2018年11月13日火曜日

不幸の原因と、お釈迦様の説かれた教えの真意


人間がこの世で不幸となるおもな原因としてなにがあるでしょうか

仏教を参考にして書いて見ます

お釈迦様は人間が逃れられない苦しみを四苦八苦と述べています

四苦は生老病死であり、この世に生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病気になる苦しみ、死ぬ苦しみを言います

それに愛別離苦(愛するものと分かれる苦しみ)、怨憎会苦(憎らしい者と出会う苦しみ)、求不得苦(求める物が得られない苦しみ)、 五蘊盛苦(心身の活動が盛んな苦しみ)この四つを足して八苦と分類しています

このような苦しみに出会う原因を、お釈迦様は執着にあると説きました

たとえば現代では貨幣経済が発達していますから、お金に対する執着が苦しみの原因になることも多いでしょう

お金をたくさん持っている人でも、失うことへの恐れで、執着による苦しみを体験することもあります

その他にもこの世的な名誉に執着し、それが苦しみの原因となることもあります

そうした人々の姿を見て、お釈迦様は執着が諸々の苦しみの原因だと説きました

そして人間というものは仮に様々な要素が合わさって作られた、無我なる存在だと述べます

つまり本来は我は無いものなのだから、それを認識して執着を絶たせる修行を説いたわけですね

このように元々は苦しみの原因を取り除くために執着を離れることを説き、そのための修行として無我を説いたわけですが、その無我説が後世に誤解される部分も出てきました

無我なのだから霊魂なるものも無いと説く仏教徒も出てきてしまいました

真実は、もちろんそんなことは無く、お釈迦様は霊的な状態での不幸も考えていたと思います

実際に霊魂は存在するわけですが、亡くなられた霊で、未浄化な方たちの特徴として、この世への執着が強いことが上げられます

たとえば一生懸命働いてお家を建てて、その土地や建物の執着が強いと、いわゆる自縛霊と呼ばれる存在になって、死後もその場所に居続けることがあります

または残された人や、この世への執着が強くて、なかなか旅立てずにいるということは多くあるでしょう

このように亡くなられた霊の方の特徴として、執着が強い方は、なかなか直ぐに霊界に旅立てないということがあります

つまりお釈迦様も、単にこの世の人の苦しみの原因として執着を断つことを述べたのではなくて、亡くなった後の人のことも当然理解して法を説かれていたというのが霊的に理解すると分かります

そうした霊的な感覚の無い、後世のお弟子さんたちが、頭だけで法を理解して、無霊魂説を述べたのでしょう

実際にはお釈迦様はこの世の苦しみの原因のみならず、この世とあの世に通じた不幸の原因を究明して、それを抜ける方法を述べていたのです

二千五百年前に説かれた真理は、現在もまた真理であると思います

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9 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

私は数年前に初期仏教にご縁がありました。

そして人間は生き方によって、動物以下にも、又神をも超える存在にもなり得るという、とてもユニークな存在なのだと学びました。

”神をも超える”という発想は、私には思いも付かない発想だったので、ちょっとした衝撃を覚えたのを思い出します。

でも良く勉強すると、その場合の”神”とは高級霊の事なのではないかと私は解釈致しました。

高級霊も神様にお仕えする存在であり、上には上があるという事ではないかと勝手に理解しています。

又お釈迦様は低級霊の存在もご存知だったと思えるのは、瞑想の重要性と共に、その危険性も指摘されておられて、瞑想を一人でするのは危ない場合があると、現在の僧侶の方々も良くご存知のようでした。

お釈迦様は大天才でしたので、この世で証明出来ないものに対しては妄想になるとして、ご自分はご存知だった事でも、相手のレベルを観て沈黙されたと言いますね。

霊を信じない類の方にも理論でもって諭す事のできた、偉大な智慧者。
大天才の聖者のお一人だと思います!

洪 正幸 さんのコメント...

神様といっても様々な定義がありますからね

キリスト教やイスラム教などの一神教では、神様は一人しか居ないことになっておりますし
インドや日本などでは様々な神様がいらっしゃいますね

ただ一神教である宗教でも聖霊や天使の存在は認めていますし
それらを神様の中に入れて数えるなら多神教ともいえます

ようは人間がどのように言葉を定義するかで変わってきて違ったようにうつるのですね

瞑想はそうです
低級霊が神様の名前を偽って通信することがよくあります

ですので巷の霊能者のほとんどはそうした低級霊に惑わされて
神様の言葉を伝えている気になってしますのですね

匿名 さんのコメント...

神様の事は二次元・三次元的に人間的な視野で捉えると、どうしても矛盾が出て来るので戦争になったりしますね。

例えば神道でも、八百万の神様は皆、大元の神様の分霊(わけみたま)なので、元を辿れば一つという裏神道的捉え方がありますし、

故に沢山登場する神話の神様達も、(時空を超えて)実は同じ神様の事を名前を分けて表現しているという説があります。(多次元同時存在)

又キリスト教は御父・御子・聖霊の三位一体で神を表しますし、

神道では天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神(あ~ッ、私は本が無ければ書けましぇんッ!笑) = 造化三神で三位三体 = 三体同位を表していますが、

表現が違うだけで、同じ事を表しているのではないかという説が有りますね。
何だかそんな気が、私はします。

ところで質問なのですが、低級霊・高級霊という表現をしますが、どこからが低級でどこからが高級になるのでしょうね?(笑)

その基準て何を目安に判断するのでしょう?

