。するとこうだ。「うそをつけ、追いはぎだろう。うろつき回っては人のものをかすめ、貧者からほどこしをひったくる奴らだ。さっさと行っちまえ!」
 
門番はそういって門もあけず、空腹のわたしたちを外の雪と水と寒さの中に、ほったらかしておく。日が暮れる。そんな時に、わたしたちはそんな悪口や悪意や取扱いに耐え、がまんして怒ったり、不平をならしたりせずに、この門番はわたしたちのことを見通していて、彼にそういわせたのは神である、とへりくだって愛情を持って思う時――おお、兄弟レオーネよ、いいかね、これこそ完全な喜びです。
 
また、わたしたちが戸をたたき続け、門番がでてきて、腹を立てて、わたしたちをあつかましい浮浪人よろしく、ののしったり、なぐったりして、「恥知らずのごろつきめ、らい病人の所へでも行け、ここでは食物も宿もやらんぞ」と怒り、わたしたちはそれをも忍耐と朗らかさと愛をもってがまんする時――
おお、兄弟レオーネよ、いいかね、ここにこそ完全な喜びがあるのです。
 
また、わたしたちが飢えと寒さと夜にせかされて、また戸をたたいて、お願いだから、せめて屋根の下に入れてほしいと、涙ながらに頼んでも、門番はいっそう腹を立てて、「この恥知らずのごろつきめ、分相応の仕打ちを受けろ」とわめいて、棒を持ってとび出し、わたしたちを頭巾をつかんで地面に引き倒し、雪の中を転がし、棒でところかまわずなぐりつける時、わたしたちはそれでも忍耐強く朗らかにすべてに耐え、誉れ高いキリストの苦難を思い、キリストへの愛のために苦しむことが、どんなにわたしたちにふさわしいかを、よく考える時―
おお、兄弟レオーネよ、いいかね、そこにこそ完全な喜びはあるのです」

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10 件のコメント:

  1. 最強の人間は、最悪の辱めや非難を浴びても、完全な喜びを得るんですね。

    それなら、ほとんどの人間は、本当にか弱い存在ですね。

    自分の(信仰心の)弱さを恥じ、分をわきまえたいと思います。

    「良いお話」を紹介して頂き、いつも有り難うございます。

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    返信
    1. こんばんは

      紹介したお話がためになりましたら幸いです

      削除
  2. こんばんは。
    ああーーー、聖フランシスコさんのおっしゃる信仰観は、人の贖いの為に大人しく無抵抗に十字架に掛かられたイエス様の精神を引き継がれたものなんですね・・・
    それにしましても、 そんな厳しい否定がずっと続いて行ったとして どこまで耐えれるのか?
    それも 身内と言うべき修道院からの辱め。
    聖フランシスコさんが幾度も幾度も、厳しい境遇であるけれどもそれこそが願ってもない完全な喜びであるというお話をされたことを考えますと、あらゆる否定を受け続けても神のみ業として受け入れるということを示唆されているんですね。
    有り得ないと思うような苦難を否定せず、 大人しく受け入れる。
    且つ 感謝の喜び!!
    私には、出来はしません。 残念ですが・・・・。
    少しばかりは真似ができるかもしれませんが、そのような心情圏に到達する為には天のみ前に全くの無私の心境と、導かれ与えられる全ての環境への信頼と感謝の念を持ち合わせなければならないですね。
    ヨブの信仰を試されたヨブ記の内容と重なってもきますね。
    いずれにしましても 神への信頼と愛が無ければ、 難しい心境ですね。
    実際的に自分の置かれている境遇に当てはめて考えてみますけれども、表題の心情圏への到達は難しい~~~!!です。
    修行が足りませぬ!!
    今後の訓戒として このお話を肝に銘じたいですが、 どこまで忘れずに心することができるのか、 自分で自分を疑っております・・・。

    失礼します!



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    返信
    1. こんばんは

      フランチェスコは第二のキリストとも思わせる存在ですね

      削除
  3. いつも素晴らしい記事読ませていただいき感謝です。
    喜びととらえられる精神力が身に着くまでが大変そうですよね。
    ところで
    質問なんですが、ブログなどをやっていると変な霊的アタックなど受けたり繋がったりすることはありますでしょうか?
    知人がそれで苦しんでSNSなどを全部やめていたり、あなたは対策などされているのかなと気になったものですから。

    返信削除
    返信
    1. アタックはあるでしょうね
      繋がったりとはアタックしてきた存在と繋がるということでしょうか?それはないと思います
      防ぐのは、光を強めるのと、祈りによるでしょう

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  4. すべてが神の身業(みわざ)と悟り、感謝しかない心になった時、この地球には、よほどのお役目がない限り、生まれ落ちないような、そんな神人ですね。
    私にも遡れば、そんな私もいただろうに…
    心の醜さを浄化したいです 涙

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    返信
    1. 真の懺悔の涙は魂を浄化していくものと思います

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  5. 以前平和の祈りを知りに感動しました。
    そして先程
    あなた様のブログを読ませていただき
    太陽の讃歌と喜びの祈りについて知ることができました。以前聖フランチェスコ様の存在を知った時に感じた懐かしさと
    号泣するほどの体全身で感じた暖かさと慈悲深い愛、そして至福と
    あなた様のブログで感じた暖かさが似ている気がしました。
    このブログを読ませていただくことができて良かったと心から思います

    愛深い忍耐と清らかな心を持った自分に成長できますように
    微力ながらも愛と平和と光の柱になって奉仕させていただくことが許されますように

    あなた様とあなた様と関わるすべての存在に最善がもたらされますように

    素晴らしいブログを
    ありがとうございます
    ありがとうございます
    感謝します

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    返信
    1. 恵さま
      聖フランチェスコ様とご縁が深いのでしょうね
      このブログの小さな花のスピリチュアルメッセージも読まれると気に入られるかもしれませんね

      削除

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