2013年2月28日木曜日

近代民主主義の根源【ルター・プロテスタント・ヘルメス・ルネッサンス】




民主主義自体は古くギリシャにあるとされていますが、現在の世界の政治に繋がる近代の民主主義の根源についてインスピレーションがありましたので書いてみます





民主主義の根底にあるのは人間一人一人は、尊い価値のある存在であるということ
人間は神の子として、神の似姿として創造され、神の息吹の込められた存在である
そうした思想が根底にあると思えます

近代民主主義は西洋から流れてきたわけですが、西洋にはキリスト教が流れています

中世のキリスト教では教会の権力がつよく、何が人にとって義であるかを定め、その罪の贖罪の権限を教会が握っていたと言えます

キリスト教会にとっては人間は罪深い存在としていたほうがよいわけです

その罪深い人間を救えるのは教会に権限があるわけですから、人間が罪深いほど教会の力は増していきます

ですから中世には教会権力が腐敗したり、魔女狩りが横行したりしました

その状況では、人間は神の子であり、尊い存在という思想は出て来ないはずです

そこでルターらのプロテスタントの運動が反動のように生まれてきます

ルターの考えでは「人は教会の免罪符によってではなく神を信ずる信仰によってのみ救われる」と主張したわけですね

つまり今までは教会の権限が絶対的で、人の救済にあずかれるかは教会の仲介が必要だったわけですが、教会を介さずに直接個人が信仰によって神とつながり、救われるという考えを出します

今までは義を行えない罪深い存在であった人間が、呪縛を離れて信仰によって尊い存在へと変容していったと言えます

その流れから教会という組織の権限と貴さが、個人個人の貴さへと移ってきたのでしょう

そこから個人を尊重し、人権を尊重する民主主義が生まれてきたのだと思います

マックス・ヴェーバーは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で西洋近代の資本主義の原動力を、カルヴィニズムにおける宗教倫理から産み出された世俗内禁欲と生活合理化であるとしましたけど、わたしはルターによる思想が近代民主主義の運動の原動力ではないかと思います

これは同じことを主張する考えは見たことがないのでオリジナルな考えかもしれません

そして個人が尊重されることによって、個人(民衆・国民)の求める権利として自由と平等がありました

ですが自由と平等とはお互い矛盾するところがあります

自由を重視すると個人個人の活動によって格差が生まれます

一方、平等を重視すると、個人を平均化させるため自由が抑圧されるようになります

アメリカや西欧も、かつてのソ連や中国・北朝鮮もどちらも民主主義を標榜しております

同じく民主主義を標榜しながら対立しているのは、上記のように自由を重視するか、平等を重視するかの違いとして別れています

欧米は個人の自由を重視した勢力と言え、共産主義(中国・北朝鮮)は平等を重視した勢力と言えます

ルターらのプロテスタントの動きが活発となった時には、カトリックの勢力との対抗があったわけですが、信条によって(プロテスタントかカトリックかなど)迫害されたり不利益をこうむらないように、信教の自由が重視されました

信教の自由から思想・言論の自由などの人権思想が確立されてきたわけですね

そしてルターの活動時期に農民の一揆運動もありました

この運動は、個人の権利が尊重されるならば、貧しい農民として虐げられるのは納得がいかないという人間平等思想が根底にあったのでしょう

ルターはそちらのほうは加勢しませんでした
連動して興った農民一揆について批判的な立場をとりました
平等思想より自由を尊重する思想に重きをおいたのだと思います

そうした個人を尊重する思想をさらに遡ると、ルネッサンス期のギリシャ哲学とヘルメス主義の流布が影響しています

こちらについてはまたいずれ別の機会に記事をアップいたします



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精神世界ランキン

3 件のコメント:


  1. http://www.asyura.com/11/bd60/msg/530.html

    このスレッドのコメント欄>25.~ラストまでを読んでみてはもらえないでしょうか?
    そして、願わくば真実の拡散にご協力を…。

    返信削除
    返信
    1. コメントありがとうございます

      太陽が暑くないという説は聞いたことあります

      面白い説ですね

      削除
  2. 自由と平等が離反していると人間が思わされたのも、罠ではないかと。

    1人1人の 自由に発揮できる違う能力こそが互いに必要であり
    認め合い尊重しあい共存していく それが平等であることなのだ。

    そこには王や権力者や首領や大統領もいない。象徴としての天皇もいないのだ。目に見えない崇高な唯一の根源愛だけが地球に降りそそぐ。

    そして全人が全神人であり天使なのだ。その平等の味を忘れているのではないか? だから卑下も見下げも差別も点数制の教育も生まれた。

    ただし、哀しいかな..侵略して血や支配と物の宝を望む者たちは
    その平等という根源の天秤の上には乗れない。一掃されるはずだ。

    1人1人が王であり自身に権力をもつ者であり(他を支配するのではなく自身を支配し律する)
    首領であり(頭脳と体をつなぐ首をまっすぐに保つ者は気高さゆえに保てる)天の御子であり 地を愛し保護するに生きる天地人は、みな大統領であり 天皇なのだ。
    それが自由であることの真実の意志と創造。アート。

    生きることそのものが芸術であり音楽でありダンスであり ここに芸能人やテレビ局(あらゆるマスコミ)などが消えた 森と光と美しい水にあふれた地球が生まれるのだ。
    皆がスター:星。それが星星にとって自由であり平等である次元だ。

    太陽も他の惑星も、わたしたち星星が存在してこそ存在理由が生まれる。
    これが、宇宙全体の じつは平等なのである。
    わたしたちが消滅すれば、宇宙も精気を消して滅していくだろう。

    個性の違いと得意分野の違い。生かせないのが赤が思うビョウドウ:意識一色。恵みの虹は生まれない。

    おそらく平に等しく押しつぶす、自由精神を恐れて殺す...のが 
    ビョウドウ 病堂という国や集団であり 病動 病導へとつながります。
    これは血色一色に人々を染めてしまう。

    沖縄が、そして日本が、太陽を象徴した日の丸を奪われないように
    血の赤に呑み込まれないように念じます。

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