白と黒とハッキリ分かれていれば分かりやすいですけど、霊の世界もそんなに単純ではない気がしますね?

霊にも人間みたいに中途半端な奴っていますか?(そういうのは未浄化な霊だけ?)
霊と精霊の違いは格の違いなのでしょうけれど・・・。



ちなみに低級霊・高級霊と言いますが、どこからが低級霊で、どこからが高級霊と判断するのでしょうか?(笑)

白と黒がハッキリ分かれていれば分かりやすいですが、人間と同じで霊の世界もそんなに単純でもない気がしますが・・・。



洪 正幸 さんのコメント...

こんばんは

高級霊と低級霊の違いは

高級霊は普通の方よりも人々のためを思う
愛の気持ちが強く

逆に低級霊は普通の霊よりも
人の不幸を喜ぶ傾向のある霊ではないかと思います

匿名 さんのコメント...

(質問の文が、気づかず重複してしまっていた様で失礼致しました~。m(_ _)m )

なるほど~!とても分かりやすいですね!
お答えありがとうございます。_(_^_)_

私は神道系の霊能者の方から「巷では混同されているけれど、お稲荷さんとお狐さんは違う」という事を教わりました。

お狐さんたちは元々は神(稲荷)にお仕えする眷属で、神様の命令で一生懸命人間達の為に働くうちに、その力をあたかも自分の力だと勘違いして、自分達を神様の様に思い始め、神様から離れた存在になった者もいると聞きました。

(これはキリスト教の堕天使ルシファーと同じ捉え方ですね~。
東洋と西洋の表現力の違いで、同じ事を示している気が致します)

お狐さん達は、最初は皆神様に命じられたお仕事(人間達の為に働く事)を一生懸命していたのですが、

業欲に因われた人間達は、それに対して感謝も満足することもなく、その己の事しか考えない限りない醜い欲望に、一部のお狐さんたちは人間に仕えるのがほとほと嫌になり、人間に激しい恨みを持ち、人間を憎んでいる者もいるのだとか。

力のあるお狐さんは人間の願望を叶えてあげたりしますが、叶った時に感謝を忘れて自分にお返しをしない人間には、残酷な仕返しをするそうなので、お狐様が祀られている神社で何かの祈願をする場合は、気をつけないと怖い場合があるそうですね。

人間を憎んでいるお狐さんは、人間が不幸になるのが喜びなので、最初はわざと人間の願いをどんどん叶えてあげて有頂天にさせて、持ち上げるだけ高く持ち上げて、最後にド-------ン!!!と突き落とし大喜びするそうです。Σ(゚д゚lll)

自分を神様みたいに崇め奉られる事が大好物なのが、お狐様の特徴なのだとか・・・。

質の悪いお狐さんになるととても狡猾なので、最初はわざと真理を伝えてみせ、自分を本当の神様だと人間に信じ込ませて捕り入れるので、見分けがとても難しいそうですね、

霊能者と言われる方の大半は、こういうお狐さんが取り憑いているけれど、霊能者自身も気づいていない場合が多いと勉強しました。

こちらのブログを拝見すると、自分が勉強した事と一致するので納得できますし、確認にもなります。感謝です。<(_ _)> 

ちなみに良質なお狐様(神様のお使い)と悪質なお狐様(神様から分離)は、

キリスト教で言ったら、さしずめ天使&堕天使という所でしょうか?

匿名 さんのコメント...

追伸

お狐さんや狸さん、蛇霊さんに天狗さん等々を、私に教えてくれた霊能者の方達ですが、
私にはその方たちもお狐さんや巳ぃさん(蛇)さんに取り憑かれているんじゃないか?と思えました。(笑)
(霊能者の方達のいたちごっこ?)

ただその方達は悪質な感じというより、人に良かれととの思いからなさっている様でしたが、耳触りの良い優しく緩く甘い感じで自分達に頼らせるやり方が、人の自立心を失わせている様に私には感じました。

何でも霊のせいにする所も「それって責任転嫁思考を植え付けていない?」と思ったし、依存心を植え付ける事で、自分で考える力を削ぐ事になり、結果「人間を駄目にしてない?と」疑問が湧きました。

極めつけは開運を目的とした全国の神社巡りのお勧め。

遡ればご先祖様の数は細胞の数ほどいる訳なので、「一生神社巡りをしたって回り切れるものじゃないだろう?」と思いましたし、

そんな私利私欲な事からの行動より、「日頃の生活の実践と心がけの方が大事じゃないか?」と私は思いました。

神様は神社に行っても行かなくても、全てをお見通しだと思いますから。
(でも私は神社や教会に限らず、清らかな場所の空気に触れるのは好きです♪)

洪 正幸 さんのコメント...

そうですね
霊能者に多いのは、ご自身の闇(悪霊など)を相手に投影して見る事です

その人が悪霊に大きく影響されているかを見極めるのは
他人をよく見れるか悪くばかり見えるようになるかですね

周りの人が悪人ばかりと思えるようになると、影響が強くなってしまっています

匿名 さんのコメント...

なるほど・・・。

それって霊能者だけでなく、私達も気を付けなければならない事だと思いました。

この世界には霊の働きというものが有り、それは常に生ものですから、悪しきものが寄り付く隙がない様に自分を客観視しなければ・・・ですね。

お答えありがとうございました。_(._.)_

匿名 さんのコメント...

やはり、「自らを燈明とせよ」の教えは大事ですね。興味深く読ませていただきました。ありがとうございます。

今後のコメントは X(旧Twitter)にてお待ちしております。