2013年2月18日月曜日

統制主義と自由主義



ファシズムという言葉があります

全体主義で排他的で、自由主義を否定する国家体制で、第二次大戦中のイタリア、ドイツ、日本がそうした政治体制であったと言われていて、第二次大戦は民主主義対ファシズムの戦いであったといわれます



ファシズムと言っても成立は民主主義の過程を通っていますし、共産主義であったソ連も、その政治体制は全体主義で排他的で、自由を否定していますので、同一のものともいえます

ファシズムと民主主義というわけ方自体が本質からずれた言葉の定義となっていますので、私は、統制主義と自由主義という言葉で分けたいと思います

第二次大戦期の日本は、配給制度があり、思想の自由も抑制されていましたし、国家の大事の前に個人の自由は抑えられていましたので、一部のエリートが統制する国家体制であったとおもいます

それに対立関係にあった共産主義が日本では平和勢力のように言われますけれど、共産主義の本質を見れば、同じく統制主義であり、一部のトップ階級にある者が国家を統制し、全体主義であり排他的で、国民の自由を否定していきます

一見正反対のようにお互いは考えているようでも、本質は一緒であることがあります

ファシズムにしても共産主義にしても、国家の運営は一部のエリートがになって計画してなすほうが良いと考え、国民個人個人の考えや行動は抑制されます

そして、国家の考えに反する思想の持ち主は強制収容所に入れられたり、逮捕されて押さえ込まれるのが共通します

一方、個人の自由を尊重する国家体制では、各々が自由に考え行動するため、一見無駄が多いようにも見えますが、市場原理が働いて、より良いものを創造し、良質なサービスを提供されるようになります

個人の自由を尊重するのは、人間一人ひとりに優れた価値を認めて、たとえ国家の指導者やエリートと違う考えの者でも、そのなかに優れた価値があるかもしれないとする考えが根底にあります

人間は様々な主義や思想を持ち合わせていますけれど、それらは対立しているように見えても、それぞれが優れた価値を持っている場合があります

宇宙の兄弟たちへ」というメッセージをインスピレーションを受けて書きましたけど、それぞれに違った価値観や思想を持っていても、それらはダイヤモンドのカットの面がそれぞれ違う輝きを持つように、互いに優れたものを持っているという意味だと思います

様々なルートから登山を開始しても、頂上ではひとつに繋がっているかもしれません

人間個人では、そうした違いの判定が難しく、自分が正しければ、他は間違いだと単純に考えてしまいますけれど、それは、認識力が不足しているために相手が間違っていると見えているかもしれません

ですので、個々人の価値観や思想を尊重する自由主義は、神の思いに近いと思えるのです

いまだに個人の自由を尊重しない国家が存続しておりますけれど、そうした国家が勢力を拡大していくのは望ましくなく、いずれ無くなっていくべき政治体制だと思います


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