2013年3月30日土曜日

極端な考えの政治的な現われと個人の心理

 

渡辺昇一さんは、戦中の日本の国家体制を社会主義であったと述べ、実態は左翼と同一であったと指摘していました

氏は「右翼も左翼も社会主義者は同じ穴のむじな。」と言っていたかと思います



結局、戦中の体制は右翼の台頭と考えられ、それに対する反対のものとして左翼的な思想があったように考えられますが、実際は両者は同一のもので、極端にぶれると同一の現象を現すようになる

国家の思想とは反対するものを許さなくなり、反する者を捕らえたり、拷問したり、粛清するなど、個人の自由を抑圧する方向へと行きます

先日書きました二極タイプと左翼右翼では、同様のことを人間の心理面から述べました

統制主義と自由主義」でも同様のことを書いています

また、「ヘルメス主義 2」では同一論と隔絶論という分類で自由を尊重する思想と、統制する思想の分かれる根源を書きました

政治思想として左翼系の方と、右翼系の方として対立があり、両者は互いを悪の元凶のようにみなしているかもしれません

ですが、両者の極端になっている者の共通点として、単純な二分法的思考が強く、自分が正しい、だから相手は間違っている。正しい自分の考え以外のものは許せないとなっていきます

そして、両者の共通点として、聴く耳を持たなくなり、思考が凝り固まったような感じで、客観的な判断は出来なくなってきます

個人の心理レベルで見ても、反省する心が無くて、いつも責任を他者に押し付け、批判するものは、自分の過ちには目を向けなくなります

一方で、自己卑下的でいつも悲観的な思考をもって、被害妄想を持っている人も、客観的な見方が出来なくなります

こうした一方は自己肯定・他者批判のものと、自己否定・他者肯定のものは、正反対の性質に見えますが、客観的に物事を捉えられなくなる点では共通しています

これが国家レベルで展開すると、左翼となったり右翼となったりするのですが、共通して反対する意見を受け入れなくなり、統制主義となっていくのです

自分とは違う意見や人の中にも、優れたものや、良きものがあると考え、多様なる価値観を認める思考から自由主義は生まれます

共産主義国家、社会主義国家では、優秀な官僚が計画し管理運営することで世の中はよくなると考えたのですが、実際は自由主義で個人が各々の考えで行動して経済活動をするほうが経済は発展していきました

この世の中には、単に善悪の違いだけでなく、多用なる価値観があり、それらは各々違ったように見えますが、虹が七色に分かれて見えてもすべてが光の現れであるように、それぞれが光を宿していることがあるのです

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1 件のコメント:

  1. いやあ、何と表現すればいいのでしょう。とても共感いたします。私の感じで言うならば。物事は、「正しい」か「間違っている」かの2元論でとらえると気づかないうちに分かり合えなくなる。2元論のトリックにはまらないように慎重になる必要があると言う側面もあると思います。日常的ないざこざやケンカの背景にこれらはかなり潜んでいるように思います。このトリックを分かりやすく表現できるのは、心理学でよく取り上げられる「多義図形」だと思います。特に有名なのは、見方によって老婆にも見えるし若い貴婦人にも見えるっていうあれです。これは単に見方によって全く違う絵に見えるという面白さにあるのではなく、どっちか片方が正しくて、どっちかが間違っている、のではなく「どっちも正しい」ということもあるのだという、単純明解な事実に気づかせてくれるという点に意義があるのだと思うのです。老婆にしか見えない人と貴婦人にしか見えない人が、「俺が正しい!」とお互い言い争っている状況は、とてもいたたまれません。人間の思考は、効率的パターンをとりやすいため、どっちかが正しくてどっちかが間違っているという分かりやすいパターンで考えがちです。この思考だと、論点が「間違っているのはどっちだ!」という「犯人探し」になってしまい、みつかるまで攻め合いが続くことになります。犯人なんていないのに。どっちも正しいこともあるし、どっちも間違っていることもあるのに。と、いつも思います。夫婦喧嘩も結構当てはまると思います。だいたい私が折れて謝りますが…。とほほ。

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