2013年4月2日火曜日

魏志倭人伝に見る邪馬台国と琉球







魏志倭人伝を読んでみました
これは三国志に出てくる 魏の国から当時の日本を訪れた時の記録で、有名な邪馬台国やヒミコが出てきます



魏の使者が韓国の南端から海を渡ってやってくるのですが、 伊都国に来るまでは、草が背まで繁ってたとか、実際に体験したことを書いていますが、それ以降からは急に無くなってます

伊都国というのは当時の使節が来たときの停留場所であったと書いています

どうやら使者は 伊都国にとどまって、それ以外の国については聴きかじりで書いたものと思われます

伊都国というのは今の福岡県にある糸魚半島のようです

「倭の地を参問するに」と書いてあるように質問して聴いたことを書いているようです

実際に行っていなくて聞き取りで書いたため記述に混乱があり、このために邪馬台国論争といって、何処にあったか長年の論争の元になったのでしょう

では 使者の聴いた邪馬台国とは何処かと言うと、南に水行十 日、陸行一月。とあり、これをそのまま当てはめると九州の南の海上となります

ですから、邪馬台国の研究している人はこれは南じゃなくて東の間違いではないか(畿内説)とか、日数に間違いがあるのではないか(九州説)等が言われています

しかし、その後の記述にあるように「 その道里を計るに、当に会稽の東治の東にあるべし」と書かれています

上記の地図の東治を見てもらえると、その東の海に沖縄があるのが分かります

これからも場所は、九州の南の海上で、今の沖縄や 奄美大島が当てはまります

ですので、南に水行十 日、陸行一月とは記述の間違いではなく、 作者は今の沖縄あたりにあると考えて書いたのがわかります

しかも風俗として、みんな入れ墨して海に潜って海産物をとっていたと言います

入れ墨の風習は畿内にも、九州にもありません
むしろ罪人に罰として入れ墨していたみたいです

ですので畿内も九州も当てはまりませんが、沖縄には入れ墨の伝統がありました

ちなみに私のひいおばあちゃんはまでは手の甲に入れ墨をしていました

また、温暖な地で冬でも生野菜を食べていたと書かれていますが、畿内では当てはまらないと思われます

九州でも当時は寒冷時期であったと言われるので難しいです。沖縄なら当然当てはまります

「 倭の地を参問するに、海中洲島の上に絶在し、あるいは絶えあるいは連なり、周施五千余里ばかりなり」と言う記述がありますが、これは周囲を海に囲まれた地域ととれます

九州や本州では当てはまらないでしょう。島なら考えられますが、こちらも沖縄や奄美なら当然当てはまります

と言うことで、 作者が考えていた邪馬台国の場所と言うのは、沖縄・ 奄美地方で間違いないでしょう

ですが、沖縄説が有力ではないのは、考古学として考察するに当時沖縄はそれだけさかえていなかった理由によるでしょう

だから邪馬台国は別にあるのだと考え、記述と一致しないことをあれこれ考え悩んでいるわけです

ここでもう一度思い返して頂きたいのは、 使者は実際には邪馬台国には行ってないだろいということですね。聴いて書いているわけで、問答において誤解があった可能性があります

つまり、 使者の聴いた倭の地と、実際に女王のいる邪馬台国は別な地のことを書いていた可能性があります

使者が倭の地はどんなところかと聴いた時に、
使者は女王のいる邪馬台国について聴いたつもりであったのに、答えた人は別な地を想定して答えた可能性もあります

ではなぜ、回答者は今の沖縄辺りの地域を答えたのかですが、幾つか考えられます

1、当時の中国からな日本のことを倭(ワ)と呼んでいたのですが、当時の質問された日本人からしたらワの国とは、沖縄地方のことを指していた

2、邪馬台国の国交の範囲が沖縄まであって、その境の地のことを答えた

3、邪馬台国の民の源流が沖縄・ 奄美にあり、伝承として語りつがれていた地の話しが紛れ込んだ

4、 作者の陳寿が聞きかじっていた琉球の地を勝手に邪馬台国と一致させて書いた

まあ、いろいろ考えられるわけですが、そもそも 使者が実際には行ってなくて、聞き取って書いたため魏志倭人伝 から邪馬台国の場所を特定するには無理がありそうです

長くなったので続きはまた次回にします

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1 件のコメント:

  1. 邪馬台国」は、「魏」がライバル「呉」への牽制の為に、古文書「魏志倭人伝」に作り上げた架空の国。朝鮮半島から九州北部までの上陸行程は具体的だが、それ以降が曖昧な理由は、「呉」の背後の海上に無理矢理、文書面上で引っ張ってきたことによる。ちなみに、もう一つのライバル「蜀」の背後には「大月氏国」があり、「魏」は、「大月氏国」「邪馬台国」双方に金印を授けている。「邪馬台国」があるとしたら、「魏志倭人伝」の作成時期(三世紀頃)に日本列島で隆盛した大和地方に存在したものであろう。

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